青木ルーツ掲示板
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  [No.1008] Re:千葉県で庄屋をしていた永嶋家について教えてください
     投稿者:福管理人   投稿日:2014/11/27(Thu) 10:53:48

千葉の永嶋さん 始めまして。
ようこそ青木氏氏サイトにお越し頂きました。
これからもよろしくお願いします。
本サイトは、「青木氏氏」と呼称して「青木氏族」について「先祖の歴史」に付いて研究しているサイトです。
全国の青木さんが集って管理人さんの下でサイトを運営しています。
これからも青木氏に関するいろいろなお話や情報が在りましたらお気軽にお便りください。
お待ちしています。

さて,お便りによると、御親族は大変ご苦労されていたのですね。
世の中の人は、「御先祖の生き様」を知りたいと思うは、ご自分の「現世の生き様」に対して、「御先祖の生き様」を照らし合わせて、「今後の生きる力」にしようとする人間が持っている根本的な本能であると考えます。
”古を知る事”に依る事は、神仏が”人間に与えた最大の癒し”であると考えます。

その意味で、ご先祖の事に付いて知る事に、是非に「青木サイト」はご協力を致します。
今後ともに、”青木氏族のサイト”として御自由にご利用ください。
青木氏は歓迎いたします。



さて、「青木氏氏」とは、「青木氏族」と云うのが歴史的に在りまして、その「青木氏族」とは、青木氏、長沼氏、永嶋氏、進藤氏、長谷川氏の五氏を主に云います。
特に、永嶋氏は、青木氏の中でも、最も、「青木氏」に近い氏族でして、この「青木氏」は、大別すると二つの流れに分けられます。
一つは、「皇族系の青木氏」で、この青木氏には更に二つに分流しています。
「皇族賜姓族青木氏」と「皇族系青木氏」の29氏に別れます。奈良期からの氏族です。
二つは、「藤原秀郷流青木氏」で、この青木氏は116氏が在ります。平安初期からの氏族です。
この「藤原秀郷流青木氏」も一つ目の青木氏とは、母方で古くから平安初期からの血縁関係を持っています。
一つ目の「皇族賜姓青木氏」の職務を補佐する意味で、特別に天皇に賜姓されて発祥した「特別賜姓族青木氏」です。
「皇族賜姓青木氏」とは、天智天皇の第六位皇子(施基皇子)が臣下して成った氏族です。
この「賜姓族」とは天皇から直接に姓を与えられて、特別な権限と権威を与えられた氏の事を云います。
天皇の皇子は、第四位皇子までの「真人族」と、第六位皇子は「朝臣族」に分けられます。
第七位皇子からは「連族」に成り皇族から離れて、地方に配置されて侍と成ります。
第五位はその中間の身分で、欠員の有無によってどちらかに身分は所属します。
さて、この「特別賜姓族青木氏」が、藤原秀郷一門から出自しています。
藤原氏北家筋の秀郷一門は、母方が天皇家に嫁ぎ、この「皇族賜姓族青木氏」の母方にも嫁いでいます。
この藤原秀郷一門は361氏にもなる日本最大の氏族の集団です。
この中で、中心に成って「藤原氏秀郷一族一門」の「第二の宗家」と呼ばれ、一門を指揮してきたのが、この「特別賜姓族青木氏」の「秀郷流青木氏」なのです。
藤原氏の中でも最大に勢力を持ち、最大の家柄です。
その勢力は、関東の武蔵に領国を持ち、その周囲の下野、上野、下総、駿河を平安時は領国にし、陸奥域も勢力圏に収めていました。
関東以北と云っても良い程の超大豪族でした。
この中で、「藤原秀郷流永嶋氏」は、「藤原秀郷流長沼氏」と共に、この「藤原秀郷流青木氏」と最も血縁関係が深い親族の一族です。

そこで、お家の情報が極めて少ないので、確定するまでには行きませんが、”千葉”と”庄屋”の情報からすると、この「藤原秀郷流永嶋氏」の「末裔」である可能性が極めて高いと観られます。

実は、この「藤原秀郷流永嶋氏」は、千葉を中心に関東に拠点を置いて、各地に永嶋氏の子孫を拡大させているのです。
その中でも、本拠地の千葉に、ご先祖のお家が定住しているとなると、「結城」に拠点を置いていた”「関東屋形」”と呼ばれた室町期には「日本一の勢力」を誇った本流の「結城永嶋氏」の末裔である可能性が有ります。
室町期末期に秀吉に依って潰され、その勢力は低下したのですが、後に家康に依って引き上げられて、徳川幕府樹立の立役者と成って、幕府を明治期まで支えた氏族です。
明治期には、この勢力は無く成り、明治政府から土地の地主や庄屋や名主や豪農として認められて生き延びてきました。
その領国の永嶋氏の拠点を置いていた地域の庄屋さんであった事は大きな決め手です。
千葉のどの辺に、江戸時代のご先祖がお住いで在ったかが判れば、更に確定できる程にその可能性が高まります。
又、お家の宗派が判れば更に確実に成ります。
千葉地域の庄屋さんをされていた事は、その可能性が、80%程度に成っているのです。
そもそも、”庄屋さん”に成るには、だれでもと云う訳にはいかず、大抵は元の地主で土地の「郷氏」(土地地域の豪族)である特別な身分の者でなくては成れませんでした。
幕府も維新政府もこの方式は維持しました。
この地域の庄屋の殆どが、この「藤原秀郷流一門」の者(永嶋氏)が成っていたのです。
「藤原秀郷流一族一門」の中でも、その「永嶋氏」は、平安期には、この千葉の領主であった事、江戸期に成っても、徳川氏の特別な「御家人」と云う高い身分の家臣でしたので、千葉の全域を土地の地主としても、永嶋氏が庄屋を務めていたのです。
この”庄屋”は、お家の家柄を確定する最大の歴史的な事柄であるのです。
特に千葉と云う地域の庄屋であることが、最大の決定要素です。
出来得れば、その庄屋の地域と昔の宗派やお寺さんが判れば、最早、疑う余地はありません。
この地域は、この事がはっきりしていたのです。
更に、庄屋さんでしたから、昔の「家紋」を持っていたので、判ればこの「家紋」もお調べに成ってお知らせください。
家紋は「下がり藤紋」との事ですが、もし、この「藤原氏北家」の「総紋」を直にお使いに成っているとすると、宗家か本家筋の家筋と成ります。
この「総紋」は、宗家本家筋が、直接家紋として使え継承する家紋です。
宗家本家筋以外は、後の分家筋は「副紋」と云う別の紋を使います。
お家の「総紋」は、藤原氏北家一門の「下がり藤紋」である事は間違いないのですが、永嶋氏の本家筋はこの「下がり藤紋」を使います。
「副紋」が別にあった筈ですが、お調べください。
もし、無かったとすると、お家は、藤原氏の中でも本流の最古の血筋を繋いだ「結城永嶋氏の本家筋」であった事に成ります。
これを証明するのは、千葉の地域と宗派で決まります。

(永嶋氏の家紋群に付いても、資料が研究室にありますので、お家の家紋がどれかを御確認ください。)

そこで、この「藤原秀郷流永嶋氏」の詳細は、「ルーツ掲示板」と「研究室」に「青木氏族」として極めて詳しく論文を載せていますので、そこを先ずはお読みください。
家紋や出自や由来や経緯を詳しく述べています。
膨大な資料に成りますが、ゆっくりと少しずつ楽しんでお読みください。
その過程で、判らない事が出てきましたら、その都度、お尋ね頂き、お答えしながらそのお家のルーツを理解していただく事にしましょう。
その上でまとめて、御尊父や祖父母の方々にお教えする事が最も良いかと考えます。

その方法で、昔のお家のご親類の方々がルーツをご理解して頂いています。
この「ルーツ掲示板」では、掲示板検索で ”永嶋氏”と入力しますと、大変な数の永嶋さんの事が書かれていますので、お読みください。
長嶋さんもお家の分家や支流のご親族です。
「研究室」には、単独で”永嶋氏の事”を論じています。全ての永嶋氏や長嶋氏の事が判りますよ。
「ルーツ掲示板」には、お家の昔のご親戚の方のお便りが沢山あります。

これをお読みに成るとお家の全ての事がお判りに成れますよ。
ご親族は、ご先祖の事が判ってお喜びに成ると思います。
その上で、お読みに成っていて御質問や不明な事が在りましたらお便りを是非ください。

先ずは、お答えはここまでとしておいて、お読みに成ってからの事と致しましょう。
このお便りを、「お家の専用欄」としますので、Reでお便りください。

では、お便りをお待ちしています。



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