青木ルーツ掲示板
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  [No.1010] Re:千葉県で庄屋をしていた永嶋家について教えてください
     投稿者:福管理人   投稿日:2014/12/01(Mon) 09:42:21

今日は。
早速、お便りのお答えを読んで頂きありがとう御座います。

現在、伊勢に居られるようですが、伊勢は筆者のルーツで、伊勢の青木氏です。
又、この伊勢には、お家のご親族のルーツがあるところです。
伊勢の長嶋氏は、お家のご先祖が、中部までその威力を拡大し、ここに伊勢の永嶋氏(区別する為に長嶋氏を名乗った)が定住していまして、室町期末期までは永嶋氏の領国でした。
秀吉に依って、「伊勢長嶋攻め」で潰されて衰退しました。
この時、筆者の先祖が、この戦いに伊勢の「長嶋氏」に合力しました。
敗退して共に、一時、筆者の領地の和歌山の新宮に逃げ延びて、一年後に蒲生氏郷に許されて、末裔の方々と共に伊勢に戻りました。
この様な因縁の歴史が在ります。今は長島温泉の地域と成っています。
この地域には、「藤原秀郷流の青木氏」(四日市付近一帯)と、「藤原秀郷流の伊藤氏」(伊勢北部東域)が定住していた所で、今でも、この3氏が定住しているところです。
つまりは、昔、お家のご親族の方々が住んでいた所です。

論文を是非お読み頂いて、ご質問やご不明な点がありましたら、ご遠慮なくお尋ねください。
ルーツの解明には、一寸した事が解明の糸口に成る事が在るのです。
ですから、どんなお答えの方法でも構いませんから、お家の方法でお家の思う様にしてお便りをお書きに成るなりしてお尋ねください。
その言葉の中に意外に手がかりが潜んでいる事が多いのです。

さて、そこで、今回のお礼文を頂きましが、その中に大変大きな手掛かりが在ったのです。
実は、それは”「過去帳」”です。
この「過去帳」は、昔の慣習では、武士階級の上位の家柄、例えば、お家の永嶋氏の様に、関東ではトップの家柄が持つお寺のご先祖の累代の記録なのです。
一般には、「過去帳」では無く、「人別帳」と云う物に成ります。
それを「過去帳」としていますので、前回の千葉庄屋の情報のみならず、「藤原秀郷流永嶋氏」である事を物語る情報でして、ルーツの確定を更に進めた事に成ります。
後は、江戸期のご先祖が眠るそこのお寺の宗派が判れば確定します。
それには、「永嶋氏の末裔の宗派」は二つに限られます。この二つのどちらかに成る筈です。
江戸期の宗派か、更に進んで、室町期の宗派まで判れば完璧です。同じであれば問題はありません。
「江戸期の宗派」が、「永嶋氏の宗派」であれば室町期までさかのぼる必要はありません。
そして、「過去帳」が在ったとして、その最も古い御先祖の人の時代の年号、それに伴って、この古い人の戒名に「院殿居士」が付いているかが判れば、確定から進んで、お家の永嶋氏の本家分家筋のどの位置にあった家柄かも判る事に成ります。
更に、「戒名」には、その人の生前の生きた業績などの意を含ませていますので、どの様な人で在ったかも判りますよ。
この事に依っても、「家紋」も限定されてきますので、お調べに成ってください。
但し、昭和の大戦などの混乱で、千葉では大変でしたから、「副紋」を忘却または消失している可能性が有ります。
しかし、ご先祖のいた地域と宗派とが判れば、概ねこの「副紋の家紋」も判ってきます。
場合に依っては、「下がり藤紋」の真ん中にお家の副紋を挿入している事もあります。
秀郷一門は、多くは、「副紋]をこの「下り藤紋」の「挿入型」を採用しているのです。
その事に依って、何時しか末裔の方が、この事を解らずにこの「挿入の副紋」を消失してしまっている事が観られます。
お調べに成る時は、是非この点も合わせてご確認してください。

では、又、ゆっくりと知らべられてお便りください。お待ちしています。



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