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  [No.1070] うえやま
     投稿者:上山   投稿日:2015/11/10(Tue) 16:57:01

はじめまして、大阪に住みます上山と申します。先日、私の家の家紋(丸に桔梗)について調べていると、こちらのページにたどり着き、興味があり見ていますと、土岐氏系青木氏の分家が丸に桔梗紋であることを知り、青木氏と上山氏の関係にすごく深いものかなと思い連絡させていただきました。


  [No.1071] Re:うえやま
     投稿者:福管理人   投稿日:2015/11/10(Tue) 19:39:31

今日は。始めまして。ようこそ青木氏サイトにお越し頂きました。
全国の青木氏が集うサイトです。

さて、お便りに依りますと、「丸に桔梗紋」の家紋との事ですが、残念ながら、上山さんの事ははっきりと判りません。
判る範囲でお答えしましょう。

唯、江戸期前にご先祖が居て、その方の出身地が滋賀の出身として上山氏を名乗っていたとすると、滋賀の上山さんと観られます。
この滋賀の上山姓は、元は伊勢北部の伊賀の上山郷から出て来た農民の者が近江に出て来て、山賊集団を形成し力を得て、滋賀の土豪と成りました。これが関西の上山氏の出自です。
この上山を名乗った山賊は、「滋賀の青木氏」の断絶しかけた家の跡目も奪い「滋賀の青木氏」を名乗った事でも有名です。

然し、この上山姓が桔梗紋を家紋とする事は本来は「家紋掟」からありません。
そもそも、この「桔梗紋族」は、美濃の「土岐氏の家紋」で「源平の戦い」でこの一族一門は悉く滅亡して仕舞いました。
その後に、この滅亡した土岐氏の家紋を、元来は家紋の持たない上山姓の様な農民から武士に成った者等が、この文様を許可なく勝手に自分の家の家紋にする事が江戸初期と明治初期に起こりました。

恐らくは、お家は、江戸期に武士で無ければ、この明治期に名乗った上山氏だと思います。
明治3年と8年に全ての民は苗字を持つ事が義務付けられました。
この時に家紋も桔梗紋を使ったと観られます。
この桔梗紋に丸を付けて家紋としたのです。大変多くの民に使われました。
本来は、この「丸付き紋」と云うのは、分家が付ける事に成りますが、この桔梗紋族は、余り分家を遺さなくて本来は丸付き紋の桔梗紋家は、実は一族一門が完全に滅亡しているので少ないのです。
然し、一族の絶えた文様ですので、許可を得ずとも使える事から、逆に明治期に勝手に使われて増えたので大変多いのです。
最も多く使われた家紋と云っても良い程です。

もっとも、この家紋の文様は、「桔梗の花の色」が「紫」である事から、「紫」は色では「最上位の色」で、この「紫」を使えるものは、古来より朝廷の許可を得た「藤原氏や青木氏」等の「高位の身分」の者しか使えない色なのです。
ですから、この「紫色の桔梗紋」も当然に「高位の者」しか使えない「花文様」に成るのです。
「美濃土岐氏」は、「皇族賜姓族五家五流の美濃青木氏」の流れを汲む「土岐氏系青木氏」がある事で、この「桔梗の文様」と「紫色合い」が使えたのです。
然し、「賜姓族の氏是」に従わずに「源氏の血筋」を引いていた為に「源平の戦い」に参戦して仕舞って滅亡して仕舞います。
この時、「近江青木氏」や「近江源氏」も「駿河源氏」もこの「近江美濃の源平戦」に参加して「美濃富士川の戦い」で敗戦して掃討作戦で完全に滅亡しました。

因みに、「桔梗の紫色」と共に、「青木氏の象徴紋の笹竜胆紋」の「竜胆の花の紫色」は、「嵯峨期の詔勅と禁令」で使用は禁じられている「花文様」で「花色合い」なのです。

「明智光秀」が、この「美濃土岐氏の傍系支流末裔」と名乗って、この「桔梗紋」を家紋としたのですが、上記の禁令の事があって、この「花文様」は、兎も角も、「花の色合い」も「紫の花」としたので、「揚羽蝶紋」を「総紋」とし、「木瓜紋」を家紋とする由緒ある平家末裔の「信長」から、光秀は家柄を誇張しているとして嫌われたのです。
従って、この事が在って、この「花文様」と「花色合い」は無規則に多くの姓に使われる事に成ったのです。
本来は、使ってはならない「紫色合い」で、結果として使ってはならない「花文様」と云う事に成ります。
だから「桔梗文様」は、「126文様の類似家紋」も出来ました。
日本の家紋8000の中で、最も類似家紋の多い文様なのです。

これが桔梗紋の経緯です。

何故、この様に成ったかと云うと、江戸初期に成って社会に「権威」と云うものが無く成り、そこで「権威」を形成する必要から家康は、全ての農民から武士に成った全て者に対して、「武士」と新たに認める以上は「ルーツの作成」と「家紋の設定」を、「武士や大名をの身分を証明する黒印状」を発行する条件として義務付けました。
困った、農民から武士に成ったもの達は、「ルーツ」を作らねばなりませんので、他の家の「姓」と「家紋」を搾取して「ルーツ」を作り上げたのです。
幕府は搾取でも黙認し容認して「身分証明の黒印状」を発行したのです。
お家が、江戸期に武士であれば、この時に「上山姓」とこの「家紋」と「ルーツ」を作り上げた事に成ります。

従って、「桔梗紋の花文様と花色合い」では、「土岐氏の末裔」と云う事を証明する事は無理なのです。
そもそも「上山姓」は、「氏族」では無く「姓族」ですので、丸に桔梗紋はルーツ的に無理である事に成ります。
そこに、お家がこの「伊賀の上山郷の上山姓」を名乗った「姓族」(氏族では無い)ですから、この「桔梗紋の家紋(氏族の家紋)」は証明する事は出来ないのです。

恐らくは、江戸期には武士でこの「上山姓」であったとすると、「上山郷の上山」か「滋賀の上山」です。
「桔梗紋の土岐氏系青木氏」とは全く関係がありません。

一度、お家が江戸期には武士であったかをご確認ください。
お家の御本家に成る家にある「維新戸籍簿」には武士であったか、何処から来たかも記入していますよ。

武士であったとすると、「滋賀の上山姓」です。
丸に桔梗紋の家紋の事は疑問です。
最も勝手に多く使われた家紋ですので判別が付きません。

序に、お家の「上山姓」の「青木氏」は、室町期末期に千葉に移動しています。

ご質問が在りましたらご遠慮なくお尋ねください。
ご協力いたします。


  [No.1072] Re:うえやま
     投稿者:福管理人   投稿日:2015/11/11(Wed) 10:22:19

上山さん 今日は。
お返事いただきましたが、文章が処理の途中で消えて仕舞いました。
済みません。
代理投稿します。

>家紋の事は良く判りませんでした。いろいろと教えて頂きました。有難う御座います。
>これからも勉強して判ら無いところが在りましたらお尋ねしますので宜しくお願いします。


又、何か疑問がありましたら、ご遠慮なくご質問ください。