昨日お送りしました「美里町史」で他にきになった点を挙げさせて頂きます。
・北向神社(勝輪寺持ち)と記載されている。
寺が神社を持つとはどういう意味なのかが解りませんでした。
>「勝輪寺」の元は、古くはお家の「柏紋の神道」の「墓所」て、後に小寺を設けて「菩提寺」に成った事に成り
上記を指しているのでしょうか。
江戸時代前期の欄に以下記載がありました。
・勝輪寺 小茂田村、新義真言、児玉郡、本庄領、若泉庄、京都仁和寺の末寺
ここにも疑問を持ちます。
現在WEBサイトを見ると、真言宗豊山派:本尊 大日如来と記載されています。
wikiで仁和寺を調べると真言宗御室派:本尊 阿弥陀如来と記載されております。
同様に真言宗御室派を調べると、古義真言宗と記載されています。
本では新義真言宗と書かれていますので矛盾しています。
また阿弥陀如来を同様に調べると、信仰は浄土宗・浄土真宗と書かれています。
ここも何故真言宗御室宗が入っていないのでしょうか。
新義真言宗を調べると、豊山派の紹介がされています。
ぐるぐるとまわってしまいますが、
これはあまりヒントにはならないでしょうか。
本を読み進めて疑問になること・発見もありましたらここに載せさせて頂きます。