青木ルーツ掲示板
このフォームからは投稿できません。
name
e-mail
url
subject
comment

[掲示板トップ(ツリー表示)] [新規順タイトル表示] [新着順記事] [留意事項] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

  [No.1115] 兵庫の青木さん
     投稿者:福管理人   投稿日:2017/04/02(Sun) 17:13:36

「来場記帳」に投稿がありましたので、代理投稿します。


>現在、私は兵庫県神戸市に在住です。自分の先祖に興味を持ち、この青木氏のサイトにたどり着きました。こんなサイトがあるとは、びっくりですよね。
>家紋は、丸に左三階松。
>戸籍上でわかっている事は、私の曽祖父(鹿蔵)まで鳥取県の八頭郡志子部村に住んでおり、高祖父は源次郎であった事。
>その志子部村に昔は、青木姓がたくさん住んでいた事。宗派は、家系図を辿れば、おそらく1600年頃までは浄土宗、その後真言宗に改宗し、曽祖父(鹿蔵)は、黒住教の倉吉大教会の神主をしていた事等です。
>何かご縁のある方おられましたら、メールください。

兵庫の青木さん 今日は。
ようこそ青木サイトにお越し頂きました。
これからも宜しくお付き合いください。
全国の青木さんが自由に集うサイトです。
ヤフーHPでも他に比較しても断突の情報量を持つサイトで、「氏の出自」は遡れば奈良期初期に成ります。

お家のお便りを記帳欄にいただきました。
有難う御座いました。
そうですか、お家のご先祖は、お便りの通り歴史にもその事実が明確に成っています。
鳥取県の米子と八頭に定住した「二つの青木氏」の一つです。

実はこれには、ある経緯があるのです。
この事は既に、研究室やルーツ掲示板にも掲載していますので、後ほど詳細はご確認ください。

さて、一通りの概要を記述します。
先ず、此処信濃には奈良期より「朝廷の天領地」があり、これを護る「天智天皇の皇子」の「施基皇子の後裔の青木氏」が定住していました。
この「青木氏」は、「皇族賜姓臣下族の青木氏」で、つまり、「天智天皇」の「第六位皇子の施基皇子」等の「第四世族の真人族皇子」が先ず「伊勢」を始めとして、「五家五流の青木氏」を発祥させます。
この「皇子の後裔」は「志紀真人族」と云います。
この「敏達天皇の皇子」を始祖とする天皇家本流の「春日真人族の第四世族」の「施基皇子」で、且つ、この後裔の流れを持つ「志紀真人族」は、「近江王」、「伊勢王」、「信濃王」、「美濃王」、「甲斐王」として遙任し、「近江」と「伊勢」と「信濃」と「美濃」と「甲斐」の国の「守護王」として「国司」を置いて定住します。

其の務めは、「天皇」を直接守護する「近衛軍」を主務として形成して護ります。
この「五家五流皇族賜姓臣下族の青木氏」には、特別に「賜姓五役」と云う役が課せられていました。

ところが、「聖武天皇」の時には、男系の跡目継承が無く成り、結局は、「皇位準継承権」を持つ「伊勢の志紀真人族の施基皇子」の子供の「第四男の白壁王」(青木氏)に白羽の矢が当てられて、「聖武天皇」の「内親王の井上内親王」が嫁ぎ、この「施基皇子」の子供の「白壁王」が「光仁天皇」と成ります。

さて、そこで、「信濃王」の「後裔の氏の青木氏」には、現地の豪族の足利氏との血縁族の「足利氏系青木氏」が発祥します。

平安期960年頃に、この「皇族賜姓臣下族の青木氏」が、身内の天皇の「光仁天皇」の孫の「嵯峨天皇(桓武天皇の子供)」が、この「青木氏」を「嵯峨天皇の詔勅」に依って「皇親族」(天皇に助言する親族)から外したのです。
この為に、「賜姓五役の務め」が「国政」に行き届かなく成り、困った後の「円融天皇」が「武蔵の藤原秀郷の一族」にこの「青木氏の役目」を「補完する氏」として指名し、その代わりに、「藤原秀郷流一族」には、永代に第三子の(千国の後裔)には「青木氏」を名乗らせ、「皇族賜姓臣下族五家五流青木氏」と同じ「官位官職の最高職」を与えたのです。

そして、「鎮守府将軍」として陸奥に一族を派遣して「北国の安定」を図り、「五家五流の地」には一族を配属します。
この「秀郷流青木氏一族」と「五家五流の皇族臣下族青木氏」との「血縁族青木氏」が発祥したのです。
ところが、この「信濃」で問題が起ったのです。

元から居た「秀郷一門」の「本流の信濃足利氏」と、この分家に陸奥の豪族の花房氏の秀郷一門の血筋を受けた者をこの「足利氏分家」に入れて血縁して「秀郷流一門の発言力」を増そうとしたのです。

つまり、「同族争い」で、結局は、「本流の信濃足利氏」が負けます。
そして、この本流と血縁していて発祥した「信濃皇族賜姓臣下族の血筋」の持つ「足利氏系青木氏」(「秀郷流青木氏の血筋」も持つ「青木氏」含む)が、この本流の「信濃足利氏」の「秀郷流足利氏系の青木一族」を護って日本海沿いに「米子と八頭」まで逃げ延びたのです。
その後、この護衛役を務めた親族の「足利氏系青木氏」は、「信濃」にも戻らず、此処に定住して仕舞います。

そして、ここに「米子」と「八頭」に「青木村」を形成したのです。
(この「氏名」を村名とする事は、明治三年まで青木氏以外に認めていない。)
その後に、この「二つの青木氏」は宍道湖の東まで広がりました。

現在で云えば、「米子市」と「八東郡二分方」と「青木村」があります。

さて、お家は、この「二つの青木氏」の「足利氏系青木氏」と、「秀郷流青木氏」の「三つの血筋」を持つ「青木氏」、つまり、「三階松紋系の青木氏」です。
お家は、全く情報の通り「丸付き紋」ですのでその「分家」と云う事に成りますね。
平安末期からの「八頭の青木村」(八東とも書く)に住む「長い歴史を持つ青木さん」です。
「志子部村」は、その後に郡内に広げた村です。

詳しいルーツには、「研究室の検索」で「米子」か「八頭」で、ルーツ掲示板でも同じくお家の昔、「親族」であった人からのお便りもありますよ。

もっと古い御先祖の事は、「信濃の足利氏系青木氏」で検索してください。
元、「浄土宗」であった事は、「青木氏」は、奈良期より「古代浄土密教」であった事からも納得できるところですが、この元の浄土宗のお寺をお探しに成りますと、「過去帳」と云うものが「米子の青木村」か、「八頭の青木村」にありますので、お家のもっと「古い譜」が判るかも知れませんね。

尚、兵庫にも、「近江青木さんの末裔」が、摂津や堺には多く居られますよ。

では、何が判りました場合や判らない事がありましたら、ご遠慮なくお尋ねください。
お待ちしています。



- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 削除キー