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  [No.1119] Re:長野の青木さん
     投稿者:福管理人   投稿日:2017/05/28(Sun) 12:07:34

長野の青木さん 今日は。
早速、お便り頂きました。有難う御座います。

お役に立てて良かったと思います。
青木サイトのデータを読まれて判らない時など、是非、お便りをください。

この度のお便りにも、「家の事」を証明する事が出来る「二つの情報」がありました。

それは、「小林氏の事」と、「2のルーツ」をお持ちの事を証明する情報から、次ぎの事をサイトからも「青木氏の歴史観」としてお知られせする事がありましたので投稿致しました。

それは先ず、周囲に「小林氏」が多いと云う事です。
この事は「2のルーツ」の「お家の青木氏」と実は無関係では無いのです。
お家の「2のルーツ」の存在を証明する一つに成ります。

前回にご説明した様に、「皇族の真人族」が「朝臣族」に成って臣下した「氏族」ですが、これには「五家五流の青木氏」が在りますが、取り分け、中でも「伊勢」と「信濃」の「青木氏」は奈良期から明治初期まで同族でありながらも血縁関係が深いのです。

(注釈 「五家五流青木氏」 伊勢、近江、信濃、美濃、甲斐)

この時、「青木氏」の「氏族」としての「氏」は、”ある範囲の濃い血縁関係で維持していた”のですが、この制度を「家人制度」と「四家制度」と云います。

(注釈 「五家五流青木氏」は「賜姓五役」を務める為に「朝廷」より「ある純血範囲」を義務付けられていました。
天智天皇の第六位皇子の「施基皇子」を始祖とする事から、その「敏達天皇の春日真人族の第四世族」で同祖同門の「志紀真人族」である「後裔の青木氏」は、「准皇位継承権」を課せられていました。
その為に「天皇家の血筋の純血を保つ義務」があったのです。
そこで、「伊勢王の施基皇子」の子の四男「白壁王」(青木氏)が、「聖武天皇」の時に天皇家に男系が途絶えた為に、唯一残された皇女の「井上内親王」(「伊勢青木氏の白壁王」)がこの「伊勢青木氏」に嫁ぎ、「准の継承権」を持つ事でその権威から「光仁天皇」に成りました。
つまり、桓武天皇の父です。)

「青木氏の氏」だけは、室町期中期から発祥した「姓族」の様に、「血縁の無い家臣の契約」で構成されている家臣団では無く、「何らかの血縁関係を持つ家人」(四家制度)と云う主従関係で全体が維持されていた「特別の族」なのです。
この掟が「皇族賜姓族臣下族の宿命」でした。

その「伊勢青木氏の家人」の中に、「小林氏」が在りまして、「伊勢」を中心に分布し存在していました。

(注釈 「五家五流青木氏」の中では「四家制度」に依る「家人制度]と職能人に依る「青木氏部」と云う「二つの組織」で構成されていました。)

中でも「伊勢青木氏」と「信濃青木氏」とは、明治20年頃まで大変に深い関係にあって、その為に、「女系関係の血縁」で繋がっていて、「伊勢」より「信濃」に輿入れの際に「家人従者」として、その時に、「伊勢青木氏の家人」の「小林氏」が信濃に移動して定住したのです。

(注釈 逆に、「信濃」からの女系関係の血縁で「信濃」から、「伊勢」にも「神戸氏」の様な定住した「信濃の家人族」が在るのです。)

これは恐らくは、ご記入の情報の林氏等も「信濃」で拡がったこの「小林氏の傍系族」(分家・支流族)ではないでしょうか。
江戸初期か、明治初期の苗字令の時に、「傍系族(小林氏の女系の縁者関係)」が本家筋に憚って「林の姓」を名乗ったとも考えられます。

お家の周りにお家の「青木氏」に関わる姓があるのはその証明です。

次ぎは、「家紋文様の事」ですが、「1のルーツ」は「笹竜胆紋」で変紋しません。
従って、「分家」と云う形式もありません。
ところが、「2のルーツ」の「諏訪族青木氏」は「変紋」が起ります。(但し、総本家の宗家は起こさない。)
この「2のルーツ」の本家筋は、「総紋」として「1のルーツ」との関係から「笹竜胆紋」で原則維持されるのですが、矢張り、「宗家」を除いて「分家筋」は、前回のご説明の通り跡目継承で「変紋」が起ります。
お家は、この「変紋」が、2度起こっていた事が考えられます。
つまり、「総紋」(氏の象徴紋)を「笹竜胆紋」としながらも、「家紋」は「笹竜胆紋」から「梶紋」、そして「三階菱紋」に成ったと考えられます。

従って、お家の家紋の元は、総紋を「笹竜胆紋」とし、「宗家」はこの文様を維持していた筈ですが、三階菱紋の前は「諏訪氏の総紋」の文様の「梶紋」であった事にも成ります。
これは「2のルーツ」の分家筋にも依ります。

従って、「1のルーツ」に近ければ、「祖先神」の「神明社」が「氏独自の守護神」で、「2のルーツ」に近ければ、「諏訪大社」が「氏独自の守護神」と云う事に成ります。
「2のルーツ」の逃亡などでの「定住地移動先」では、「神明社」と「諏訪大社」が建立されていますので、両社を「氏の守護神」にしていた可能性が有ります。

(注釈 氏族は、独自の守護神を持つ事が出来る。)

「邪馬台国の自然神」に近い「庶民の信仰対象」であった「道祖神」にも興味をお持ちと云う事ですが、出来得れば「氏の守護神」の同じ自然神系の「祖先神の神明社」(伊勢神宮の皇祖神の子神)や「諏訪大社」もお調べに成ると、「青木氏の歴史観」をより深く獲得できると思います。
研究室にこれらの事は論じていますので御参照してください。

然し乍ら、「三階菱の家紋」から、両方と云う事もありますが、お家の家筋は、「梶紋」の「諏訪大社」と云う事かなと考えます。
「何でもない一寸した情報」から、この様な事が判りますので、先ずは、「研究室やルーツ掲示板の情報」を獲得されて独特の「慣習仕来り掟」を持つ「青木氏の歴史観」を高められれば、この「一寸した情報」を掴む事が出来ますので、お読みください。

この事は「研究室の伝統シリーズ」の中にも論じています。
参照してください。



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