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  [No.1127] Re:青木一貞の6人の男子の名について
     投稿者:東京の仁太郎ー   投稿日:2017/09/21(Thu) 01:22:17

今晩はお久し振りでございます。

あれから、色々調べまして、自身の家系を明らかにできました。

古川家は対馬藩重臣で家紋は桧扇です。
維新後当家は三つに分かれます。
本家、分家1大阪天満橋付近家紋は○に蔦、分家2最初広島能美島に移住。
家紋は○に沢瀉。後に兵庫県へ移住。本家は対馬の前は豊後であり、その前は日向であり、その前はもっと東国で元々は武蔵七党猪俣党となります。

対馬藩は朝鮮通信使受け入れを担っており、藩邸を大阪、京都、江戸に持っていました。
古川家は通訳、儒学者の雨森芳洲をも先祖とし、藩主宗氏からも2度婚姻関係となり、従って公家の日野家は遠戚です。
後に古川図書が出て儒学、藩政の両面で活躍します。
幕末になり、時の古川の嫡男は、京都の公家正○○○○家から室を迎えます。
後の嵯○○愛とその妻○茂の娘です。古川嫡男とこの娘の間に茂○彌と多○という兄弟が産まれます。
そして、何れも麻田藩青木氏の娘を室にしています。

興味深いことに、池田氏の血筋を引いた系と一方は佐竹氏の血を引いた系となります。
そして、茂○彌の嫡男と多○の娘は結婚しています。
これが曾祖父と曾祖母です。結果、池田と佐竹両方の血筋を引くことになります。
従って青木一貫の実家伊達氏とも縁戚、従って公家村上源氏久我家も遠戚。従って四条家も縁戚、従って平清盛は直系の祖となります。
嵯○家を遡れば稲葉氏、織田氏、木造氏、北畠氏。別の方向で遡れば中院家。伊達氏を遡れば、三沢初子。
その上に氏家卜全、宍戸氏、内藤氏、山内氏、吉川氏、小笠原氏、尼子氏、京極氏、佐々木氏、五龍局から毛利元就。
傍系に小早川隆景。佐竹氏を遡れば上杉氏、奥州藤原氏。

青木氏を遡れば、来島氏、木下氏、安芸浅野氏、浅井氏、加賀前田氏、徳川秀忠、徳川家康、お市の方。
嵯○家からは戸田氏、松平戸田康長、戸田氏鉄。正親町西家、加賀八家美濃前田氏の前田孝行。西洞院家、本多政重、本田正信。池田から生駒氏、藤堂高虎。
分家1の蔦紋は戸田氏、藤堂氏から。
分家2の沢瀉は毛利氏、水野氏から維新時に自由に定紋としたものだったのです。

これ等が全て祖母の系。戸籍に『嵯○○愛』とあり流石にこの事実は歪めようがありません。
祖父の系は、妹尾兼康直系、伊賀氏、明石氏、尼子十旗の熊野氏、伊予金子氏、祖を原彦右衛門とする長州小松氏、渡辺氏、宇高氏、
そして喜入肝付氏、根占氏、島津氏、久松松平氏、桜井松平氏。
私は小松帯刀同様根占清房からの直系となり従って日本武尊直系となります。



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