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  [No.1137] Re:伊勢射和郷士商人の謎について
     投稿者:副管理人   投稿日:2018/06/01(Fri) 18:02:32

前田さん ご無沙汰です。

「射和に関する論文」をお読みいただき有難う御座います。

これらの事を網羅していた青木氏の本家が抱えていた資料が、出火消失や室町期の騒乱で相当に遣られたようで、それを興すことに若い時から始めて随分に苦労しました。

従って、一族や関係族が抱えていた資料を読み漁り、組み立てて行く根気のいる作業の連続でした。
「時代考証」との結果から辿り着いた答えです。

未だ、「紀州藩」や「青木氏族」や「秀郷流青木氏」等を救ったと云われる「射和郷士」が関わった「殖産」は、本来はもっと「歴史に名を残すべき郷士衆」です。
然し、あまり知られていません。
本論がその一助と成れば幸せです。

江戸期には、「郷士」の「射和商人」は「御師制度」を復活させて、「商業組合」を「新しい時代」に作り直し、自ら「御師札(おんしふだ)」(現在の紙幣制度の原型)を発行して、「伊勢の経済」のみならず「大坂の経済」もこれを真似て復興を遂げたすごい歴史を持っています。

「御師制度(おしせいど)」は「青木氏の古来の伝統の制度」で、「青木氏の福家(本家に相当)」は「氏上様」とか、「技能職人集団」の「青木氏部」を総括していたので「御師様」と呼ばれていました。
そこから、「射和商人」はこの制度を「商人用」として利用して「御師制度(おんしせいど)」の「経済システム」を構築したのです。

そして、その「商い」が、「伝統」ある「伊勢の郷士」の姿勢を崩さない「商人」であった事が記録されていて、現在もその町の佇まいを遺しています。

現在、空き地に成っているのは、当時、殖産等を興す場合は、新たに土地を開墾するなどして使わねばならず、山を開墾したり、低地、湿地を埋め立てたりして興さねば許可は出ませんでした。
また、農地であれば、次男以下は土地の引き継ぎの権利が無いので、新たに畑地等の開墾しなければ、街に出て賃仕事などして生きて行かねばなりません。
この二つの問題を解決するのが、殖産の一つの目的でした。
この膨大な金額のいる事がてぎるのは大豪氏や大豪商以外には無く、紀州藩から許可をとって地権を獲得して興さねばならないのです。
これを「畑方免令「」といって、殖産などを興した者に。免税などの特権を与えました。
従って、「殖産」を止めれば、その土地は空き地に成るのです。
明治9年、或いは、明治35年を以って青木氏と伊勢屋はこの殖産から手をひきました。
従って、地権は無く成り、その地の行くすえは空き地と成ったのです。

つぎの「伝統−41」でも論じていますので、見直した後に近日中に投稿します。
それをお読みに成って、又、お便りください。
ではお待ちしています。



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