青木ルーツ掲示板
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  [No.251] Re: 三つ盛り州浜
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/21(Wed) 10:20:45

Re: 三つ盛り州浜
副管理人さん 2007/03/12 (月) 20:40

青木さん 今日は。

ようこそお出でくださいました。これからも青木さん同士コミニケイションを計りましょう。

さて、ご質問ですが、
御家の家紋が「三つ盛州浜紋」ですが、この青木一族に付いての詳しい内容はこの研究室の「青木氏(家紋)と血縁族」の州浜紋のところのレポートをお読みください。詳しく書いています。
御家のルートは藤原秀郷流青木氏です。
この藤原秀郷流青木氏に付いてはこの研究室の「藤原秀郷一族の生き方」のところに詳しくレポートしていますので参照して下さい。
そして、これ等の関連のレポートを沢山研究室にありますし、多くの元親族の青木さんからのお問い合わせなどもレポートしていますのでゆっくりと楽しんで御読みください。青木氏のこと全てがわかります。
先ずは研究室のメインメニューあたりから読まれると良いと思います。

そこで、青木氏は主に2つのルーツから発祥しています。
一つは皇族賜姓青木氏です。
概略だけ書きますが、天智天皇の第6位皇子が天皇の親衛隊と成る為に臣下して侍となり、先ず初代の青木氏を発祥しました。これが施基皇子を始祖とする伊勢青木氏です。そして、その後、4代の男系天皇がこの仕来りに従い第6位皇子を臣下させ、侍とし、賜姓(天皇が自ら皇子に氏を授けること)し近江、美濃、信濃、甲斐の守護王として配置して守らせました。これが5家5流の賜姓青木氏です。この青木氏より24氏に分流しています。

もう一つは藤原秀郷流青木氏ですが、主要直系1氏、直流4氏、支流4氏の9氏からなり116氏にも拡がっています。

御家はこの中の一つで、直流4氏のうちの一つの一族です。大変古い名家の青木氏です。
藤原秀郷より4代目兼光くらいのところでこの三つ盛州浜紋の一族との血縁を結んでいます。
年代にすると概ね980−1000年頃位かと考えます。
少なくとも、約1000程度の歴史の有る御家と成ります。この御家の元親族の方の投稿がこのサイトにも多くありますのでお読みください。

さて、この2つの青木氏が「守」として成ったものを時代性無視で列記しますので参照ください。そこで筑後守のことに付いてご説明します。

青木氏の守護職

摂津守、伊豆守、豊前守、甲斐守、尾張守、伊勢守、信濃守、近江守、美濃守、下野守、武蔵守、遠江守、駿河守、出羽守、美作守、和泉守、志摩守、紀伊守、伊賀守、以上18です。

藤原秀郷の一門は全国66国の内の24国での守護職を務めています。

これは800年頃から江戸期までの青木氏が朝廷から任命された守護職です。
この武蔵守あたりまでは朝廷より確実にその土地の守護として政治を執り行っていました。

この守護職は確実にその職と統治と一致しているのは鎌倉期までの1期と、下克上と戦国時代の混乱期の2期と、江戸中期頃以後の3期とでは「守」の意味と内容が異なります。

第1期は守護と官職は一致していますが、
第2期は下克上で守護などが襲われて無くなり力の強いものが滅ぼした「守」等を勝手に名乗る混乱期でその正誤は明確ではありません。
第3期は衰退した朝廷に高額金品を渡して名誉職として得て、統治国とは全く関係の無い「守」を取得するなどの慣習が流行りました。江戸幕府はこれを黙認目視して朝廷の隠し収入として黙認しました。

さて、そこで御家の「三つ盛州浜紋」は大変古い藤原秀郷の兼光系一族ですが、由緒有る一族ですが、陸奥の小山氏や小田氏の系列ですので、陸奥から武蔵に帰り、鎌倉期で全藤原一族は崩壊しましたが、各地の藤原氏は仕官先を探して各地に分散しました。室町期と江戸前後の混乱期を経て肥後に移動して定住したと思います。
そこで仕官したのか、守護職になったのか判りませんが、「守」を名乗るとすれば大名ですから肥後国には青木氏の国は有りませんでした。
そこで、もし、肥後守を名乗ったとすると第3の「守」と成ります。
更に史実的に青木氏の「守」は肥後の守はありませんので、第3期代の名誉職としての「守」と成ります。

御家は医者であったとすると頷ける点です。当時の大名のお抱え医者だけは大名の権威を高める為にこの名誉職を衰退した朝廷に働きかけて名乗る事がありました。
江戸期の無力の朝廷は家の壁が剥れていても直すことが出来ない程度に幕府から押さえられていました。
江戸中期以降は、この状態を見越して多くの「守」が出てきたのです。

ですから、無規則に出したのです。中には紀伊守、伊賀守、伊豆守等の様に問題の起こらない様に天領地にたいしてダブって出したものもあるのです。

「三つ盛州浜紋」の家紋からも探してみましたが見つかりませんでした。

今の御家の情報ではこの程度の事しか判りません。
他に何かわかりましたら又ご遠慮なくお便りください。ではお待ちしています。



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