青木ルーツ掲示板
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  [No.256] Re: 群馬の青木です。
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/21(Wed) 10:28:37

群馬の青木さん 今日は。

お久しぶりです。去年の10月以来ですね。

お彼岸でお墓参りされたそうでよかったですね。
さて、ご先祖のお名前が、忠右衛門さんとの事ですが、実はこの「..右衛門」の「右衛門」と言う名は朝廷の官位なのです。
「左衛門」と同じく官位で、朝廷の宮殿を守る官位役職です。近衛兵です。宮殿には「右側の門」と「左側の門」とを近衛兵が守っていたのです。
この近衛兵は天智天皇が定めたもので、蘇我氏に「軍事、経済、政治」の3権を牛耳られていた反省から、大化の改新の「18改革」と「10活動」改革の一つとして実行した制度で、第6位皇子を臣下させて侍とし、賜姓(青木)を授け、親衛隊としたものです。

これが伊勢王の「施基皇子」を始祖とする初代の皇族賜姓族の「伊勢青木氏」です。
この時、「天智天皇」は更に、「冠位制度」と共に「7色の姓制度」という制度を施行しました。
この中の一つが「衛士」制度というものがあり、宮廷の各門を守らせる徴兵制がありました。
この「衛士」には各地から身分の高い氏の若者を選びました。
そして、これ等の「衛士」を青木氏が指揮していました。つまり、親衛隊の近衛兵です。

この名誉ある近衛兵の指揮する青木氏らの幹部に与えられた官位として、次のようなものがあります。
左衛門
現代の軍隊であれば、下士官で軍曹に当る。5家5流の支流24氏はこの冠位を与えられた。
右衛門
現代の軍隊であれば、下士官で軍曹に当る。5家5流の支流24氏はこの冠位を与えられた。
左衛門尉 
現代の軍隊では士官級で少尉から大尉に当る。この階級を3つに分けられていました(少、中、大)
右衛門尉
現代の軍隊では士官級で少尉から大尉に当る。この階級を3つに分けられていました(小、中、大)
左衛門佐
現代の軍隊では上級士官級で少佐から大佐に当る。この階級を3つに分けられていました(小、中、大)
右衛門佐
現代の軍隊では上級士官級で少佐から大佐に当る。この階級を3つに分けられていました(小、中、大)

左兵衛府
右兵衛府
親衛隊の近衛兵の指揮官。諸国の郡司の子弟などから兵衛を率いて、宮門の守衛や行幸の警護などを担当した。
民部丞尉(民部尉)
現代の軍隊では准将から大将に当り将軍位です。伊勢青木氏他4家の青木氏はこの冠位です。

例として、「北面武士」、「西面武士」ということばがありますが、「北面武士」は北側の門を守っていた近衛兵軍団です。
「西面武士」西側の門を守っていた近衛兵軍団です。
後に、天皇と北条氏と戦いましたが、この時にこの「西面武士軍団」が戦いました。

藤原秀郷一族はこの左衛門佐、右衛門佐の官位を代々授かり、この藤原氏は後に佐を採り「佐藤氏」と名乗ったのです。
左衛門の冠位を授かった藤原秀郷一門は左を採り「左藤」と名乗ったのです。

この様に、護衛隊の賜姓青木氏に与えられた職位ですので、この名誉を守り、名に左衛門、右衛門を付け前に区別用の文字をつける習慣がありました。
特に、近江の青木氏にはこの「..右衛門」の官位を名にしたものが多く襲名として引き継がれてきました。
伊勢は親衛隊の左右兵衛府の官職を担いましたので、「..長兵衛」の代々襲名として引き継がれて来ました。

御家のルーツは抱き角紋の諏訪族青木氏で24氏の一つですので、代々この「..右衛門」を襲名していたのではと考えます。しかし、江戸時代末から明治にかけて誰でもが使うようになりました。

江戸時代初期までは、厳格にこの官位の名を使用する事は青木氏や藤原氏らにて守られていました。

群馬の青木さん この様にご先祖の名には由緒あるお名前ですので引き継がれて来たものと思います。大切にしてください。大正時代までは普通の名に成っていましたが、元はこの様な青木氏と藤原氏に関わるもので意味を持っていました。

又、何か判りましたら、是非お便りください。お待ちしています。



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