長嶋さん 今日は。
ご返事お読み頂いたようですね。
さて、では早速ですが、今度のお尋ねにお答えします。
そもそも、九州の長嶋さんに関しては、お答えする資料が無いのです。
実は私の資料ではなく、”九州には遺されていない”という事が一つと、当然にもう一つはこれも研究されていないと云う事なのです。
この2つの事はある理由があって遺されていないのです。
端的にお答えすると江戸時代の薩摩藩と幕府の関係からなのです。
ご承知と思いますかが、徳川幕府は江戸初期から薩摩藩に対して極めて警戒していたのです。その為に薩摩には多くの隠密を送っていました。
薩摩藩としては何か弱みを握られないようにする為に色々な工夫をして守ろうとしました。
例えば、家計図は弱みを握られた場合芋蔓式に関係者を割り出されてしまいます。拠って必要以上に遺さないようにしたのです。
極端な例として薩摩弁には主語を出来るだけ無くして話す事や人称を逆にして話す事や言葉を判らない様に別の言葉に変えて話す事等を徹底して講じたのです。
特に、長嶋氏は肝付氏の血縁族で島津氏からも血縁を結んでいますから余計に警戒をしたのです。
大まかなところは遺されていますが、「出自」とするところは見つからないのです。
そこで判る範囲でお答えします。
先ず、家紋ですが、この肝付氏の永嶋氏、長嶋氏は家紋は主に「三雁金」紋です。通名は断定は出来ないですが「兼・」と「種・」です。
大まかに次ぎの三つに分けられます。
1 出自明確 本宗家筋 17氏とその支流
2 出自不明 支庶流筋 5氏とその支流
3 出自不明 同族明確筋 12氏とその支流
今回お尋ねの永嶋氏、長嶋氏又は長島氏に付いては次ぎの傾向を持っています。
1は永嶋氏、2は長嶋氏、3は長島氏として分類が概略出来ます。
1の永嶋氏は大蔵氏系列に見られます。通名は主に「種・」
2の長嶋氏は両方に見られます。「通名]は主に「兼・]
3の長島氏は肝付氏系列に見られます。「兼・」か無し
2の支流には「丸に桔梗紋」も観られる。
お尋ねの堂崎城の件は3の分類に入ります。
これは一族一門の家筋を明確にしていた仕来りであったと観られます。
関東の藤原秀郷流永嶋氏では永嶋と長嶋を仕来りとして採用しています。長島氏は未勘氏か第3氏です。関東結城の秀郷流永嶋氏の総宗本家は綜紋「下がり藤]紋で34氏とその家紋類があります。(家紋はレポート参照)
九州の永嶋氏は元はこの34文様の家紋群のどれかに成りますが不明です。
「三雁金]紋は信濃足利氏の元祖の陸奥花房氏の家紋です。
元寇の役で現地で血縁して後、男系継承が叶わず養子先(足利氏系列)の家紋が引き継がれた事に成ります。
御家のご家紋の根笹紋には辿り付けません。
根笹紋は愛知尾張三河一帯の家紋群ですので、現在地に定住された時に家紋掟により変紋を余儀なくされた可能性があります。大元は研究が届いていない為に不明ですが江戸期前後の元は「三雁金」紋であった可能性がありますが、現在では特定は出来ません。
以上ですが、何か有りましたらご遠慮なくお尋ねください。