お返事ありがとうございます。
福管理者さんの説得力のあるお答えに関心するばかりです。
現在は、青木氏研究は膨大な資料なので福管理者様のお答えと照らしながら、家紋の掟、藤原氏秀郷流永嶋氏から読ませて頂いてます。
また、5点ほど疑問が出てしまいまして、直接、ご先祖と関連してくるのかという所なんですが。
1.明治前60年くらいの文政の頃から「ナガシマ」の姓名を持っていたので武士であった事を示すとのこと でしたが、武士であってもこけら屋を営んだりすることがあるのでしょうか。
2.『江戸期までは肝付氏系長嶋氏は島津氏薩摩藩の家臣で有って明治には失職します』とのお答えがあ りましたが、肝付氏系長嶋氏は、どのような家格にあったのでしょうか。
3.薩摩から愛知に来たご先祖の長嶌太吉の15〜20歳前半のあたりに、薩摩藩の誰かが主導となって 血判のもと同士となり成し遂げようとしていた出来事があったのでしょうか?どうも、それに太吉さんは 関係しているようなんですが。
4.肝付氏、肝付系長嶋氏と備中高松城城主、岡山藩、高松藩と男女問わず関係している人物が存在す るしますか。
5. 『根笹紋は愛知尾張三河一帯の家紋群ですので、現在地に定住された時に家紋掟により変紋を余儀 なくされた可能性があります。』とのことですが、地域の有力者との関係で根笹に変えざる終えなかっ たということでしょうか。また、薩摩にいたときの紋を出すとまずいこともあったのでしょうか。
突拍子もない質問もありますが、よろしくお願いします。