青木ルーツ掲示板
このフォームからは投稿できません。
name
e-mail
url
subject
comment

[掲示板トップ(ツリー表示)] [新規順タイトル表示] [新着順記事] [留意事項] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

  [No.793] Re:静岡の長嶋です
     投稿者:福管理人   投稿日:2011/08/19(Fri) 08:11:34

今日は 静岡の長嶋さん 

毎日、暑いですね。
さて、早速ですが、お尋ねの件ですが、この家紋に付いては判りません。

この雁金文様は鎌倉時代に頼朝より土佐坊昌俊が授かったものですが、その後多くの武士がこの文様の変紋を使うように成りました。凡そ53の文様があります。
その多くは江戸初期に農民などが戦国時代に武士を志して立身出世して江戸期に正式な家臣として取り立てられた者が、「姓」を形成する事になり苗字と家紋を慌てて持つ様に成りました。
この53の家紋の多くは江戸初期のもので「姓氏」の使用する家紋群です。中には有名な信濃真田氏の支流も使っているようですが、この月輪に豆雁金紋はこの時期のものです。雁金紋は主に四国と中部地方に分布する文様です。
依って、秀郷一門の名跡の長嶋氏の末裔がこの家紋を使う事は論理的に有り得ません。
藤原氏系長嶋一門の家紋は34から成り立ちますが、これに九州大蔵氏系長嶋氏の家紋を入れると38から40程度と成ります。34の長嶋氏の文様はサイト研究室の中ほどにあるに「 藤原秀郷主要5氏と家紋の研究−永嶋氏との関係」のところにレポートしています。ご覧下さい。
江戸期に使用したこの家紋とは時期が異なる為にルーツが異なっています。従って無関係です。
仮に有るとして、苗字と家紋を江戸期に勝手に使ったものですから恐らく「第3氏」の「姓氏」(かばねうじ)と成りますので、長嶋氏の「氏」(うじ)とはそもそもその出自出所が異なっています。
歴史の雑学として、「氏」と「姓」との2つがある事をご承知ください。氏名と姓名です。
長嶋は氏名の方です。この判断を観てすればこの月の輪は長嶋氏とは異なる事が直ぐに判ります。
氏家制度の中では血縁の慣習は「家柄」「身分」と「吊り合い」を前提として原則進められましたので、長嶋氏にとってはこの文様は、少なくとも江戸中期のころにこの氏家制度が後退しましたが、この頃までには無いと考えます。江戸初期からしますと150年程度と成りますので3代か4代程度の姓氏に成っている程度ですのでまだ到底長嶋氏との血縁までの子孫数はないと考えられます。
まして、九州の長嶋氏となると先ずは無いと成ります。
現在家紋は8000程度ですが、氏としての家紋は凡そ1200程度でその中でも「家紋200選」と云うものがありまして、その中にある家紋は主要家紋と成ります。サイト研究室にレポートしています。
九州長嶋氏の三雁金紋はこの中に有ります。
前回レポートの内容も踏まえて少しづつ歴史の雑学をお持ちになられればより判断が着き易くなると思います。サイトにはこの雑学がたくさんありますので是非お読みください。

また何なりとご質問ください。以上です。



- 関連一覧ツリー (◆ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 削除キー