青木ルーツ掲示板
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  [No.830] Re:静岡の長嶋です
     投稿者:福管理人   投稿日:2012/01/23(Mon) 11:44:15

長嶋さん 今日は。

さて、早速ですが、ご質問にお答えします。


>根笹紋は太吉さんの奥さんの実家先の家紋(大庭氏では?)かも知れませんね。』
>太吉高祖父の奥さんの旧姓は『牧野』といいます。なので、大庭氏との関わりは無いかと思われます。りわ高祖母の父は、戸籍には牧野喜平との記載がありました。

大庭氏の件ですが、少し歴史雑学から違っていますよ
「庭」には仏教用語としてほかにいろいろな意味を持ちますが、この場合は大庭氏の事を暗示しているのではと観ています。
そこで、大庭氏は奈良期から平安初期に掛けて発祥した数少ない珍しい「氏」の一つで、皇族は奈良期初期までは天皇が代わる度に広がる皇族を第6世までを皇族として制限していました。大化の改新で第4世族までとしました。従って、第7世族以降の元皇族は、臣下して「武家」を形成して坂東の守護に配置される慣習に成っていました。これらの「臣下族」に対して「ひら族」(平族)と賜姓して皇族から一挙に切り離したのです。
この「融合氏」(青木氏のレポート参照)は20−40くらいしか平安初期にはありませんでした。これが「坂東八平氏」(第7世族以降の賜姓の臣下した武家族の平族の事 桓武平氏の「たいら族」とは異なる)この「坂東八平氏」の一つが「大庭氏」の「氏」です。一段下の「姓氏」ではありません。

例えば、秀郷一門の「藤原氏」は361氏ありますが、佐藤氏や伊藤氏や工藤氏や斎藤氏等色々ありますが、これ等は「藤原氏」と云う「氏」で括られ、この下に「姓」が発祥して枝葉の末裔が広がります。
以前書きました様に肝付氏も42氏にも枝葉末裔は拡がっていますよ。
日本にはこの広がり方には幾つかのパターンがあります(研究室のレポート参照)
現在、「氏」と言っているのは殆どは「姓氏」の事です。氏名、姓名がある様に氏が大きくなると姓氏も生まれて来ます。
「姓氏」にも藤原氏の様な縁者の「姓氏」と阿多倍一門の様な配下の職能集団の「姓氏」もあります。(海部氏等)
「坂東八平氏」の様な「皇族血縁族」の「氏」の枝葉末裔の「姓氏」もあります。
因みに、その中でも本サイトの「青木氏」が「氏の発祥源」なのですが、「青木氏」は「第2世族」の「第6位皇子」の「賜姓臣下族」の「武家の発祥源」で、その為に「姓氏」を発祥させない唯一の「融合氏」の「基氏」なのです。
大庭氏はこの数少ない「氏」の「氏名」(姓名ではない)です。
この「大庭氏」から数多くの「姓氏」が鎌倉期以降に枝葉末裔が出ています。
お家が云う「牧野氏」もこの「大庭氏」の枝葉末裔の「姓氏」であるかも知れませんね。
牧野氏の枝葉を調べると判りますよ。例えば、鎌倉執権の北条氏もこの枝葉末裔です。
太吉さん関係者か源吉さん関係者がこの大庭氏に繋がる何かを持っていたとしたら、一つのストーリーが生まれる可能性があります。

それは幕末九州長島氏か長嶋氏か永嶋氏であって商人としてこの地域に島津藩の者として来て活動するには長嶋氏等を名乗る事は三河は松平氏の膝元で危険であり商人として来ているのですから名乗りは変える必要があり、「綜紋」の「三雁金の家紋」も危険です。この結果、70年近くの間に忘れ去られた可能性があり、そこで維新後その危険性が無くなり3年8年の「苗字令」によりもとに戻すことを源吉さんは決断したが、長嶋氏は元に戻せたが家紋は不明か消失したために源吉さんの実家先の家紋か太吉さんの奥さんの実家先の家紋を使用したと考えられます。その家紋先が地元名籍の大庭氏に繋がる家紋を採用した方が得策だと言う事に成ったのではないかと観られます。肝付氏一族一門長嶋氏の綜紋は三雁金紋ですが、お家の長嶋氏の家紋が果たして「綜紋」を引き継ぐ宗家筋であったか証明するものがなく判らなかったし、まして「商家」に成っている以上は「家紋消失」と考えて「根笹紋」にして源吉さんルーツか太吉さん奥さんのルーツの長嶋と根笹の2ルーツ名乗り変えをしたと考えられます。
いずれにしても戒名から長嶋氏宗家筋などを示すものは「菩提寺等」ではなく「院殿居士」も無い等戒名にはそれを超えるものは見当たりません。まだ時代の慣習は10年もたっていないこの時期にこの戒名ですので無理だと思います。宗家筋の者で祭られる過去管理をしていた菩提寺に戒名付けや分骨や永代供養などの作法習慣もしていない事になるので源吉さんが採った手続きは納得できる行為と見ます。
このためには源吉さんは太吉さんの戒名には「庭」にし、自分の戒名にもそれを読み込んだとすると納得できます。

>気になっているのは、 太吉さんを真ん中に右にりわさん、左に禅定尼さんが墓石に掘られているのですが、不明の戒名:玄少(妙)雲如用禅定尼(?−天保13年12月卒)です。
>太吉さんとりわさんは、亡くなる年、天保13年3月に結婚してます。(りわ27歳、娘とめを34歳で生んでいる)

「・・禅定尼」とは主に未婚の子供・幼児の女子に付ける戒名の判別用語です。「妙」と云う幼名の故人と見られます。
つまり、生まれて間もなく死んだ、或いは死産や水子に付ける戒名です。一つの墓石を造りここにこの様な人を集めて祀る墓石です。何処の氏にも設けるものです。最近はこの風習は無くなり全て「・・家先祖累代の墓」の一つの墓石に集めて弔う傾向があります。
以前は墓所の片隅にこの墓石を設けて分けて弔う習慣がありました。

>「坂東八平氏」の一つの「三浦氏」から「和田氏」→「杉本氏」→「杉浦氏」となっているのでそちらとの繋がりで、大庭氏と言うことはないでしょうか?

その可能性も否定出来ません。詳しい事はご本家の「周囲の人」が知っている筈です。


>鹿児島市史の「薩州鹿児島衆中屋敷御検地帳」寛永13(1636)年に長嶋次右衛門という方が、新堀より上に住んでいた記載について、以前触れましたが、鹿児島県史料集「薩陽過去帳」32頁、芝の皿子町にあった大円寺(江戸)のものに、肝付次右衛門(戒名:露巌良体居士)元禄11(1698)戌寅年七月卒がありました。やはり、長嶋姓ではないので、同一と考えるのは難しいですよね。

長嶋氏は肝付氏が基氏ですので、その人の肝付氏の本流の流れに近い人、本家筋の人の場合は長嶋氏を名乗らず、上格の肝付氏を名乗る事が慣習に成りますので、難しい判断と成ります。
まして前回で肝付氏は長嶋氏と同格に成るほどの家格ですので、基氏を名乗る事が強いと考えられます。何せ長嶋氏は藤原秀郷一門の関東の族ですからね。大蔵氏の民族氏の強い南九州では、実質血縁では同格に成っていても、氏から観たら関東から見たらトップの氏の格ですが、九州の大蔵氏の圏域では1段か2段も下に成る氏の格と観られます。
従って、名乗りは本家筋の者は肝付氏を名乗る事に成るのは必然です。
例えば、斎藤氏としますと齋藤氏は秀郷一門のトップクラスの家格ですが、イザ公の場で名乗るときは齋藤では迫力がありませんから、藤原氏を名乗る事に成ります。
従って、昔は「藤原の朝臣 齋藤の・・」で氏と身分官位官職家柄全部を名乗る事に成っていたのです。簡単に「藤原の・・ 斎藤の・・で御座る」と。

史料がどちらを選ぶかによると思います。上記した様に「氏」とするか「姓」とするかの扱いの問題ですので同一であるかを調べる必要があります。
青木氏の様に枝葉末裔がない氏もありますが、藤原氏や大蔵氏や肝付氏等の「氏」は大きな枝葉末裔の「姓」を持っていますので、注意が必要です。
資料の意味合いに依って何処の処を名とするかはその資料の目的に依ります。
検地帳では検地の目的からは戸籍と税の関係ですから長嶋氏と成りますね。
史料集だと逆に肝付氏と成りますね。
日本の歴史は氏などの慣習に関しては深く入り組んでいますから何時の場合も必ず歴史に関してはその資料の内容如何に依りますのでそこを考察される必要がありますね。

>鹿児島県史料集「薩陽過去帳」には、92頁に肝付十右衛門(戒名:円山了覚居士)明和6(1769)巳丑年9月卒、『右衛門』では亡いのですが、肝付吉兵衛(戒名:活獅龍騰居士)元文2(1737)年11月卒我の記載されていました。
>鹿児島城下絵図 文政4(1821)に長島勘右衛門とともに肝付五右衛門という方も住んでいるので、そちらの関係なのかななんて考えたりもします。肝付家の添書にはこの方々は存在しているのでしょうか?

添書では肝付氏の本流に関わった人が記載ありますが、この幕末の時代の所に関しては筆者は添書には詳しくはありません。
戒名が異なる事が一つの判別手段ですので、昔は上級武士以上は寺や神社が戸籍や経歴管理を担当していましたので法名や寺等から判別する事が必要です。
上記の2人の人物は戒名から観て肝付氏でも支流・傍系の枝葉末裔の人で別人ではないかと見られます。

歴史を紐解く事は丁度、クイズだと思います。周りにある要素と自分が持つ雑学を駆使してどの様にクイズを解くかを頭を働かせるものだと私は思います。
”「周りの要素」をより多く集め、「自分の雑学」を如何に広げるか”にかかって来ますね。

現在では氏も姓も同じものと観られていますが、昔の氏家制度の中でははっきりと社会習慣の中では区別されていたのです。契約社会の現在感覚で過去の社会を観る事は大した意味を持ちません。
「氏」には出所の違う色々な特長を持つ「氏」、「氏」では無く「姓」も出所や特長の違う「姓」があります。
これ等の雑学は青木氏のレポートに記述していますが、ルーツを紐解く場合に於いてはこの雑学の介添えや習得が無ければ殆ど紐解く事は困難です。
青木氏に関しての範囲からですが、この雑学は研究室等に記述していますので是非に参考にしてください。
今もシリーズで雑学の論文を投稿しています。
では又お便りください。



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