青木ルーツ掲示板
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  [No.832] Re:静岡の長嶋です
     投稿者:福管理人   投稿日:2012/01/25(Wed) 12:15:09

長嶋さん 今日は。
早速のお便りありがとう御座います。

さて、先ずは次ぎのお尋ねですが、
>太吉:本庭英心信士
>源吉:本性良源信士
>源吉さんの『本性』の部分が読み込んでいると言うことでよろしいでしょうか? 

前回お答えいたしました様に この戒名に関しては ”「周囲の方」”が”どの様な経緯の情報”を持っているかによります。
仏教には長い間の慣習があって、且つ宗派がありその慣習に関する考え方が異なります。
とりわけ、密教3宗と其の他の宗派との間にはこの慣習の取り扱いが大きく異なります。
特に、禅宗系は異なっている様で「物事の解釈」に禅門的な判断を要求されます。
筆者には苦手な難しい宗派のひとつです。
そこで、第3者から観た場合の感想を述べたのですが、私は読み込んでいると観ます。
恐らくその当時の「周囲の方」は「本庭」と「本性」とで何かを理解する情報を持っていたと観ています。それは何であるかは第3者には判りません。
ただ、今までお伝え頂いた内容を咀嚼しますと、前回の一つのストーリーが出来上がるのではないでしょうか。(筆者であればこのストーリーの確証をより近づける為の調査をする事に成りますね。それには大庭氏や杉浦氏の家紋の繋がりを詰める事にしますが。 そこで出てくる答えが一つの方向が生まれ、その方向が「本庭」と「本性」の意味(仏教的な語意)が判らせてくれると観ています。それには一つ推理を立てています。)
禅宗である事から尚更ですね。禅問答的な要素が強いのでそれが何であるかは第3者の私には判りません。お家のご先祖の中で何かを意味していると観ます。この戒名が「院殿居士」であればそれだけ情報を読み込む事になり第3者でも何がしかの意味合いを読み込む事が出来ますがそうではありませんね。
つまり故人のより詳しい情報を読み込むとすれば必然的に「院殿居士」の方法と成って来る訳です。
戒名そのものはオープンな情報というよりは限定された範囲での情報です。
従って、太吉さん源吉さんの戒名はその情報がより周囲の方の範囲に委ねられる傾向が強く成ると云う事ですね。
ですから、「周囲の方」と前回よりお答えしています。然し、その周囲の方も最早故人と成られていると考えられますので難しい事かなとも思います。その様な事が起るために由来書や系譜添書や忘備禄や口伝や家訓などの方法を昔は使ったのですが、現在ではその慣習は殆ど無く成っていますね。
お家にも無いようですので。
青木氏のサイトも青木氏族に関する総括的な情報を掘り起こして遺そうとしているのですが。
長嶋氏にもあったらよいのですがね。

>などから、檀家寺勝楽寺が曹洞宗で、禅宗系であるため、墓石を見た時、成人女子と考えたのですが、未婚の子供・幼児の女子に使う『童女』を使わず、『禅定尼』も使われるのですか?

前記しましたお答えに繋がりますが、禅宗なのでかなり厳しく慣習を護る傾向がりますね。
前回お答えした前提は墓石が別にあると判断してのお答えでしたが、どうも違っている様ですね。
一つの墓石に刻まれている様ですね。
別の墓石の一つにこの様な本筋でない未婚などの故人をまとめて書き込んで行く方法です。
相当な家柄でなくては、長嶋さんが禅定・・の事に付いて書かれていますが、その内容に従うと成りますと、墓所の面積は、墓石の数はいくつあっても足りません。
庄屋や大地主などの家柄でこそ出来る事です。依って仏教が定める通りの慣習や決め事には普通は出来ません。
提供された戒名から観て、この様な人を別の墓石にしているのかと思いましたが、それもせずに全てを二つの墓石にせずにこの様な故人も一つの墓石にまとめて刻まれている様ですね。
普通は墓石はその家の本ルーツの「跡目の人」の墓石を3代まで3つの墓石(祖父の代)に分けます。その一つの墓石が50年経つと累代の墓石の5輪の墓石に移します。これ以外に「跡目の人」以外の故人に纏わる人は「別の墓石」を造り其処に葬ります。これを代々繰り返して行くのが普通の共通する仏教の慣習です。跡目以外の分家を興す人は別に墓所を設けますが、跡目の人でない人や分家を起せない人や起さない人は必ず出てきますからその家の墓所の何れかに納める必要が起こります。それが特に昔であれば未婚の人、未成人、幼児、水子までの多くの人が出来ますが、傾向として女性という事に成る傾向があります。この様な人を祭祀する墓石が必要に成ります。
中には「女御墓」を別にして祭祀する家柄もあります。大きな長い平たい墓石に全ての女御の戒名を書き足して行く方法もあります。歴史が長く成る宗家本家墓方式です。
お家はこれを無くして一つにしたと云う事ですね。今ではその方式が進み最早戒名も書かない「先祖代々の墓」として一つにまとめて全て納める方式ですがこれが殆どですね。

この世の何でもそうですが、決められた慣習通りにできる事等は滅多にありませんね。ネットなどで調べると通り一辺の答えとなり実態の慣習の内容どおりの事は書き記していませんね。
そこが僧侶やその種の人に直に聞く等すると実態は見えてくると思います。
「童女」や「禅定尼」等別にしていたら墓石ばかりになって仕舞いますよね。現実には無理です。
普通の実態は別の墓石を設けて跡目人以外は其処にまとめて祭祀するのです。然し、それをもしなかった墓所となっているのですね。源吉さんか次ぎの跡目の人が現代風に近い方式にしたのです。
この様に墓所の形式をどの様に反映しているかを知っている事でもどの様な筋目のお家かが判るのです。墓の構えでも判るのです。
従って、墓石の状況や戒名の状況 宗派などでも太吉さんの筋目が宗家や本家や分家や分流や支流や分派等や支流や傍系の違いまでが判ります。
今回のお答えは其処から導き出したお答えで ”これ以上は超えない”とお答えしたのです。
ルーツは宗家に本家にたどり着かないと無理です。宗家や本家が昔からの慣習を継承する義務を負っているのですから、故にそこに情報があり「周囲の人」もその関係者という事に成ります。
前回お答えしました様に契約社会と氏家社会の違いです。慣習や考え方は異なっているのです。
長嶋さんの鹿児島のルーツは「本庭」と「本性」を紐解く事で、何故静岡に着たのか、何故根笹紋なのか、何故長嶋氏に戻したのか、のこの「3つの事」が判ると思います。又は判らない事を理解する答えに成ると思います。半分は出ていると観ます。
筆者の範囲で考証したストーリーも併せてお考え下さい。

ではお調べになって不明な点などありましたら又お便りください。



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