青木ルーツ掲示板
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  [No.873] Re:静岡の長嶋です
     投稿者:福管理人   投稿日:2012/10/09(Tue) 09:44:20

今日は。 

秋が深まってきました。
歴史探訪には最高の季節ですね。

これからの寺探訪には最高の季節です。
前もっての雑学で寺めぐりはより一層面白い探訪と成りますね。

さて、私も昨日まで鹿児島に滞在し帰ってきました。
前回のお便りの「阿多」と「阿倍」に付いても調べました。
「阿多」は現在も存在しますが、「阿倍」も今でも南薩摩のこの地区では「阿倍地域」として地名は無くなりましたが、小さい地区の年寄りの住民の中では、「4つ位の部落の総称」として人々の会話の中では使われている言葉で残っている様です。
「阿多」は残っていますのでマピオンか何かで確認してください。「阿多地区」の道路を通り土地の話を聞きましたが、一人の85歳の老人は”中国から来た先祖”と言う言葉を、昔は地区の年寄りの言葉に挙がっていた様ですが、今はその様な「言伝え」が消えているとの事でした。
阿多−阿倍の関係の話も村同士の所縁の話が昔はあった様で、阿多には「村主様」(すぐり様)が居た話があったとの事です。「阿倍」は現在は「阿部」と言う字に成って「阿部さん」が多い地域が未だある様です。「阿部」と「阿倍」と違うのですが、混同されて阿部に変わってしまった様です。
「阿部」は阿の職人で、「阿倍」の配下ですが同じ呼称なので何時しか間違われたのでしょう。
地名のもつ意味もこの様に消えて行くものですね。

次ぎの質問ですが、「伊勢長嶋殿」は桑名郡です。ただ注意しなくては成らない事は今の地形や地名や郡や県や国は大昔からその範囲等が大きく変化していますので、現在風に地名を追っても答えは出ません。
「伊勢丸山」の呼称にも、この「伊勢」の呼称の言葉には特別な意味を持っていて、朝廷より特別に禁令を発して使われていたので、現在風の地名呼称とは異なります。この事は論文で論じていますが、上記した様に「阿多」や「阿部」の様にいくつかの「総称」で使われている事もあるのです。

つまり、昔の歴史的経緯のある「地名」は「地名」そのものではなく、ある「意味」を持っているのもあるのです。
青木氏や藤原氏北家筋等を除く殆どの氏名は慣習や嵯峨期の禁令から地名から名乗るものとされて来ているもので、従って、其処の地名にはその「氏の歴史」が染み込み「地名の歴史」と成っているもので現在の地名とは違うのです。
と云う事で「歴史の地名」と「現在の無意味の地名」とは異なっている事をご承知ください。
最近、残念な事ですが「町村合併」によりこの「歴史のある意味のある地名」や「総称地名」が無く成っています。「総称地名」の慣習は殆ど消えています。
昔の地名呼称には「地名」そのものでは無く、「総称名の地名」もあるのです。
これは「氏家制度」から来る仕来りです。
歴史の「地名呼称」はその雑学でしてこれも歴史雑学として認識してください。
ですから、探しても無いと言う事、見付からないと云う事が起るのです。
その時は、地形や地名や郡や県や国 地名か総称地名かの確認が歴史の雑学として必要です。
お便りから観て、お家は地名に付いて「現在と古との慣習の違い」を混在している様に思われます。
昔の地形図の雑学が必要です。
「丸山」は従って、「伊勢丸山」が正しいのです。
「伊賀」は現在では伊勢国北部伊賀地方と成りますが、伊勢は大きく地形や地名や郡や県や国に歴史的変化を起こしていますので、広域伊賀の地名として考えてください。そして、この伊賀もその勢力図で時代で変化しています。呼称の「伊勢」も一時期3つに分かれて歴史が変化しています。
「総称の伊勢」と「地名の伊勢」とその「地名の伊勢領域」が時代で異なっていますのでこれを判別しながら地名を観る事が必要です。
特に「青木氏の守護神」の論文でも書いていますが、伊勢には「伊勢・・]と云う地名が現在でも多いのですが昔も多かったのですが、この呼称方法には意味を持っていたのです。
「丸山」はこの地形状から「津」と「松阪」と「伊賀」の三角州一帯の海側部を云います。
この州が昔は伊賀の近くまで三角州に伸びていた事から「伊勢丸山」と「伊賀の丸山」と成っていて、この州には長い広い松林があったのです。現在でもこの地域には地名の松の付いた地名が多くあります。
この名残ですが現在とは全く異なっています。

最初、信長は海側の「丸山」のところは失敗に終わりましたので、伊賀を攻めてお家のお便りの云う後の丸山城に成ったのです。
インターネットの全ての情報をよくご利用の様ですが、この辺の雑学の知識と説明はネットでは不足していますので注意してください。
それと前記にも書きましたが、「ある種の思惑 つまり、学説、主義の引導と洗脳」等を潜めていますのでこの点も考慮に入れてご利用される様にする必要があります。
特に地方機関のネット説明にはその前提と成る資料の「真偽の如何」と「土地の宣伝」を目途として書いている物が殆どで例外がない位です。それはそれとして信じて其れなりに使うことには反対する意思はありませんが、趣味でマニアで歴史をより正しく理解し楽しむとすると云う事ではこれ等を除外しての利用と成ります。青木氏での論文はこれらを取り除く努力を繰り返しています。
特に、「青木氏」も「藤原氏の長嶋氏」も「日本最大の歴史的な経緯」を保持し、他に悠久の歴史を持っている氏ですので、この「ある種の思惑」に左右されない探求が必要です。
この思惑が入れば何が何か判らなく成り、矛盾の多く孕んだストリーや生き様が出来て仕舞います。

次ぎは、”朝熊山の金剛證寺と丸山の金剛證寺の奥の院として建立された庫蔵寺・・”のご質問ですが、ここは歴史的に3氏に依って建立修復されて、名目「伊勢神宮の鬼門寺」として建立されたもので、伊勢に関係する寺としては承知していました。
然し、そもそも、上記の通りから考察すると、ここは最初は隣の高野山の弘法大師(空海)に関係する寺で、高野山の密教修業の修験場でした。ところが、真言宗から時代の変化の影響を受けて、その後に元は禅宗寺で、現在は臨済宗です。ですから前回のお答えとは全く無関係です。
この寺関係には、現在でも修験者や禅僧の歴史的な行事として残っています。
上記の通りですので全く意味合いが「伊勢丸山」とは違います。
そもそも、この「伊勢の鬼門寺」と言う説も建前論で、実際は「伊勢」の土地に皇祖神の伊勢神宮にこの様な寺を建てるには禁令に対して憚られ世間から非難されます。そこで、この様な建前を付けて「伊勢」を護る寺だとして「高野山金剛峰寺」に似せて「金剛・・」としたのです。この建立時期として1650年頃の年代ですので、この「伊勢」の仕来り慣習が弱まった時期に建立されているのです。

次ぎに「願澄寺」は信長に徹底した掃討作戦で焼き討ちに合いましたので無く成っています。
「2つの伊勢青木氏」を除く2つの平安期からの名籍の「伊勢長嶋氏」や「伊勢北畠氏」は滅亡し、衰退していますので、氏の「菩提寺の寺」を管理維持する力が無く成っていますので寺は元来無く成っているのです。
そもそも昔の「菩提寺」の寺の維持方法は、明治以降の現在の「檀家寺方式」ではありませんので其処のところの雑学が違っています。「菩提寺」と「檀家寺」との認識の混同が起こっていますよ。
その中でも特に「伊勢長嶋氏」は独自の「独善の菩提寺」を持った氏です。そして其処に菩提寺の一族の住職が世間から尊敬されていた人物であって「氏の長」でもあったのです。
平安期の昔は朝廷の許可を得て高位の特定の氏しか寺社を建立する権利を有していませんでした。この事でも誰でもが「菩提寺」を持つ事は出来ませんでした。
つまり一般の氏が勝手に寺社建立は出来ない慣習でした。
従って、その「菩提寺」などを持つ氏が滅亡し衰退すれば、必然的にこの菩提寺の「寺の維持」は殆ど無理と成ります。「廃寺」と成って消えて行くのみです。
従って、他の建立する権利を有していない出来ない氏は、後は何処からか廃寺に成った寺などを見つけて来ては、「修復」などの理由を前提として建立する以外には方法が無く、上記の「金剛證寺」等にしても現実に明確に3氏によるこの方法を使っています。
そもそも、寺を自由に建立する権利を誰にでも与える事は宗教集団とその信者の力が強く成る事を恐れる「政治的な禁令」でした。この「禁令」は内容を変えて明治期まで続きます。
この問題事件は頻発して平安期から起こっているのです。
現在でも同じで頻繁に「宗教事件」が起こっていますので法律で規制されています。

ご質問の根拠のこれ等に関してはこの雑学が欠けています。
ネット情報は、これ等の情報が書かれていず、また現在的な感覚で間違って説明しているものが殆どですので、この雑学を考慮すると話が逆転したり矛盾する事に成るのです。
青木氏の論文にはこの事を書いていますのでお読みください。現在、「青木氏と守護神」でその事を詳細に論じています。故に、藤原秀郷流青木氏族の一氏の九州大蔵氏系肝付族の伊勢長嶋流長嶋氏としてもこの事もルーツ探求の上で上記の事も含めて知っておく必要があると思います。

以上ですが、特に地名には「歴史の有無」の呼称、総称地名、地形や県や国等の区分けの違いがありますので注意が必要です。
特に「地形の変化」が興味がありますよ。この「地形の変化」が地名の変化に大きく繋がっています。
友人にこの「地形の変化と歴史の関係」を趣味として研究している人もいるくらいです。
話をよく聞きますが面白いですね。何か歴史方程式がある様ですよ。

では又お便りを下さい。



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