青木ルーツ掲示板
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  [No.901] Re:品川さんルーツのお尋ね
     投稿者:福管理人   投稿日:2013/05/09(Thu) 20:12:06

ようこそ御越し頂きました。
本サイトは、青木氏に関わるルーツに付いて研究を進めています。

さりとて、お尋ね頂きましたので、出来るだけの事をお応えします。

先ず提供いただきました情報は江戸末期以前の情報でなければルーツを辿る事は出来ません。
明治期以降のことは維新の新戸籍簿がありますので、容易にルーツを辿る事は可能です。

先ず、提供いただきました情報は御尊祖父ですので、明治期ですから、ルーツは戸籍簿で判ります。
維新の戸籍簿には明治3年と8年の苗字令により全国民が苗字を持ちました。
この時、この維新簿にはお家の家柄が書かれています。武士であれば、「士分」と書かれていますのでその出身地が明記されています。
江戸期以前は農工商の場合はルーツを系統的に記録する概念がありませんでした。そもそも苗字を持っていなかったのですから無理です。

家紋は何時の時代からのものでしょうか。藤えにほこら紋は秀郷一門や今川氏にはありません。
そもそも藤は葉ではなく花です。3尺藤の花を家紋としています。ただしこの藤の紋を使える藤原氏には家紋の掟があり、下がり藤の藤紋を使えるのは主要16氏(秀郷9氏)だけで、他の一族一門は家紋としては使えません。まして藤紋は綜紋ですので通常本家筋しか使いません。又秀郷一門は上がり藤紋ではありません。藤紋144紋中にはお家の家紋類はありません。
家紋から観て、藤原秀郷一門では無い事が判ります。
この事から明治期3年と8年の苗字令に基づく九割近い農工商の苗字と観られます。
ただし、上記の祖父以前の方(祖祖父)をみつけ、その方が住んでいた土地を探し出す事が必要です。

明治のころに青森県の田舎館の十二川原出身との事ですが、確かにこの青森は藤原秀郷一門の血筋を引いた土豪が多いところですが、秀郷一門はその土地柄がはっきりしていますので、この土地がらは疑問です。

武士であったとした場合は菩提寺がこの土地にある筈です。そして、そこの寺に品川氏の「過去帳」がある筈です。人別帳ではありません。その過去帳があればルーツを確定できます。

今川氏の件ですが、武士であるのなら遺す事が義務でしたので何がしかの伝統が残っている筈です。
その伝統は多くは宗派に関係して遺されていますので宗派は何宗ですか。宗派で大体の事はわかります。士農工商は身分制度の戒律があって大方はそのかいりつに従っていましたので宗派で判りますよ
念のために、明治前は人の定住移動は禁止ですよ。国抜けで打ち首ですょ。
江戸期前は氏家制度の時代ですからその制度から出ると無宿者に成ります。
祖父の代で移動していると成ると明治期ですので、ルーツが判らなくなっている事は農工商の人であった事に成ります。

兎に角、江戸時代か明治維新簿を見てください。宗派でも判りますよ。



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