青木ルーツ掲示板
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  [No.902] Re:静岡の長嶋です
     投稿者:福管理人   投稿日:2013/05/10(Fri) 18:16:51

静岡の長嶋さん 今日は。お久しぶりです。
お変わりありませんか。

さて、お尋ねの件ですが、お尋ねの内容は削除しますので。
お応えとは何とも云い難いですが、強いて云えば、以前に類似するルーツ長嶋氏がいるとのお応えをしました。
そのお応えに史実が若干類似するところもあります。
伊勢国長島の長嶋一族で分家初代長嶋武衛門貞国成る者を祖としている一族がいます。
ただし、この貞国の一族は未勘氏族と言われている族で、後に、岐阜、静岡を経由して武蔵国の平方郷に移住したとされる一族で、この平方郷で子孫を広げます。ただこの一族は養子縁組が多く男系継承は傾向的に難しかった様で系譜を観ると、完全な女系の系譜と成っています。
この系譜のある途中で、岐阜か静岡のどちらかに男子を何らかの理由で遺して来た為に、この男系のルーツが出来なくなって行ったような系譜を持っていたようです。

全て院殿居士の法名からかなりの高い相当な財力のある身分の家柄であった事が判ります。
女子も院殿の最高の法名を持っています。何かを物語っています。
ところが、この伊勢長島の長嶋氏の分家と成っている初代貞国の時代が、初代にしては伊勢長嶋氏とは時代が違いすぎています。
どこからか移動して来たしっかりした伊勢で分家を興すくらいの「長嶋族」では無いかと推理出来ます。そうなると伊勢長島の長島ではなく、戒名から観て正規の長嶋を名乗っているので薩摩肝付からと成ります。
恐らくは何らかの理由で薩摩から、この宗家筋を頼ってやって来た一族で、伊勢長島に定住出来たと考えられます。先ず何処の馬の骨か解らない者に長島に勝手に住まわせ、分家を作らせる事はしない筈です。
そして、新たに分家を興させています。普通は新たに分家を興させる事は先ず氏家制度の中ではありませんので、伊勢に薩摩長嶋の別のルーツを持つ一族として分家を許可したものでなければ分家を興すことは出来ません。(関西と関東の永嶋族の危機に陥った宗家結城の後方支援か、又は経済的な交流、買い付けか)
ここから枝葉を多少拡げた後に、何らかの理由で他の長嶋族が定住している地域に、この一門が岐阜−静岡−武蔵と移動定住したと成ります。(その理由下記)

この移動定住は、結城の結城一族永嶋氏と陸奥の結城永嶋氏を室町の信長-秀吉の時代に一族を後方支援する為に、伊勢長島から夫々の永嶋氏が居る地域の援護をしながら派遣された一門ではないかと考えられます。結局は、領国の武蔵平方で最終留まったと見られます。
この伊勢から派遣された後方支援は陸奥まで派遣されています。本隊は敗退して最終伊勢に戻っています。(後にいせ永嶋氏も信長−秀吉に潰される 陸奥の結城永嶋氏と結城の永嶋氏宗家も負ける。)
この平方郷には大きな墓所3基が残されています。この女系に成った長嶋の平方の裔は現存するが、岐阜と静岡の末裔は不明です。
この貞国で始まった伊勢長島の長嶋氏は本来は長嶋氏でありながら、途中から平方郷では宗家筋の永嶋氏を名乗っています。名乗るには宗家から跡目を入れた事以外には考えにくく、ここにも何か理由があります。
この一族の長嶋氏がお話の内容と似ている処があります。

では又何か有りましたらお便りください。



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