青木ルーツ掲示板
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  [No.958] Re: 三つ盛り州浜
     投稿者:むーみん   投稿日:2014/04/28(Mon) 12:50:29

周防大島の青木さん江、

周防大島の青木家は二流あります。
伝承の内容では武家であったようですね。
であるなら1618年当時の青木善左衛門尉の子孫ではと思われます。
この青木家の系図によると元祖は多冶比古王としています。
天武天皇の前の代の皇子です。子供の多冶比真人島は天武天皇の御代は
右大臣左大臣を勤めます。この一族の多冶比真人三宅麻呂が武蔵の秩父で
銅を掘り出し朝廷に献じたことにより、年号が和同と改元されました。
多冶比王から二十代後が青木武蔵守直兼で、その更に五代の孫、家継は
京都で長尾豪佑から兵法を習い永正八年(1511)に神道流・宝山流の
秘伝を授けられたとされます。
その子が冶部丞元行で、大島郡安下庄塩宇に住み毛利輝元に仕えて
軍功があって、和泉守を拝領しています。
その子の善四郎元氏は三郎兵衛尉に任じられ、後に肥後守に任じられます。
これらの官途名は京都の朝廷から出されたものではなく、中世も終わりになると
大名も家臣に受領や官位を出していたので、中世末期以降は混雑しています。

周防大島では別に和田村出身の青木周弼 弟・青木研蔵の医師が有名です。
兄はシーボルトの教えを受け、当時の日本の種痘法の大家で毛利藩医学館頭
として研究を続け、日本の医学史に名を残します。



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