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  [No.964] Re:静岡の長嶋です。
     投稿者:長嶋です   投稿日:2014/05/13(Tue) 21:53:46

杉浦道生さん、はじめまして。

貴重な情報ありがとうございます。
岡崎市史に『幕末額田郡鍛冶屋村(現在の岡崎市鍛埜町)に杉浦源吉がいて、寄合格を与えられた。』
については、幕末は、一般に黒船来航の1853年7月8日(嘉永6年旧暦6月3日)辺りからと考え、杉浦家
から長嶋家(当時は長嶌)に養嗣子となった源吉は、弘化元(1844)年12月20日生で大正2年に亡くなっ
ています。このことから、20歳ぐらいで寄合格になったのかなと思っていました。
妻は長嶌太吉の長女:とめとなります。

道生さんの御先祖様の源吉様とは年齢的に親子の関係となるため、仰るとおり別人のようですね。
また、岡崎市史の杉浦源吉とは違うことが分かっただけでも収穫です。


自分で岡崎市鍛埜町を訪れ、源吉さんが親のために建てたお墓にたどり着きました。
その墓石には杉浦源吉の銘が側面にあり、両親の戒名が書かれ、父親は明治9年、母親は明治13年に亡くなったことが記録されていました。
もし、事実であれば、長嶋家の養嗣子となった長嶋源吉が杉浦源吉と記したのは杉浦家の墓石だから旧姓としたのでは、と推測しました。
ここを立証できればと思っています。
また地元の方にそのお墓の持ち主について伺った所、『お墓の横の家の者で、そこの方は医者をしていた。先代は東京から養子できて医者をしていたが、昨年(2010)
亡くなった。現在孫が一人で住んでいる。』そしてもともと家は『昔は、現在木が生えているところに家があったが、下に建て直した』との事でした。
お墓については、その方(昭和初期生まれ)が子供の頃から今の位置に在ったと話して下さいました。
こちらも、ここで情報が切れています。これも何かの縁ですね。
今後とも何か良い情報がありましたら宜しくお願いします。



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