迅速かつ詳細、しかも明快なお答えをいただき、心から感謝申し上げます。また当方が歴史にさっぱり疎く、意図せず肝心な情報が小出しになってしまったことをお詫び申し上げます。
ですがその一方、あまりに気宇壮大なお話を前にして混乱していることも事実であり、失礼を承知の上で馬鹿正直に言わせていただくならば、『どうにも信じられない』という気持ちです。
親切に教えていただいておいて誠に失礼とは存じますが、無知な田舎者の戯言とお笑いくだされば幸いです。
当家は本当に典型的な田舎の農家であり、先祖が武士、しかも歴史ある名門の出などと想像したこともありません。家紋が巴紋なのは知っていても、それが右か左かもよく知らなかった、という有り様です(苦笑) 今回、親族の遺した資料が見つかり(実はこれも廃棄する寸前でした)、あらためて古い墓を調べたところ『寛文7年』という古い年号と、風化しかけた左三つ巴の紋があることに気づき、質問をさし上げた、という次第です。
それがこのような話に発展するとは全く想像せず、目を白黒させております。
正直、親族にこの話をしても、信じるものはいないことは確実です。
大変失礼な質問であることは承知の上でお尋ねしますが、『当家の先祖が武士であったこと』、それが『秀郷流青木氏』の末裔であったことは、本当に『確かと認められること』なのでしょうか?
当地は中央から遠く離れた四国の田舎ですし、どこかで小耳に挟んだ適当な伝承をくっつけ、青木姓と紋を墓に刻んだだけ、という可能性もあるのではないでしょうか。
いえ、こんなことを書くのはご先祖にも失礼とは思うのですが、正直なところ『我が家が武家の家系だなんて、そんなことが本当に起きるのか』という疑問のほうが大きい、という当方の困惑をどうかお汲み取り下さり、『なぜそのように判定できるのか』をいま少しご教授願えれば幸いです。
どうか忌憚のない意見をお聞かせ願えれば幸いです。