> 福管理人様、青木氏研究室並びに青木ルーツ掲示板をいつも楽しく拝見させて頂き、
ありがとうございます。
早速ですが、初めに、前回福管理人様から、前回ご返信頂いた中で、「当家の一番古い墓所に1855年と記されている」とありましたが、正しくは、「1684年、貞享元年」でしたので、訂正させて頂きます。
で、本日返信させて頂いたのは、福管理人様から返信頂いたものを何度も読み返し、青木氏研究室並びに青木ルーツ掲示板を拝見させて頂いたり、自分なりに調べたりしているのですが、どうしてもわからない事がありましたので、返信させて頂きました。
それは、皇族賜姓族伊勢青木氏の始祖は、天智天皇の子供である施基皇子であり、天武天皇の時に第6位皇子として伊勢王になったという事でよく判るのですが、「皇族賜姓族信濃青木氏の始祖は誰だろうか?」という事です。
信濃王=三野王だと思いますが、三野王を調べると、美濃王、御野王、弥努王、美努王など、いろんな書き方があり、全て同一人物だという人もいれば、そうでないという人もいるようです。
敏達天皇の皇子に難波皇子がおり、その子に栗隈王、その子に美努王がいますが、その美努王が三野王(信濃王)とすると、県犬養美千代を妻とし、子供が葛城王(橘諸兄)となり、橘氏の始祖となるのではないか?と訳が解らなくなってしまいました。
そのあたり、「信濃青木氏の始祖となるのは誰か?どう考えればいいのか?」ご教授頂ければ幸いです。どうぞ、よろしくお願いします。