こんにちは。京都の青木です。
ここまで詳細にお調べ頂いきまして有難う御座います。感謝と同時に大変感激致しました。
ここまで膨大な資料が残っているということにも驚きましたが、研究内容の質の高さには驚くことばかりです。
やはり、家紋と宗派がルーツに関わる重要な要素を持っていたのですね。
職能集団というのも合点がいきました。また、寺侍の存在が私の中で不透明な所がありましたので大変勉強になりました。
というのも、私の祖先は明治に入った頃京都の伏見で日本酒の醸造を営むようになり、祖父の代まで続きました。
父も技術職で親戚のほとんどがなにかしら技術系の仕事、自営業の方が多いです。私自身もデザイン系の仕事を
していたので、何か遺伝子的なものがあるのかと不思議な感じがいたしました。
「江戸初期の御先祖の戒名」がどの様な戒名に成っているかで判別する事が出来ます。とのことですが、
今の時点で分かるのは、菩提寺の京都伏見の清涼院(清涼庵)の過去帳から見ますと
第三代目の戒名が『覺譽浄光信士』とあります。寛文13年と記載されております。
第五代目の戒名が『浄閣清涼信士』とあります。寛永元年と記載されております。
残念ながら初代の戒名がなぜか記載がされていない為、また調べる必要があります。
菩提寺の清涼庵縁起録の中に私の先祖のことがふれておりました。内容としましては、
『安政二年六月秋葉堂維持費寄付〜云々、年次不明なるも青木丹波守謹恋篤(祖先)と署名せる古き権現の絵像一軸奉納せられあり』
という記載がありました。
また「桔梗文様」は、元は、朝廷に関わる職業を仕事する族で、特に、その仕事は朝廷の祭祀や職役に限定されてきます。
元はその先祖が朝廷の官僚集団であった族とか、朝廷の職能官僚などの先祖を持つ族が使用しました。
その意味で、他の家紋とは違う朝廷と云う領域の文様であった事から、「家柄格式」としては良い事を意味します。とのことですが、
思いだしたのですが、父方(青木家)の曾祖母の家が女官(公家または宮家に代々使えた家)の出身だそうです。
なので、やはり朝廷との繋がりが昔からあるのかなと思いました。
私の母方の祖母も女官の家の出身で母(立入家)の先祖は立入宗継という戦国時代に官吏として活躍した人物だそうです。
その子孫と母から聞いておりました。
京都という土地柄だとは思いますが、やはり朝廷に何らかの関係を持っていたのかなとは思います。
まだ資料としては乏しいので、できるだけ調べられる範囲で活動していきたいと思っております。
一点質問がありまして、基本的に寺侍は寺院から給を貰っていたのでしょうか?私の祖先は幕府から所領を与えられて生計を立てていたのでしょうか?
藩士なら藩領から、旗本御家人なら天領からだと思うのですが、素朴な疑問がありました。寺侍とはどういった存在であったか?に興味を持っております。余りに情報量が少ないので。貴重な御意見、御指摘等御座いましたら幸いです。今後とも宜しくお願いします。