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  [No.1138] 新潟の青木さん
     投稿者:副管理人   投稿日:2018/06/02(Sat) 10:01:49

青木淳さん こんにちは。
はじめまして、

記帳して頂き有難うございます。

さて、「新潟の諏訪族青木氏の事」は、研究室の論文や昔おうちの御親類の方のルーツ掲示板にも投稿があります。

>南魚沼市 芹田の善應寺(曹洞宗)に青木家のご先祖様のお墓があります。
>家紋は丸に抱き角紋(五つ角)です。

論文などをお読みいただければ、お判りに成るかと思いますが、念のために、そのルーツを簡単に記述します。

実は、武田氏に攻められて、日本書紀にも記載される伝統ある「諏訪族」は、武田氏と縁組をし、武田氏に組み込まれました。
この事は夕姫で有名な事ですが、でこの「諏訪族」は「皇族賜姓臣下族の信濃青木氏」と奈良期に血縁をして「諏訪族青木氏」を発祥させます。
この「諏訪族青木氏」は武田氏に組み込まれて、「三つの諏訪族青木氏」が生まれます。
一つ目は「諏訪族青木氏」(a)、二つ目は「武田氏系諏訪族青木氏」(b)、三つ目は「諏訪系武田氏族青木氏」(c)
二つ目は完全な武田氏で諏訪族の血筋を強く引く族、三つ目は諏訪族で武田氏の血筋を強く引く族

一つ目と二つ目は諏訪族で信長の掃討作戦の追及を逃れて、「北家藤原秀郷流青木氏」」の定住地に庇護を求めます。

「秀郷流青木氏」とは平安期より血縁状態を続けていました。

この「秀郷流一門361氏」は全国一の大勢力で、信長や秀吉もこの一族に手を出しませんでした。
中でも秀吉は陸奥の秀郷一門の「結城氏の戦い」で背後を一族に付かれて道の無い山また山を逃げて大阪にやっとたどり着くという唯一の敗戦をします。

秀吉の時代に成ると、家康は三河から武蔵に転封されますが、逆に秀郷一門をそっくり家臣団にして取り込んだほどの歴史を持っています。

この一つ目と二つ目の諏訪族の青木氏は、神奈川横浜の秀郷流青木氏の懐に逃げ込みます。
そこから、更に、一部は秀郷流青木氏の防御を担う為に、「新潟の北側 A」と「埼玉の北側 B」に移動します。
越後地域はこの「秀郷流青木氏」が大勢力を張っていた地域です。
必ず、その逃亡地には。守護神である諏訪社を建立します。
お家の御先祖は、このAの新潟に逃亡し防御で配置されたで一族で、(b)の諏訪族の青木氏です。

その後、この新潟の「秀郷流青木氏の保護」を受けて一族は「商人」になり、酒造業などに携わり大成功を納めます。

お家は、本家筋は、「四角の抱き角紋」ですが、五角ですので江戸期初期頃に分家と成った(b)の「諏訪族の青木氏」です。

浄土宗系の禅宗の曹洞宗の寺にご先祖のお墓がある事はこれを物語っています。
新潟の北側の国境に配置配置されましたが、魚沼市とするとその後、分家が東の国境に配置され、その後、「米」を利用して商人として矢張り「酒造業」に携わった可能性があります。

「信濃の賜姓臣下族青木氏」やその一族である「諏訪族青木氏」に付いては研究室の検索で調べられてお読みください。