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  [No.1140] 新潟の青木氏
     投稿者:新潟の青木   投稿日:2018/07/12(Thu) 14:52:43

・初めまして、千葉県に在住している”青木”と申します。
・この博覧強記ともいえるサイトは昔から見させていただいています。ありがとうございます。
・さて、私は現在は千葉県在住ですが、青木姓であった亡父は新潟の出身です。
・今は新潟市ですが、旧北蒲原郡豊栄町→のちに豊栄市→現在新潟市です。
・宗派は日蓮宗。家紋は丸に横木瓜。屋号は竹衛門(父方実家には確かに竹林がある)。
・子供の頃から何度か父親に、青木のルーツを尋ねましたが、興味が無いのかあまり話題に
 なる事は無く過ぎましたが、今自分も還暦を過ぎて無性に知りたい気持ちが湧いています。
・勝手な推測ですが・・佐渡に新穂青木という土地がありまして、なぜか勝手に、所縁があるような
 思い込みを持っています。
・しかし古書で佐渡郡新穂村青木の歴史、という書籍を買い込み読みましたが
 どうもよく解らない。
・日蓮が島流しになった地であり、その影響から日蓮宗に関係しているのかな?などと
 何の根拠も無く想像しています。
・少ない情報ですから解析は不可能と思いますが、もしなんらかの知見をお持ちで
 ご教示を頂ければ幸甚です。

よろしくお願い申し上げます。


  [No.1141] Re:新潟の青木氏
     投稿者:副管理人   投稿日:2018/07/12(Thu) 14:57:13

今日は はじめまして

サイトを長くお読みいただいているとの事 ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
お読みに成っていただいていると云う事ですが、ここには確かに「二流の青木氏」が定住しています。
情報の少なく成った現在では、ルーツをお調べに成るのは難しいですよね。

さて、結論から先にお答えいたします。

先ず、一つの流れが、赴任地としていた「藤原秀郷流青木氏」です。
もう一つは、武田氏が滅び、武田氏に味方した「諏訪族系青木氏」が、「秀郷流青木氏」を頼ってここに逃げ込みました。
先ず一度、神奈川の秀郷流青木氏を頼って逃げ込み、その後に、再び、越後の秀郷流青木氏の保護下に入りました。
彼らは、山形国境に配置されました。

さて、そこで平安期から彼等には伝統ある家柄ですので、「独自の家紋」を持っていますので、判別がつきます。
お家は、「丸に横木瓜紋」とのことですので、これを前提にすると、「新潟の秀郷流青木氏」である事は間違いありません。
これらの事は詳しく研究室に論じていますので参照してください。

新潟には、四か所に「青木村」があり住み分けていました。
二つは、佐渡郡にあり、残りの二つは、「古志郡青木村(諏訪族青木氏)」と「中頚城郡金谷大字青木村(秀郷流青木氏)」です。

当時の慣習から、「古志郡の青木村」の奈良期からの名門の「諏訪族青木氏」との血縁も進んでいる筈です。
「国境勢力」を固める為に「北蒲原の豊栄町」と「古志郡の青木村」とは北よりに近接していますので、神奈川と同じく血縁は充分にあったと考えられます。

「横木瓜紋」は秀郷一門361氏の中でも主要五氏の中にも入る名門です。
更に、「秀郷流青木氏」はこの「第二の宗家」と呼ばれ、最大勢力を誇った一門です。
そして、お家は、「丸付き紋」ですので、その「分家筋」と云う事に成ります。

恐らくは、お家の本家は、「中頚城郡金谷の青木村域」に住んでいたと観られます。
分家ですので、お家は、この北域に定住していたと予想できます。
尊父の出自先が「新潟の豊栄町の付近」にお住まいであったとのことですが、従って、一概に「豊栄町」が論外では無く、当時の慣習から、越後での秀郷一門の勢力圏では、「諏訪族青木氏」を山形の国境の北寄りに配置したように、分家のお家も北寄りに配置された筈です

数少ない情報が符号一致しています。先ず間違いは無いと思います。

この新潟には、現実に「横木瓜紋の秀郷流青木氏(秀郷流長谷川氏系青木氏 長谷川與善の子孫)」が赴任しているので、これに付き従って「現地孫」が定住したと考えられます。
「現地孫」、つまり、現地の「土豪の娘」と血縁して出来た子、これが理由で「分家筋の丸付き紋」と成った事が判ります。

では、この「土豪」は誰であったかという事に成りますが、「分家」と成った理由、「現地孫」と成った理由は、お家が現在でも青木氏であって、家紋も当時の家紋を保持しているという事は、「古志郡青木村(諏訪族青木氏)の「青木氏」と何度も「娘間の血縁」を繰り返していたと考えられます。
普通は、氏家制度の中では、「宗家」が「現地孫」にはこの家紋の使用は認めません、変わる筈ですが。

この「木瓜紋」は、元は「公家の徳大寺氏」が車紋に使用した文様で、これを使用を許されいち早く用いたのが、「秀郷流青木氏」です。

中でも、これを使う事に成った一門では、秀郷一門の主要五氏の内、「青木氏族」の「長谷川氏」です。
お家の御本家は、つまり、この「長谷川氏」とも血縁を持っている事に成ります。
室町期末期のお家の一族は、「武家」で「二足の草鞋策」を敷いて「大酒蔵主」が多かった筈です。
ご先祖を遡ってくださると判る筈です。

筆者の「伊勢青木氏」や「信濃青木氏」とも江戸初期前後には「商い」で大いに繋がっていました。
特に、伊勢に「酒用米の指導」をしたことの記録も残っていますし、江戸初期にお家らの「越後青木氏」とは「15地域の商業組合」も結成した間柄です。

念の為に、佐渡は御放念ください。
「佐渡青木氏」には独特の仕来りや掟や歴史があって、且つ、家紋も一致しません。
「日蓮宗の件」は、氏家制度の、武家社会の厳しい中で、仮にこの独特の庶民宗派に帰依した場合、お家は当地に住む事も許されませんし、青木氏も、当然に家紋も引き継ぐことはできません。
依って、出来るとした場合は明治初期以降と成ります。

「秀郷流青木氏」は、原則は、武家は浄土宗、赴任すると現地には浄土宗の寺がありませんので、「浄土真宗」を認められていましたが、領国に帰った場合は浄土宗に戻ります。
ただ、現地孫の場合は「浄土真宗「」と成ります。
「豊栄町の付近」に浄土真宗の寺がある筈です。
「墓所」や「戒名」をご覧ください。特徴がありますので直ぐに判ります。
先ず、簡単には墓所の有無や形で判ります。


尚、千葉には、青木村は形成していませんが大変に多く青木氏が存在します。
元は親族であった筈です。
この「秀郷流青木氏」は「116氏」で「24地域」に分布しています。
その最大の一つが新潟です。

「千葉青木氏」ですが、秀郷一門の中でも最大勢力を誇った「関東屋形」と呼ばれた「結城永嶋氏」の膝下で、「結城永嶋氏」は「青木氏族」と呼ばれて室町期中期までは関東から伊勢までその勢力を張っていました。
江戸幕府の高位の御家人に成っています。
秀郷流一門は、武蔵入間を中心とし横浜神奈川を半径とする一円を領国としていました。

ご質問や何か判りましたらご遠慮なくお便りください。
お待ちしています。


  [No.1142] Re:新潟の青木氏 畏怖とお礼
     投稿者:新潟出身の青木   投稿日:2018/07/12(Thu) 16:12:37

千葉県在住 新潟出身の青木です。
早速のご返信に厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。

当方からご提供いたしました塵埃のような情報から、これだけの
情報を頂けるとは、畏敬というより畏怖に近いものを感じています。
博覧強記の天才、南方熊楠や三田村鳶魚に教鞭をいただいて
いるようにも思えます。

ご教示いただきましたこれらの情報には、確かに心当たりの
ある点が多々ございました。
還暦を過ぎましたが、これからまだまだ自分について調べる
べき事があると強く感じました。

ご教示いただきました大量の情報には、人生には宿命的な
連携がありそうだ・・・と感じている私に、それが正しいと
裏付けるような内容が大量に含まれています。

乱文お許し下さい。まずは深くお礼を申し上げたく
拙い文章力を省みず送信いたす次第です。
お許しいただければ幸甚です。

ありがとうございました。
青木に生まれて良かったです!


  [No.1143] Re:新潟の青木氏 追伸
     投稿者:副管理人   投稿日:2018/07/18(Wed) 07:31:30

「南方熊楠」を良くご存じの様ですが、筆者の家とは祖父、父と大変に懇意にしていました。
然し、「美化された彼」に付いては、当家は残念ながら良い印象を持っていなかったようです。
「歴史」とは中身はこの様なものです。
彼の周囲でも、「中身」を知っていたのは当家だけでしょう。

さて「伝統」とは、「時」が進むにつれて薄らいで行きます。
一度、その「伝統」が途切れると、それは、その「伝統」と云うものは「記憶」の中には途切れて、ばらばらに遺されていて、それを一つ一つ集めて分別して接着剤で繋合わせ、更に、又、纏めたものをそれを組み合わせて一つのものに仕上げて行く根気のいる作業です。

お家も、明治初期まではこの「伝統」は何らかの形で遺されていた筈です。
取り分け御本家筋にはあった筈です。
明治期以降は社会構造が全く変わり、その氏家制度の伝統の持つ意味も無く成りました。

そこで、何処でも起こる様に、曾祖父、祖父、父と「伝統」を軽んじる事で、「伝統の網の目の糸」が切れて消えて行ってしまう事に成ります。

明治以降、なかなか伝統を護り通す余裕はどこの家でもなかった時代でした。
筆者も、歴史的に幸い三度の出火の消失を免れて、自分の家にも資料や口伝も各所に遺されていた資料があって、これを元に戻そうとして集めて整理して一つにまとめ上げる事が出来ました。
それでも50年以上もかかり大変に苦労しました。
幸い「近江佐々木氏」も同じことを明治期から始めて、奈良期から縁戚関係にあった青木氏族の研究記録もあって、突き合わせることが出来ました。
「日本書紀」にも出て来る事で、それを証明する「奈良期の古遺品」とが一致し本論と成っています。

お家も幾つかの思い当たる事を先ず引っ張りだして、考察して繋ぎ合わせる事でも「相当な伝統」を蘇させることができます。

大元のお家の「秀郷流青木氏の事」は判っていますので、お問い合わせいただければ更に進むと思います。

尚、平安期に越後に赴任した初代は、「青木氏族の秀郷流長谷川與善(横木瓜紋)」と云う者で、これに付き従った「秀郷流長谷川氏系青木氏(横木瓜紋)」が護衛隊として赴任しています。

a酒造業等を営んでいたご先祖の洗い出し。
b商いを営んでいたご先祖の洗い出し。
c江戸期の浄土宗か浄土真宗化の洗い出し。
d江戸期の菩提寺の洗い出し。
e御本家筋の洗い出し。
f明治期の日蓮宗に宗派替えした時期や経緯の洗い出し。

参考として当時は、氏家制度の中では、伝統あるお家の「宗派替え」は大変な事で親族間では重大事件に成ったと思われ、ご尊父が「先祖の事」を口伝で未だ覚えている御年齢の筈で伝えなかったという事は何かあったとも考えられます。
そこから、次第にお家の歴史が見えてきます。

基本的な事についてお尋ねいただければお答えします。
ご遠慮なくお便りください。


  [No.1144] Re:新潟の青木氏【お礼】
     投稿者:新潟出身の青木   投稿日:2018/07/22(Sun) 01:50:15

千葉県在住 新潟出身の青木です。

追伸を頂戴いたしまして、深く感謝申し上げます。
しかし、人間の生きる道は、何かしらの縁があります事を
さらに痛感いたしました。
若い人や”縁”に興味の無い方にはお笑いでしょうが。

新潟出身の父親が仕事の関係で和歌山に住んでいる時期に
私は和歌山で生まれ16歳まで過ごしています。

本ページの主宰者様も、和歌山との御縁があるとの事で
なんだか不思議な気がします。

ひょっとして、熊楠が好んだ、有名な”おけし餅”に関係が
あるのでしょうか?

今は、還暦を過ぎてもクーラーの効いた事務所で
仕事を継続できる幸運な道を歩いていますが、もう少し
時間が経てば、ご教示いただきました諸件について
亡父の故郷を訪れ調べていく所存です。

縁と言えば、仕事の関係で、一昨年から新潟県
上越市(直江津)での仕事が、間断なく降り注いて来ます。
(嫌な仕事ばかりで、しかも緊急を要す案件ばかりが襲来しています)

ご教示いただいた土地に関する情報を調べましたならば
ご先祖はその近傍に居たのですね。溜め息が出ました。

呼ばれているのかも知れませんね(笑)。
先祖を失いかけているぞ!今のうちに早く!と
言われているような気がしました。

若い連中に代役で行かせていましたが、そろそろ
小生が行かざるを得ない事態に成って来ました。
これまで、行きたく無い・・と思っていましたが、ご先祖の
お招きと思い、笑顔で行こうか、と思っている次第です。

御多忙の中、落書きみたいな文章を送りますこと
深くお詫びいたします。
これからも、このページをずっと見させていただきます。
ありがとうございました。