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  [No.1156] Re:ご先祖の探求 近江青木さん
     投稿者:副管理人   投稿日:2020/03/15(Sun) 08:24:17

近江の青木さん 今日は。
早速のお便り有難う御座います。

お便りの情報は個人情報に関わる内容ですので一部を削除させて頂きました。
ご了承ください。

この度のお便りの情報で、判る事が沢山出てきました。

先ず、「商人」で在り乍らも、「享保期」に戒名を持つ事は先ず普通の商人ではあり得ません。
江戸期の仕来り掟がそう成っていました。

つまり、元は武士であった事で無ければ、享保期、戒名、堀家等の姓を持つ事は、士農工商の身分制度許の中では許されていませんでした。
ハッキリと「武士」であって「商人」を営んでいた事に成ります。
故に、戒名を遺す事、菩提寺並みの檀家寺であった事に成ります。

そして、これを更に証明する事として、戒名が「釈」を使っている事に有ります。
この戒名の付け方は浄土真宗の付け方です。
浄土真宗は武士か郷士か庄屋や豪農や名主等の武士並みの格式を有する者が主に入信する宗派でした。
中に農民庶民であってもそれなりの扱いを受けた家筋を持つ者が帰依筋としていました。

更に、「浄土真宗」ではこの戒名は最高格式の戒名ではありませんが、普通の格式での戒名で、庶民は俗名を戒名としていたのです。
従って、先ず「戒名」を持ち、享保期では俗名外に「敬眞」の格式名が着けられている事はそこそこの立場を有していた事に成ります。

享保期には「商人」や「名主」で在り乍らも「武家」を未だ持つ、つまり「姓・青木」を持つ家筋をはっきりさせていた事を意味します。
これは「堀家」と云う姓を持つ事の繋がりを持つていた事でも証明できます。

その後、普通に使われる浄土真宗で使われる「浄の戒名の字」が宛がわれていますので、少し格式が下がった事に成ります。

上記の武士などの格式が時代の変化に伴い家柄を示す伝統が忘れ去られて行った事を意味します。
文化期には、格式が「普通の商人」に切り替わった家筋と成っていたのでしよう。
然し、依然として戒名は持ち続けていますので、元は「武士の出」の言い伝えが密かにあったのでしょう。

そして、明治期3年か8年に成り、「所縁」により「青木氏」を再び呼び興したのでしょう。
その「所縁」が祖母方の伊賀かは確定は出来ませんが、「所縁」の示す「家紋」からはお家の結び付く情報は今の所は「抱き角の日足の副紋の家紋」と成ります。
これが、「明治3年」の「誉・・・善」の祖母の戒名に表れています。
これには「宗派性」が無く、「伊賀者の原士の慣習」に良く使われた戒名です。
「祖母の系」は宗派に関わらない原士の様な系の戒名的な物です。
「現世と彼世の概念」の無い「神道」もこの様な名を使うのです。
「四つの世代」に分けて男女に分けての「神に導かれる概念」が強いのです。
「原士」もこの概念に導かれたのです。
宗派によってその宗教観から「戒名」にその特徴を持たしています。

「浄土真宗」は浄土宗より分かれ庶民に焦点を合わせて「親鸞」が新たに「宗教観」を創立したもので、大まかには「武士階級」と「庶民階級」に分けられ、お家は「商人」で在り乍ら「武士階級」に分けられた宗派と成ります。
これが、江戸末期に顕在化して、「明治維新」にこの「揉め事」を解決する為に「武士階級の浄土真宗」を「真宗」と改名して分けたのです。
これが現在では、「西と東の派」とよばれているのです。
「西本願寺」と「東本願寺」の事です。
お便りは、「浄土真宗大谷派」と記述していますが、正しくは「真宗大谷派」です。
この真宗はその後に「9つの派」に分かれますが。大谷派が本流です。
お家はこの「真宗」の「東本願寺派」に成りますので、「伊賀の青木氏の血筋」も持つ間違いの無い「近江の青木氏」であった事に成ります。

従って、滋賀には過去には次の「青木氏の菩提寺・清光寺」が有ります。
お家も祖母方も武士であった事に成りますので、次の清光寺をお尋ねください。

大津市山上町
甲賀市信楽町
京都市左京区

此処の三つの内の一つに遠いご先祖が祭られている筈ですのでお尋ねに成る事をお勧めします。
「伊賀青木氏」から分かれた「甲賀の御寺・青木氏の清光寺」かと考えます。

「大津の山上」と成ると少し意味が違ってきます。
又、京都市と成れば更に意味が違います。
当然に、甲賀に成れば推論が進みます。

武士であった事の出自が違就て来る事に成ります。

尚、参考に、
滋賀県多賀町大字 神明社
長浜市宮部     神明社
長浜勝町      神明社
東近江市三津屋町 神明社

これが江戸期直前まで「青木氏の守護神」でありました。  
此処も訪れる価値はあります。

これを更に超える情報が次の作業かと考えられます。

先ず元は「武士・郷氏」であつた事からは外れる事は最早ありませんので、この家紋の「時、場所、人」の要素でお調べに成る事でしょう。

必ず、郷土史等の記録に何処かに遺されている筈です。
筆者も更に伊賀の中での情報を調べてみます。 



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