青木ルーツ掲示板
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  [No.1185] 続 豪商長島屋
     投稿者:静岡の青木です   投稿日:2021/04/18(Sun) 16:32:46

お世話になっております。富士宮の青木です。前回ご教示願いました律宗族や密教浄土宗ということについて丁寧に解説していただき、お礼申し上げます。仏教の律宗と思い込んでしまいましたが正確には律令の律宗であると知り、そうだったかと思いました。志貴皇子の時代はまさにまさに律令政治の時代であり、そのことから青木のお家が背負ったものの重みを改めて感じました。
青木のお家は神仏習合の密教浄土宗ということでありますが若い頃聖徳太子や比叡山の天台教学を勉強していたので日本の初期の仏教が神仏習合であることはよくわかります。かねてより青木のお家は古い形をよく残していると感じておりました。
昨年、伊勢神宮へ行ったのですがあえて奈良から入り名張を通過し松阪で清光寺のことが気になって降りてみました。門前の説明版に今は清光寺だがもとは「神光寺」であったとあり阿弥陀三尊や行基菩薩のことが書いてあり、うなりました。やはり神仏習合なのだなと実感しました。そのほか伊勢では慶光院や斎宮が気になりました。富士宮の浅間大社も明治以前は境内に大日堂や護摩堂があり、社僧がいたそうです。
前回お便りしました長島屋のことですが図書館で本を借りてよく読んでみました。長島屋は日光道中、屈指の豪商で、長島屋のいた地は水運と宿場町で豊かな商人が多く、長島屋のほかに「伊勢治」などの大店もあったようです。管理人様が指摘されましたように江戸幕府からたびたびの献金の強要があり、記録に残っているそうで一回当たり数百両の献納を何度もしています。利根川や江戸川が近いのでその堤防は「御府内お囲み堤」といわれ、御府内とは江戸のことで「江戸を水害から守る堤」であったそうで何度か堤が切れたときは実際に江戸まで水が行ったそうです。長島屋はこの利根川水系の改修工事に多額の拠出をしていることがわかっています。長島屋の看板が菩提寺に残っており、長島屋の主人が池大雅と親交があり、池大雅が描いたもので「現金安売りかけねなし」と書かれています。長島屋は多角経営していて呉服のほかに金物、漆器、家具、材木、両替商もしていたそうです。干拓事業も多く手掛けて今でも「長島堀り」という水路が残っており、田畑を潤しているそうです。長島屋の墓所は一色氏と同じ寺にあり曹洞宗でした。また長島屋は結城郡にも田畑を所有していたそうで管理人様の指摘とよく一致するものでした。長島屋は前回書きました、様々な不幸により家運が傾きましたが、明治13年の大火がとどめになり、明治20年ごろ、この地を去ったそうです。江戸時代は青木氏にとって安定した時代であったのかと思っていましたがそうでもなかったのだなと思いました。
この地には平将門の供養塔もあり赤木大明神として祀られています。天慶の乱のとき藤原秀郷が陣を置いたという所もあり、そこには弘法大師ゆかりの光明院という大寺があったそうでそこで秀郷は戦勝の祈祷をしてもらったそうです。近隣にはご先祖が天慶の乱の時、紀州熊野から官軍に参陣したという旧家もあるそうです
いつも管理人様の連載を楽しみに読んでおります。祖父が富士宮の出身なので駿河青木氏の青木貞治のことも興味深く読みました。富士宮ですと駿河青木氏と伊豆青木氏のどちらに入りますでしょうか。
父の記憶によりますと祖父の実家は棚のようなものを作っていて職人さんが何人かいて、一階が店であったそうです。
コロナが収まる気配がありません。お体くれぐれも大切になさってください。どなたかも書いておられましたがこのサイトでご先祖様の生き様を勉強させていただき、感謝の思いです。



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