富士宮の青木です。たびたび失礼します。
長嶋屋のことで一つ訂正がありました。
長嶋屋の言い伝えに「元禄時代が全盛期だった」という、言い伝えがあるとお知らせしましたが、よく本を見ていましたら、この日光道中の宿場町の元禄八年の検地帳に「長嶋屋」がでているとのことでした。
その時は間口五間程度の店であったようですが、その後五十年ほどの間に急成長し、間口二十間、奥行き三十三間、屋敷地六百六十坪の大店に成長しているとのことでした。
これによりますと長嶋屋は元禄年間にはこの宿場町で商いをしていたことになります。この宿場町以外で商いをしていたのではないかと私見を書きましたが、訂正してお詫び申し上げます。
ついでに長嶋屋の家系について、過去帳にある初代は青木将監で、次に名前がわかる方が「勘右衛門」さんで寛永元年(1624)に亡くなっていて、その後が善右衛門さん(1673没)となり、長嶋屋始祖の吉兵衛さんへと続きます。