Re: 青木 半左衛門について。。。
副管理人さん 2007/08/03 (金) 19:26
さて、群馬の青木さん。
まず、お尋ねします。この研究室では、「群馬の青木さん パート2」の人からの投稿が以前にありましたが、この方ですか。
違うとして、始めての方であるとして、同じく、研究室に「WHO AM I」と言うタイトルでとお尋ねがありましたが、この方は、貴方の情報と同じ真田氏の家来であったご先祖を持つ方です。
もし、そうだとすると、ご先祖は親類であった筈です。
一度、この方のご質問を是非お読みください。
真田氏は信濃の南部の真田郷を居留地であり、本家がここに城を築いて一時、武田氏に潰されますが、後に、再び武田に拾われて、本領安堵されます。
それ以後、武田氏が潰れても、秀吉の保護されて頑張り、天下分け目の戦いの豊臣氏と徳川氏の戦いで、兄は徳川氏に味方し、弟は豊臣に味方します。
兄の本家はその後、徳川時代で論功行賞で、本領安堵で大きく成ります。この時、弟と父は九度山に
配流されました。
この時の一族であろうと思います。
この先祖の事に付いては、「WHO AM I」の方のレポートをお読みください。
家紋は、ご先祖の中で、御家の男子の継承が出来ていたかで違ってきますので、養子などを取り女系になれば家紋は養子先のものに成ります。「家紋掟」というものがあり、男系による継承が出来なければ家紋は変わります。
それを解明しないと家紋は変わります。
ただ、信濃の本家の家紋がどのように成っているのかも知る必要があります。
真田氏は、藤原秀郷一門で支流一門ですが、この家来であるとすると、藤原秀郷流青木氏が考えられますが、ただしこの時は古くからの家来であったことに成ります。
詳しくは「藤原秀郷一族の生き方」をお読みください。
しかし、この土地には、皇族賜姓青木氏と、この支流の足利系青木氏と諏訪族青木氏があります。
このものが、後に真田氏に仕官したこともあります。
詳しくは「皇族賜姓青木氏」をお読みください。
これらの方のお問い合わせも研究室で沢山記録されていますので、検索してお読みください。
多分、前記期だと考えます。
何か他に、手がかり情報が有りませんか。