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  [No.479] Re: 函館の青木さん
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/04/27(Mon) 09:00:43

函館の青木さん

今日は。
ご返事いただきましてありがとう御座います。
早速ですが、大変な情報です。

前回のレポートで明治期の青木氏であろうと九割は思っていたのですが、今回の情報で逆転しました。
つまり、家紋なのです。陸奥国に於いて「丸に三つ柏」の神紋は元々は少ないのです。
それは明治期以前は国を自由に移動する事は出来ない社会体制でした。全て役所の手形を必要として旅行程度が限度ですので、定住は出来ません。
ですから、この神紋の家紋が陸奥にある事が大きな疑問なのです。
この神紋は伊勢(三重)、近江(滋賀)、美濃(愛知)、信濃(長野)、甲斐(山梨)の5つの国が中心です。
つまり、この国に皇族賜姓青木氏がその国の守護王として配置してそこに青木氏を発祥させました。

詳しくは「青木氏氏 研究室」の「皇族賜姓族関係のレポート」を全てお読みください。
沢山ありますで、ゆっくりと少しづつ楽しんでお読みください。

概略はこの守護地の夫々の守護王は順に天智天皇、天武天皇、文武天皇、聖武天皇、光仁天皇の以上5人の天皇の第6位皇子です。この皇子が上記の土地に臣下しました。
第4位までの皇子が皇位継承権を持ち第6位皇子からは臣下する仕組みを天智天皇(大化改新の中大兄皇子)が蘇我入鹿の専横に反省して大化後に作りました。
これが最初の伊勢青木氏です。
上記5人の天皇から生まれたのが青木氏です。
天皇より直接青木氏を与えられる事を「賜姓」と言います。
青木氏はこの第6番目の皇子に与える特別な氏名でした。
ですから、この5つの国には村を形成して独自の寺社を持ち大変に青木氏が多いのです。
現在でも多くこの一族が現存しています。
それと、その土地の豪族との血縁で一族が広がり5家5流29氏に拡がっています。
信濃はその最も多い土地柄です。

当然、神官職を勤める一族の青木氏が居りますが、この一族は神官として藤原秀郷流青木氏との血縁をして(養子も含む)藤原秀郷流青木氏の土地(24)に移動しました。
神官職は当時は特別職ですので、誰でも成れるという訳には行きませんでしたので各地に養子縁組などで移動したのです。
特にこの藤原秀郷流青木氏は大勢力を持っていましたので、この一族の自前の寺社を持つ事を許されていました。この藤原秀郷流青木とは代々血縁関係を結んでいるのです。
当時の慣習では身分の吊りあいを前提にしていますし、純血を保つ為に皇族賜姓青木氏との血縁も積極的に行いました。元々母方で繋がっているのです。
この様な経緯から、信濃の皇族賜姓青木氏の神官の分家筋(嫡男外)が他の土地に婿として入り神官職を継いだのです。

お家はこの信濃の皇族賜姓青木氏の神官職を勤めていた一族の青木氏で、それが陸奥国の藤原秀郷流青木氏の神職として血縁をしたのです。これは史実としてありますので問題は有りません。
藤原秀郷流青木氏は藤原一門の第2の宗家ですので、各地24地方の自前の神官には皇族賜姓佐々木氏(近江)と皇族賜姓青木氏から神官を迎えていたのです。
この神官の青木氏が三つ柏紋なのです。そこで丸付き紋ですのでその分家筋に当ります。本家筋は余り移動しませんので移動の可能性は余計に高く成ります。
当然、陸奥は藤原秀郷一門の最大の一門が多く定住する主要国でした。

そこで、では何時の時代に移動したのかと云うことですが、江戸時代には既に漁民で商人であったことですので、鎌倉後期頃までは既に商人であったことが考えられます。
そうすると、多くが武士を捨てた時期が藤原秀郷一門にはあります。
それは鎌倉幕府が出来た時です。藤原氏は鎌足から8代目が秀郷です。最大勢力を誇りました。
朝廷から任命されて各地24地方に赴任し、其処に子孫を遺しました。
朝廷がつぶれ武士の時代になり、全一族は職を失いました。
そこで幕府から土地と職を奪われた為に生きていく為に土地の利と元の職を生かして豪農、郷士、郷氏、名主、庄屋、豪商などに成りました。
陸奥であれば、当然漁民の長などになったものであろうと考えられます。
お伝えいただいた漁の商人情報はこの事に関わると思います。
この事は藤原秀郷一門の24地方の各地で起こりました。

そこで、宗派ですが、浄土真宗ですが、実はこれにも、由来があるのです。
多分、正式な神職を外れて後に、この陸奥の土地には浄土宗は藤原秀郷一門の1寺がありましたが、室町時代の下克上で藤原秀郷一門は全て焼き討ちに合い消失しました。
そこで、これ等一族は浄土宗に近い真宗に宗派変えしました。お家もその時に職を失ったものと充分に考えられます
従って、特に藤原秀郷一門の24地方では多くはこの一時、真宗に宗派変えをしたのです。
陸奥では特にこの現象がある歴史的な史実で特に起こりました。
ですから、鎌倉時代の浄土真宗なのです。

詳しくは、藤原秀郷関係のレポートをお読みください。
藤原秀郷主要5氏と家紋の研究の皇族賜姓族4/10もお読みください。

さて、これ等を更に確定させてゆく為にも歴史的な史実や当時の習慣等から今回のようなちょっとした事でつながりが出て来るのです。
神職関係に繋がる何かちょっとした情報があると思います。先ずはこれからお探しになると良いと思います。
現在に於いて、個人でルーツをお探しになるには当時の習慣や歴史的史実の多くの専門的な把握が必要でなかなかむずかしものがあるのです。
ですから、同じ青木氏のサイトの歴史情報を大いにご利用ください。一つでもこの様に進みます。これで矛盾の一つが解けました。

以下をお調べください
信濃の情報を探る必要がありますね。特に神職関係で。かなりのところまでは行くと思います。
歴史の専門的な知識では信濃のどこ付近かでもかなり進みますよ。この土地でも神職と繋がります。

真宗に入られて時期は何時頃かも掴む必要があります。
というのは、「神職」ですので、「神道」と云う可能性があります。神道を止めて真宗に入ったということがあるからです。「神道」であった可能性が判れば「神職」と言う事に成ります。

又はご先祖の墓は何時建てたかも一つの要素です。

陸奥の村付近や陸奥秋田、山形などには大きい有名な神社の支社等がありませんか。お調べください。
春日、加茂、熱田、八幡、吉田神社などの神社です。

念のために三つ柏紋の柏の葉は細い葉もありますが、大きい葉ですか。これでもかなりの事は判ります。
このことは次ぎのお便りの時にご説明します。

青木ルーツ掲示板には多くの青木さんからのお便りが有りますが、ついに繋がるというとが起こりました。
例えば、有名なWBCのヤクルトの青木宣親選手の実家のご先祖も判りました。

これが、お家の由来であろうと考えられます。
ですから、珍しい陸奥での柏紋なのです。

ご質問や一寸したことなど有りましたらお伝えください。
お待ちしています



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