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  [No.572] 第3青木氏に付いて
     投稿者:青木三門   投稿日:2009/06/27(Sat) 13:14:57

青木三門です。すみません、気になる記事が有りましたので、お伺いします。大坂の青木氏氏のリポートの中に(ある国の1氏が寛永?年間に史実として。第3青木氏として記録されて要ると。)有りましたが、我が家の青木氏の事でしょうか。お答えお願いします。又遺伝的類似を信じますか。昨日南明寺に行き、住職氏と直接お会いして話しをお聞きして来ました源空寺時代の過去張は見せられないとの事でした。少し困った様子でした。(有る)共(無い)共の様子、曹洞宗と浄土宗とは相反する(吸収合併)だったとの事。です第3氏の理由を教えて下さい。


  [No.573] Re:第3青木氏に付いて
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/06/27(Sat) 21:38:58


青木三門さん 今日は。

さて、早速ですが、先ず一つ目のお尋ねの件。

「寛政系図」という江戸時代に書かれた主な氏の系図の中に、「寛永青木第三の系図」というのがあります。
この中に、甲斐武田氏柳沢郡青木氏の系図があり(経緯並びに添書譜は別史料)この中に第三氏の青木氏が載っています。

つまり、「柳沢郡の青木氏」を名乗った「第三の青木氏」です。
柳沢郡の青木氏は系譜上では本流ですが、血縁上では全く他人で血縁がない青木氏です。

更に、この青木氏を真似て名乗った全くの別の「第3の青木氏」もあります。

何れも血縁からは全く他人族です。後者は系譜、血縁ともにない青木氏です。

前者は系譜があるので現存しています。後者はもとより系譜がないので時系列が取れませんのでわかりません。

そこで、三門さんの青木氏がこのいずれにあたるかはお尋ねした重要な事がお答え頂いていませんのでなんとも答えようが有りません。前者か後者かは判断がつきません。

何れにしても、血縁はない事は明確です。

それをどの様に判断するかは以前にも申し上げましたがお家の問題です。当然、他人もこれをどの様に受け取るかは自由です。ご祖父の様に。

「遺伝的類似」と如何なるものかは判りませんが、科学的には有りません。

仏教は観念論です。あると信じればあり無いと信じれば無いのです。仏教では「色不異空 空不異色」では有りませんか。

住職もそれを念頭に話していると思います。

本来、過去帳は「正当な理由」があれば見せてもらえます。
仏教の説法の心得をお知りになる事が必要ですね。僧侶もその心得でお答えしている筈です。

過去帳の有無も、曹洞宗と浄土宗の差違も、「あると信じればあり無いと信じれば無い」のです。
以前に、「色即是空 空即是色」「色不異空 空不異色」と書きました。

文章の内容だけは是非に論理的に捉えてご理解くださる様常々思って居ます。

以下の事が雑談掲示板に投稿ありましたので移動させました。

お便り1
仏檀は源空寺がそのもの、仏檀では無かったのではと考えます。源空寺は我が家のすぐ前に有りますから。

”前にあるから..”で仏壇の有無を決めるのですか。武田氏一族ですよ。
”仏壇が無いが源空寺が側にあって其れが仏壇”とは驚きました。武田氏一族ですよ。
どの様に考えるかは自由ですが。ルーツとはその様なものでは有りません。

要望
この様なお便りは本サイトを愚弄するものでは有りませんか。他の方の青木さんにも失礼です。
また、情報の話を突然変えるなどの事は理解できません。
今後、この様な事のないように管理責任上お願いします。

武田氏系青木氏の宗家が菩提寺の側に家を建てるとは。かくもありたいものですが100%あり得ません。何百人の家臣を抱えた人が側に立てるとは前代未聞です。

寺は昔は寺だけではありませんでした。戦略的要塞なのです。戦いの時に使える様に、ですから国の要衝地に建てるのです。

むしろ、反対で第3氏であるからこそ側の寺の氏名を名乗ったのです。実は「第3氏」は殆どがこのパターンなのです。(未勘氏は別です)

「丸に花菱紋」青木氏一族(前者)はある場所に現存してお便りも頂いていますし、江戸末期までの系譜と史料は保持しています。

三門さんのお家はそのお家と親族であるのなら兎も角も、お家の「丸に花菱紋」は..です。

故に、住職はその根拠が無い為に過去帳に関して返答と開示を避けたと思います。
普通は見せていただける筈です。

お便り2
次に、”身を守る為に丸付き紋にした”と掲示板などに書かれていますが。

この発想もとても及びません。

むしろ逆で、「丸付き」にすると武田氏の抹消氏となり余計に危ない事に成ります。
そんな生易しい御伽噺の様なことでは有りません。用心深い信長の殺戮は有名です。比叡山のように。
普通は戦いで負けると、手を挙げれば追放程度で済みますが、信長は違いました。
関係する全ての土地の女子供は売却の対象です。
「丸」で身を護ったとは、其れこそが「第3氏」の言い訳に成ります。

だから甲斐の青木氏全一族は全て関東や四国地方に一族全て逃亡したのです。

土地に残る事すら無理でした。勝頼も諦め自刃です。甲斐に残ったのは農民と商人だけでした。

家紋に丸をつけただけで済むなどで済む事では有りません。どちらかが死ぬ生死をかけた勝負です。

だとすれば、信長は光秀に殺され、その後直ぐに徳川氏の支配下に入りましたので戻せばよいのでは。もし、大切な花菱紋であるのなら。

その前に江戸時代の末までの丸付き紋を含む花菱紋青木氏関係の全ての史料系譜を持っていますし、その末裔が現存する土地住所も確認しています。

この中には、..は見当たりません。

「家紋200選」のみならず、「全国の家紋8000」の中にも「丸に花菱紋」は有りません。
武田氏なら清和源氏ですので家紋200選にはある筈ですが無いのです。

私が持つ系譜の1氏の末裔のみ「丸に花菱紋青木さん」だけです。
つまり、1氏の「個人家紋扱い」である為に2つの家紋書に掲載されないのです。
この1氏は・・ではありません。