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  [No.574] 墓石にある先祖名のルーツが不明
     投稿者:渡邉一志   投稿日:2009/06/27(Sat) 20:17:09

お盆が近づく頃となりましたが、施餓鬼会の度に先祖のルーツが不明で悩んでいます。昔しから新潟(越後)の実家が真言宗の青龍寺の檀家総代を長男が引きついて担当していますが改築した古い墓石中に”渡邉梶太朗藤原かね房”がありました。*かねは現代漢字にはない様でした。父親から関が原の戦いで豊臣方に組したので、越後西蒲原に一族郎党が落ち武者狩りから逃げ落ちたとの事です。一族は鉄の精錬と農具等の生業で3兄弟が財をなし江戸時代には山林や田畑を多く所有していたそうですが、一族の中には”火の衣”という高僧が着る僧衣や刃先のみを別保管した槍等が本家の蔵あったとの事ですので京へ上る縁故つなぎが出目として古くからあった様です。”かね”は金属に由来すると思うのですが”金”の字ではありません。又、菩提寺横の奥深い細い山道を通り日本海に義経一行が落ち延び奥州に逃げたんだという話しを父から聞いていますので、奥州の藤原一族ともつながりがあったのでは思っています。奥州への途中の山形県に藤原一族の出目の有名な旧家渡邉家がありますので、つながりがないとは言い切れませんが、全く墓石名がどんなルーツなのか不明のまま数百年が過ぎようとしているのは残念な事です。


  [No.575] Re:墓石にある先祖名のルーツが不明
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/06/28(Sun) 07:41:16



渡邊さん 始めまして。
青木サイトにようこそお越しいただきました。
これからもよろしくお願いいたします。

さて、歴史を趣味としている者にとっては大変興味深い事柄です。楽しく読ませて頂きました。

青木氏氏のサイトには藤原秀郷一門の事柄を研究して多くのレポートを準備しています。
藤原秀郷流青木氏に関わる主要氏のことを詳細に把握していますが、残念ながら、渡邊氏までは行き届いては居ません。
確かに、奥州山形付近には藤原秀郷一門の青木氏が定住していますので、宗家に関わる一族がこの地に定住していた事は史実です。
「藤原秀郷主要5氏と家紋の研究」のレポートにもこの越後や山形の事は詳しくレポートとしていますが、渡邊氏までは把握できていません。
経緯から充分ありえる事ですので、手持ちの史料から渡辺氏に繋がる事がないかを調べましたが見つかりませんでした。
これからも、更に調べてみますので、判りましたらお知らせいたします。

義経の件は青木サイトでもその逃亡の経緯などを研究してレポートしています。確かに、奥州に逃げ込んだ事は確かなようで、義経一行(鈴木兄弟2人が同行)を匿った土地の庄屋を「判官さん」と呼称されていたと伝わっています。奥州藤原氏を頼った事は確かです。
最後は新潟の海岸から渡りモンゴルに逃げ込んだとされています。モンゴルのチンギスハーンの紋章は源氏の綜紋(青木氏の綜紋)の笹竜胆紋と酷似しています。
モンゴルの古い記録にはどの部族にも所属しない者が突然何処からとも無くやって来て頭角をあらわし、モンゴルの首長よりその指導力が優れていた為モンゴル族はこの前の首長を排除してこの者を首長にしたと記録されています。この者は常に2人の家来を伴なっていたと。
このことは研究室の「鈴木氏」の研究レポートに記録しています。
余談に成りましたが。

何か、ちょっとしたことでも有りましたら又お便りください。
青木氏氏がお手伝いさせていただきます。


  [No.576] Re:墓石にある先祖名のルーツが不明
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/06/30(Tue) 09:38:30


渡邊さん 今日は。

さて、藤原一門からの渡辺氏に繋がるものは調査しましたが残念ながら出て来ませんでした。
藤原氏は四家あり北家が勢力を伸ばしました。中でも藤原秀郷一門は同じ北家の摂関家を凌ぐ勢力を持っていました。この秀郷一門は直接24氏が出ています。
この24氏から更に枝葉氏として渡邊氏(渡辺氏など)が出ている可能性があるかを調べましたが有りませんでした。

渡邊又は渡辺は河の津の渡し場からの呼称であると聞いていますので、各地にこの津の渡し場から調べた所、渡辺氏(ワタナベの姓が多いので代表して)のルーツと観られるものが出てきました。
これが史実かは不明ですが、「渡辺氏のルーツ」で検索してください。その中でも、最も詳しく書かれたものがありますので其れは{札場靖人「貴方のルーツは何処」}のリンクを選んでください。
其処に家紋も3つあります。初代賜姓源氏の嵯峨源氏であるとしています。
その家紋に合致するかを確認してお読みください。

渡邊さんは菩提寺のお寺の総代をしていられると書かれていますが、其処に過去帳があると思いますが、既に読まれましたか。
過去帳の最も古い人が誰で、その人の戒名と法名と俗名とその戒名の「院殿居士」が付いた人であるかどうか、その院殿居士には三つの意味を持っていますので、其れを解読されるとかなりのことが判ります。
また、その人が江戸中期以前の人であるかを確認ください。一番古い人は何時の時代の人かも把握するとルーツが解けてきます。
ただし、ルーツを辿ることが出来ない場合があります。其れは「第3氏、未勘氏」と言いまして、元は農民か武士以外の庶民で、これ等の先祖をもつ場合は氏家制度の社会の中では氏を持ちません。つまり、姓を持たないと云う事です。氏姓を持たない事はルーツの時系列をもつ事は論理的に出来ませんので過去帳は途中から有りません。多分この場合は明治初期までと成ります。
武士であるとして、室町末期、江戸初期の混乱期に立身出世して武士となり近隣の土豪の氏名などを名乗ったとする氏名もあります。これらを第3氏又は未勘氏と云います。
先ずこのことを確認してルーツに入る事が必要です。

そこで、真言宗との事ですが、藤原氏と嵯峨賜姓源氏(第6位皇子)は浄土宗です。
源氏は嵯峨源氏に始まり、花山源氏まで11代あります。青木サイトはこの嵯峨源氏の前の5代の呼称氏で共に第6位皇子で皇族賜姓族です。つまり、賜姓源氏とは同族です。嵯峨源氏のところで事件が起こり青木氏から源氏と変名した物です。合わせて16代と成ります。
藤原氏とは母方で繋がっています。
嵯峨天皇は青木氏を皇族以外の者が名乗っては成らないと弘仁の詔を発しました。
特別にこの藤原秀郷だけは青木氏を名乗ることを許しました。
これ等の氏は全て浄土宗です。浄土宗はこれ等のうじが入る限定した宗派でした。

ここで、一つ違いが出ていますがこれをどのように解決するかが大きな問題点です。

これ等の違いを項目にしてレポートしていますので「青木氏氏 研究室」の「明治期の発祥の第3青木氏」のレポートの中にチェック項目がありますので一度お調べになってください。青木氏でなくても使えます。
もし、この第3氏或いは未勘氏であると幾ら探してもルーツは論理的に出て来ません。
念のために、明治初期(正確には江戸中期)を境にして氏家制度はなくなりましたので明治以降のご先祖のお働きの情報はルーツ探しには全く役立ちません。
それと、菩提寺の過去帳を先ずお調べに。

ご質問が有りましたら(ルーツ調べに関しての氏家制度の慣習などの)お尋ねください。