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  [No.647] 東京の斉藤で丸に三つ柏
     投稿者:サイトウ   投稿日:2009/10/26(Mon) 19:14:56

初めまして、東京の斉藤です。
家紋の丸に三つ柏について調べていたらこちらへたどり着きました。
祖先のことを少しでも知りたいので、もし解かることがあったら教えてください。

姓は斉藤で、戸籍上は齋藤か齊藤のどちらかです。
ちょと忘れてしまったので今度確認しようと思います。

家紋は丸に三つ柏。

宗派は結婚式は神式ですが、
祖父の父(曽祖父)のお墓は深川の猿江町にあって浄土宗です。

祖父の父で、私の曽祖父の家は深川にありました。
かなり大きな家で庭に竹林があり関東大震災でも倒壊しなかったそうです。
仕事はマグロ問屋と花街への仕出し屋を営んでいた商家です。
親戚も商家関係ばかりで、今もそんな感じです。
あと、親戚関係はほとんど東京に集中していて嫁いできた人以外で東京外の親戚を知りません。

確か花街の近くか中に家があったそうです。
芸者さんなどとよく遊んだと祖父は言ってました。
ですが、よく遊ぶ家系にも関わらずなぜか性に関してはとても硬い家です。
今でもちゃらちゃらしてる人間が多い割に男女関係には慎重で硬い人間が多く
昔から浮気や不倫などを家訓で禁止してきています。

東京大空襲で深川の辺りは焼け野原になってしまい
祖父は末っ子でもう亡くなってしまったので家系に関するものが残っていません。
なにか手がかりになることがありましたら教えてください。


  [No.649] 追記
     投稿者:サイトウ   投稿日:2009/10/27(Tue) 20:06:04

戸籍の表記は「齊藤」でした。


  [No.650] Re:東京の斉藤で丸に三つ柏
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/10/28(Wed) 19:43:41

齊藤さん 今日は。始めまして。
ようこそ青木サイトに御越し頂きました。
これからもよろしくお願いします。

さて、齊藤氏については特別に詳しくは有りませんが、藤原秀郷流青木氏を調べている過程での知識と成りますので御了承ください。
確かに、齊藤氏は藤原氏北家の一族で9氏の一つですが、藤原秀郷一門でもあります。
齊藤氏は藤原氏の中でも下がり藤紋を使用した9氏の一つです。
下がり藤紋は藤原氏の中で忌み嫌われて上り藤紋に変更したのですが、秀郷を含む9氏がこの下がり藤紋を使用してきました。
秀郷一門からも斎藤氏(齊藤氏、斉藤氏)が出ていますが、そもそも齊藤氏とは奈良時代と平安初期にかけて朝廷の政治機構は「3蔵」と呼ばれて、大蔵、内蔵、斎蔵で構成されていました。
大蔵は朝廷の財政上の役職、内蔵は天皇家の財政上の役職、斎蔵は朝廷全般の祭祀上の役職です。
斎蔵は当然に政治そのものも含むので、中臣の鎌足を始祖とする藤原氏は摂関家として務めたのです。
藤原氏は「藤原四家」と呼ばれて、北家、南家、京家、式家に分かれました。その中でも北家が勢力争いに打ち勝ち生き残り最大勢力を誇りました。
藤原秀郷は鎌足より8代目のその北家一門です。
秀郷一門だけでも351氏にも成ります。
この中で、秀郷一門主要5氏と呼ばれて4代目兼行系の青木氏、永嶋氏、長沼氏 4代目の文行系進藤氏、長谷川氏があり、その中でも青木氏は「第2の宗家」と呼ばれて一門を指揮していました。
詳しくは藤原秀郷関係のレポートをお読みください。

秀郷一門は先ず24氏に広がります。
そして、それが主要5氏を先頭に351氏となるのです。

秀郷流の斎藤氏は24氏から更に広がったこの第2支流に成ります。
この様に拡大した下がり藤紋を綜紋とする9氏らはその何処の藤原氏であるかの区別を明確にするために役職と地名とを使って氏名を名乗る掟を作りました。
「藤」の前に役職をつけて、祭祀を司る斎蔵の「斎」を採って「斎蔵の藤原氏」即ち「斉藤」と名乗ったのです。地名では「伊勢の藤原氏」で「伊藤氏」と成ります。
地名では秀郷一門の赴任地24地方がありますが、全て土地に定住すると云う戦略に基づき赴任地の地名をつけて名乗っています。多くは地名が殆どです。

この斉藤氏は秀郷流一門で5氏、利仁流一門で10氏が在ります。夫々家紋は違います。
この15氏の中には三つ柏紋は有りません。
下がり藤紋9氏の一つの斉藤氏はこの三つ柏紋です。
ただ、丸付き紋の疑問です。
藤原氏は全て副紋方式(2)を掟としていますので、丸付き紋は掟で使用していません。
次ぎの疑問としては斉藤氏が齊藤氏、齋藤氏の氏名を使用しているところです。

この2つの疑問を解決する必要があります。
何れも藤原氏の掟の疑問です。

次ぎは下の内容です。
祖父の父(曽祖父)のお墓は深川の猿江町にあって浄土宗です。

この齋藤氏、(齋藤氏)が関西を中心として定住分布としていますので、深川では判断が付きませんので宗派は疑問です。
藤原秀郷一門は全ては浄土宗ですが赴任地での浄土宗寺はありませんので、真宗に仮入信し赴任から戻ると浄土宗に戻ります。
浄土宗は特定高位の氏が独自で開山する古密教方式でしたので普通の氏が入信できないのです。
普通の氏が入信するようになった時期は江戸初期で浄土宗の督奨令で広がりを見せましたが、未だ上級武士にしか入れない宗派でした。従って、恐らくは深川ではこの浄土宗入信は明治期ではないかと考えます。
つまり、藤原氏の宗派は浄土宗ですが、江戸は初期前は浄土宗で無かった事を意味します。

この3つの疑問をどの様に解決するかです。
そこで、この3つの疑問から判断すると、明治期の3年の苗字令と8年の督促令による氏と成ります。
この時期、ある日突然、村郡の全市民が一斉にこの督促令で土地の知名人の氏名を名乗ると云う現象が起こりました。特に藤原氏のこの現象は特別なものがありました。
関東より以北と関西の近江滋賀付近でも起こったのです。

他にこの3つの疑問を解決する何かがあるかの問題ですが、少ない情報からは判断できません。
深川と云う江戸の土地柄からも疑問ですので、お寺の過去帳も江戸初期以前の前のものが無いようですので、これ以上の検証は出来ません。
ルーツは明治期以後の情報では判りません。明治期のルーツは祖父か祖祖父の戸籍簿ですので現在でも役所に出れば判ります。

以上ですが、ご質問等有りましたら、疑問解決に対する情報が他に有りましたらお知らせください。一寸した事でもルーツでは判る事がありますのでよろしくお願いします。


  [No.651] Re:東京の斉藤で丸に三つ柏
     投稿者:サイトウ   投稿日:2009/10/29(Thu) 02:54:26

早速の返信ありがとうございます。
また私の拙い情報でここまでたくさんの考察をありがとうございます。
自分でも疑問に思っていたところが解かったので嬉しいです。
親戚などにも色々聞いて辿れるとこまで家系をさかのぼってみようと思います。

本当にありがとうございました。