青木ルーツ掲示板
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  [No.690] Re:真言宗の青木
     投稿者:福管理人   投稿日:2010/04/11(Sun) 08:19:13

今日は。お久しぶりです。
お元気ですか。

よく覚えています。実は花子さんの名前です。私の母親が花子でしたので。
さて、お尋ねですが、一つあります。
お家のルーツの青木さんがどの系列の青木さんかが見えてきます。
家紋など古い情報があれば更に確定へと進むと思うのですが。

出身は広島県の三坂村、宗派は真言宗、年代は文久以前、お名前は青木彌平、文重さん、町長

そこで、お尋ねです。
彌平さんと文重さんの前にもう一つの名前が有りませんか。・・兵衛とか 青木・・兵衛文重と言う風に。
家紋は是非お調べください。菩提寺の戒名をお調べください。これで判ります。

検証しますと、お家は讃岐籐氏の青木氏の末裔だと観ます。藤原秀郷流青木氏で、讃岐に赴任した宗家の護衛役として同行、そこに定住した青木氏です。この青木氏は瀬戸内一体に大勢力を張っていました。
そして、「2足の草鞋」策で廻船問屋を営み、安芸の国に子孫を拡げ、最終島根鳥取の宍道湖付近まで拡げました。廻船問屋ですので商いで各地に店を広げて定住したのです。
三坂村はその証拠です。
次に宗派は本来は浄土宗です。多分本家は浄土宗だと思います。お家は、この商いに従事した側の末裔だと考えられます。大店を営むにはこれを護る武力が昔は盗賊、山賊、海賊対策などで必要でした。
運搬や店護衛などで武力が要ったのです。
これをもう一つの顔の武士で有ったのです。土地の勢力範囲を護る軍事力です。
この集団の廻船問屋は昭和の前まで豪商でした。
お家は宗派から、室町時代か鎌倉時代の間に商い側に従事していたために真言密教に入信したと見られます。真言宗は紀州の高野山で、四国は阿波と讃岐と土佐はその宗派の根拠地です。
この時代は「2足の草鞋策」を豪族は採りました。氏家制度の中で大一族で助け合う制度ですので経済的な裏付をつけて一族を護ったのです。
元々豪族は税として土地の産物をさばく仕事をしていますので、この時にこの産物を各地に運搬して行きます。護衛することが必要です。これをそのまま仕事にして護衛と商いに一族を分担させたのです。
各地に出張所を設けます。
お家は商いを担当した分家筋の末裔と見られます。
年代が文久ですので文重さんは寛政の頃だと思います。
国から指名されての台湾の町長をされていたとすると、まだある程度家柄であったと考えられます。
経済に強い所とその見識をみとめられたものと観られますので、安芸に渡った讃岐籐氏の青木さんではと思います。
安芸青木氏はこの讃岐籐氏の一族が主流です。家紋でわかりますのでお調べください。3つくらいの家紋に分かれています。安芸には明治以降の第3の青木氏は少ないのでまず確かと観られます。

この掲示板に沢山の讃岐籐氏の青木さんがお便り頂いています。
検索で讃岐でお調べください。お家の総宗本家の方からのお便りもありますよ。

藤原秀郷流青木氏のレポートが研究室にありますので、お読みください。
膨大な資料ですのでゆっくりと少しづつ楽しんでお読みください。
判らない所とかご質問はどんどんお尋ねください。

先ずは家紋などの事がわかればお知らせください。過去の商いの証拠となるような事も。



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