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  [No.692] 埼玉の青木修さん
     投稿者:福管理人   投稿日:2010/04/20(Tue) 17:02:33

ご来場記帳にお便りいただき雑談掲示板にご返事いたしました。

青木修さんの専用投稿欄をここに設けました。

代理投稿

[1838] 埼玉の青木修さん
福管理人
2010/04/20 16:44 - パソコン
  埼玉の青木修さん 今日は。始めまして。

全国の青木さんが集うサイトです。これからも青木サイトを盛り上げる為にご協力をお願いします。

サイトには膨大な資料がありますのでゆっくりと楽しんでお読みください。
ご質問など有りましたら専用投稿欄を青木ルーツ掲示板に設けますのでご遠慮なくお訪ねください。

私も長い間若い頃に埼玉草加に住んでいました。

さて、お家の家紋が丸に割り菱紋(又は丸に花菱紋)との事ですね。

武蔵の国は藤原北家の藤原秀郷子孫の宗家を入間を中心にして藤原秀郷流青木氏が「第2の宗家」として護衛役を担っていました。
そしてその圏域は横浜神奈川を半径として勢力を張っていました。

秀郷は藤原氏の中でも最大の勢力を持っていました。
この青木氏は秀郷の第3子の千国を始祖としています。そして、4代目の兼行流青木氏です。全国赴任地の24地方にその子孫を遺して来ています。
秀郷一門は351氏に末裔を広げています。その中でも最大は青木氏で116氏も広げています。
さて、お家は江戸時代から武蔵国に住んでおられ、菩提寺があり、家紋が丸に割り菱紋又は花菱紋であるとすると、実はもう一つの青木氏です。
武田氏が滅び、この時、一族の武田氏系青木氏の分家一族が全員家康に依って国代えを命じられました。そして、そこが武蔵国の鉢形です。
秀郷一門の青木氏が住んでいる中に移動したのです。そして徳川家の旗本の家臣になりました。これが花菱紋又は割り菱紋の青木氏です。
嵯峨期の詔に依って皇族系の者は青木氏を名乗る事が出来る事に成っていました。其の他は名乗っては成らないとの詔です。
藤原秀郷流青木氏はこの特例として母方が全て藤原氏である事を理由に名乗ることを許されたのです。
これとは別の皇族系源氏の武田氏である事を理由に名乗ったのです。
丸付き紋ですのでこの分家筋の末裔です。
家紋の事は家紋掲示板にレポートしています。
梅紋か星紋は多分は母方の家紋か副紋だと思います。
昔ご先祖が鉢形付近に住んでいませんでしたか

先ずはレポートをお読みになって不明な点が有りましたらお訪ねください。
お待ちしています。他に色々情報がありましたらお知らせください。

このお家の事は「青木氏氏研究室」の中のレポートの「甲斐青木氏の研究」に詳しくレポートしていますので先ずは先にお読みください。

この専用欄からお便り頂きます様に。