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  [No.716] 熊本の青木さん
     投稿者:熊本の青木さん   投稿日:2010/07/24(Sat) 12:10:06

雑談掲示板より代理投稿

お便り

はじめまして、私は祖父が熊本の菊池出身の青木です
家紋は菊池氏と同じ並び鷹です
丸など付いてないただの並び鷹です

祖父が亡くなる前に「うちの家は菊池の豪族だったんだ」と話はしていたのですが、詳しく聞くこともなく亡くなってしまいました
こちらを読ませていただいて、ある程度理解したつもりなのですが、菊池氏の方からは玉名市の青木村と関連があるのでは?というお話をいただきました

そのへんのお話もしわかるようでしたら教えていただきたく思いこちらに投稿させていただきました

もし、ご存知でしたらお教えください


  [No.717] Re:熊本の青木さん
     投稿者:福管理人   投稿日:2010/07/24(Sat) 12:14:27

> 雑談掲示板より代理投稿

熊本の青木さん 今日は。始めまして。

全国の青木さんが集うサイトにようこそお越し頂きました。
これからもよろしくお願いします。

さて、お便りは雑談掲示板にありましたが、こちらに移させて頂きました。

さて、お尋ねは「並び鷹の羽紋」の青木氏と玉名市の青木さんとの関連についてでありますが、情報が全くお家の江戸期の昔のものがありませんので何とも云えません。
そこで、お尋ねします。
お家は、何時ごろから熊本にいましたか。少なくとも江戸期には何処に。
宗派は何ですか。
江戸期にして士農工商の武士か農民か何でしたか。

確かに、地名地形データーベースに玉名市には青木村があったことが確認出来ています。
この青木氏は熊本一の大豪族の菊池氏との血縁で発祥した藤原秀郷流青木氏です。
藤原北家一門の秀郷一門が熊本に赴任した時に護衛団として同行した青木氏です。
藤原秀郷宗家は貴族の身分になりましたので武力は使えませんので、秀郷の第3子の千国を武士にして護衛役を担ったのです。これが「第2の宗家」と呼ばれる秀郷一門の中で最大に力を持った青木氏です。この青木氏は全国24地方に赴任しそこに子孫の一部を土地の豪族との血縁で遺しました。
この青木氏は武蔵国入間を中心として横浜神奈川を半径とする円上の中に本家筋が領国を護っていましたが、それが116氏になります。
そこで、現地の豪族、阿蘇神社の氏子、この場合は菊池氏ですが、現地に残った青木氏の一部が男系跡目の嫡子に恵まれず、他氏、つまり、菊池氏から養子縁組をしました。しかし、この養子との間にも男系嫡子が生まれず止む無く更に他氏から養子を迎えましたがこの縁組でも男系跡目の嫡子に恵まれなかったことから前の養子先の家紋継承と成ったのです。つまり、青木氏は結局2代続きで確実に女系となりましたので、菊池氏の方の系列の男系になった事を意味します。そこで、菊池氏系列になりましたことから、家紋掟により家紋は男系側の家紋に変紋を余儀なくされたものです。
阿蘇神社には違い鷹の羽と並び鷹の羽があります。
家紋掟に関しては研究室「家紋掟」のレポートをお読みください。
元は末裔にこの現象がなければ秀郷一門の青木氏は宗家の家紋と同じく「下がり藤紋」であったのです。
従って、玉名市には「下がり藤紋」の青木氏が居るかもしれません。居るとすると、この青木氏の本家筋になりますね。
この青木氏が住んでいたところが今の玉名市で青木村を形成する身分でした。
青木氏は平安時代は特別に氏家制度の中でその身分から村の形成を許されていたのです。

この熊本の青木氏は九州に襲来した蒙古の元寇の役以来菊池氏との深い付き合いをします。
詳しくは「藤原秀郷一門の青木氏の生き方」関連のレポートが沢山用意していますので、膨大な資料となりますが、ゆっくりとお読みください。
研究室にレポート準備しています。
先ずは先に菊池氏との関連のレポートがありますので、そこからお読みください。
「青木氏と血縁族」(家紋 鷹の羽紋)や「藤原秀郷一門主要5氏との関係レポ」
菊池氏と秀郷一門と付き合いが強く、菊池氏の一部が関東の秀郷一門の勢力下に移動して常陸あたりに逆の血縁をしてその子孫を遺しています。これが関東の菊池氏です。

もし、お家のご先祖が武士で江戸期から熊本にお住まいであり確認されれば、この並び鷹の羽紋の青木氏です。
武士であったかどうかは明治維新の本家の戸籍簿か、武士であれば青木氏本家の菩提寺の過去帳がありますのでそれを確認されると判ります。
或いは本家かお家に仏壇があり、宗派が浄土宗か浄土真宗でありますと、先祖位牌の中に先祖の戒名の書いたものがありますので、その一番古い人が江戸時代の人になって居るかを確認されると判ります。なければご本家にある筈です。
そのご本家も判らないとすると、玉名市の青木さんとは別である可能性が高まります。
実は、明治3年と8年に苗字令と督促令が出て、維新政府の指導もあり大半の姓の持たない武士以外の庶民が半強制的に周囲の氏名と家紋などを使って役所に届け出たのです。判別が付かなくなりました。それが維新政府の狙いでもありました。それまでの江戸期前の氏家制度の慣習を壊す目的から。
この庶民は江戸期前には氏を形成して経時的に管理する習慣そのものがありませんでした。
この事の確認が必要で上記の確認となります。
何をともあれ、ご本家には本家の勤めとして何がしかの古い証拠的なものがあると思います。

先ずは情報が少ないので上記のことをご確認ください。
そこで、この青木氏以外に来た九州からの青木氏と宮崎からの青木氏の移動が考えられるのです。
豊前、豊後、筑後地域に分布する青木氏と宮崎鹿児島地域からの日向青木氏が時代死の移動で考えられます。
前者は同じ藤原秀郷流青木氏で、後者は源の宗家頼光より4代目頼政の以仁王の乱の時に孫の高綱、宗綱、有綱が日向に配流され、そこで子孫を遺して青木氏を名乗りました皇族青木氏があります。
この2つの青木氏が肥後に移動してする事も考えられますので、時代性の確認が必要なのです。

ご不明な点やご質問などありましたらご遠慮なくお尋ねください。