福管理人さん、有り難うございます。
お礼のお返事が遅れて済みません。
ネット、高山郷土史、喜入郷土史を見て色々と調べていました。
福管理人さんのお答えには心躍るばかりです。
種武の子(不祥)が誰で、1400年頃肝付氏と血縁これが、誰なのか、興味を引くところです。
大蔵氏系永嶋氏(長嶋氏)と1410年頃、血縁している兼重の弟、兼経(兼成)(五郎九郎)
については、兄兼重が大きすぎるためか余り記載がなく、今後更に調べて行行ければと思いました。
長嶋兼道では、記載はないが、肝付兼道(兼護)として関ヶ原の戦いで亡くなっているとの記載があり、良兼が肝付本家を継ぎ、兼道自体は長嶋を名乗ったが、良兼の後、肝付本家を継ぐこととなったため、名前が出てこなかったのかなと推測しました。
兼久も肝付本家をついでおり、後継に譲り、長嶋を名乗ったのでは、とか勝手に想像を巡らせていました。
しかし、ひとつの結論としては、肝付本家の継いでいる人物が、長嶋を名乗っていると言うことから、肝付家と長嶋家は同等に近い位置にあると確信しました。
喜入郷土史より関ヶ原後、肝付家は本家継承ができなくなり、初代は伊集院家より、養嗣子として入った兼三以降は、本家継承に関わってこない分家兼連の兄弟兼光子孫が再興し現在に至っていることが分かりました。
問い掛けして頂いた謄本ですが、現在こちらで愛知に移住してから長嶌太吉から繋がる本屋から入手できた物で、戸主を太吉から養嗣子長嶋源吉に変更した時のものです。長嶌太吉についての記載は前戸主の欄にしか記載がものです。