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  [No.848] 群馬県の青木です。
     投稿者:群馬の青木   投稿日:2012/03/21(Wed) 18:02:33

はじめまして。
最近家のことが気になって調べていたらここに辿り着きました。
私はまだ学生で今は群馬県外に住んでいるのでなかなか調べられないんです。
わかっていることは、

・家の裏山に「風穴」という大きな穴があった。(今は小さくて、昔その穴のおかげで火事を逃れたという話があります。)
・家紋は丸に抱き角。

これぐらいなんです。これだけでもルーツがわかるでしょうか?
よろしくお願いいたします。


  [No.849] Re:群馬県の青木です。
     投稿者:福管理人   投稿日:2012/03/22(Thu) 13:18:02

>家紋は丸に抱き角。

群馬の青木さん 今日は。始めまして。
ようこそ全国の青木さんが集う青木氏氏のサイトにお越し頂きました。
これからも本サイトをよろしくお願いいたします。

青木氏に関する研究を続けています。サイトには青木氏に関する膨大な資料が用意されていますのでゆっくりと少しづつ楽しんでお読みください。
サイトは世界的なサイト運営をしています。外国向けにも配信していますし、ヤフーにも歴史カテゴリーのブログを持っていまして情報量では段突トップの日本一のお墨付きももらっています。
全てのサイト運営では1万人/日は超えています。これからもサイト運営には共にご協力をお願いします。

さて、お尋ねですが、提供された情報では”群馬の「丸に抱き角紋」”ですが、ルーツは判りますよ。
お答えから先に、信濃諏訪族青木氏で、皇族賜姓族の信濃青木氏系の青木さんです。
そのルーツのご先祖の歴史は古いですよ。日本書紀にも出てくるご先祖です。
(研究室に日本書紀のレポートがありますのでお読みください。)
そのルーツの経緯は大まかに次ぎの通りですが、詳しい事は多くの昔ご親戚の方からお便りが青木ルーツ掲示板に保存されていますので”諏訪族青木氏”で検索してお読みください。
そもそもおうちのご先祖は、織田信長と甲斐の武田氏との戦いで武田氏が滅びますが、この時に藤原秀郷流青木氏を頼って越後と神奈川と栃木と土佐に逃げ延びます。
信濃諏訪族は武田氏と戦い敗退しますが、この時に諏訪族青木氏は、諏訪族の「ゆう姫」が武田氏に嫁ぎますがこの時に諏訪族の青木氏は3つの支流が生まれます。
先ず信濃には信濃王の皇族賜姓の信濃青木氏(0)が存在して、この信濃青木氏と諏訪族が血縁して皇族賜姓諏訪族系信濃青木氏(1)が発祥します。
皇族賜姓信濃青木氏は武田氏と血縁して武田氏系青木氏(4)が発祥します。
武田氏と皇族賜姓の諏訪族系信濃青木氏(1)と血縁して武田氏系諏訪族青木氏(2)が発祥します。
武田氏系青木氏(4)と(1)が血縁して武田氏系諏訪族賜姓信濃青木氏(3)が発祥します。
諏訪族系青木氏は以上の3つの氏が生まれます。
この一族が織田氏と戦い敗退して多くは神奈川の藤原秀郷流青木氏(A)を頼って逃げ延びます。
この一部が更に栃木(B)に逃げます。この多くは(1)の一族です。
次ぎに(3)の一族は越後の藤原秀郷流青木氏を頼って逃げ延びます。
(2)の武田氏系諏訪族青木氏は武田一族ですので多くは滅びますが、四国の讃岐の藤原秀郷流青木氏を頼って土佐と安芸に逃げ延びます。
さて、この3つの諏訪族系の青木氏の内、お家のご先祖は神奈川に逃げ延びて栃木に移動した(B)の(0)系の皇族賜姓族の諏訪族系信濃青木氏です。
この(B)は栃木で藤原秀郷流青木氏の庇護の下に勢力を盛り返し、秀郷流青木氏が武蔵から下野、上野と勢力を拡大するに連れて(B)も北上続け移動して仙台の手前まで子孫を伸ばしました。
この上野の一族がお家のご先祖です。

そこで、家紋ですが、(1)は元は皇族賜姓族ですので笹竜胆紋ですが男系継承が出来ずに女系と成り養子実家先の諏訪族の抱き角紋に変紋します。(諏訪族は三つ立梶紋で諏訪族青木氏は抱き角紋)
お家は丸付き紋ですので、(1)の(B)の上野に伸張して定住した一族の末裔の支流と成ります。つまり、分家一族です。
これ等の事は研究室と青木ルーツ掲示板と家紋掲示板と地名地形データに詳しくレポートしていますのでお読みください。

お家は元をただせば、光仁天皇まで5代(天智天皇、天武天皇、文武天皇、聖武天皇、光仁天皇)の天皇の皇族の第6位皇子(皇子の内の第6番目の順位の皇子の事)が臣下して侍と成り、天皇を護る親衛隊として働きます。その天皇からその際に「青木氏」と賜姓を受けます。
これらの皇子は伊勢王、近江王、美濃王、信濃王、甲斐王として赴任しました。
その信濃に配置された「信濃王」の「青木氏の末裔」に当り、この末裔が信濃の諏訪族と血縁して男系継承の跡目が叶わず女系となり養子先の諏訪族系列に入った皇族賜姓族の青木氏と成ります。
この一族が武田氏の敗退と共に諏訪族は武田氏に味方した為に神奈川に逃げ延びたのです。

そもそも諏訪族とは、大化期の645年頃に後漢の民が大和に200万人17県民が阿智使王と阿多倍王の首魁にに率いられた職能集団が日本に上陸しますが、この帰化した民でその一部の馬部や鞍造部等が信濃の開拓に配置された後漢の民を先祖としています。(部とは職能集団の事)
その信濃の地の開拓の責任者が信濃王で、この信濃王の青木氏が後漢の民の首魁と血縁して発祥したのが(1)の青木氏です。
そして、この信濃王の青木氏(0と1)と諏訪族の首魁とが天武天皇に直接面会してそこで信濃の開拓地の状況を報告し、その報告の中でもう少し年貢の減額を願い出ると言う大変な発言をした事が日本書紀に書かれています。その一部の諏訪族の血が流れているのが(1)の青木氏です。

青木氏は(0)の皇族賜姓青木氏5家5流の他に、特別賜姓族で母方血縁族の藤原氏の北家の「平の将門の乱」を鎮めた藤原秀郷の3男(千国)が朝廷から皇族ではありませんが特別に賜姓を受けて(0)と同じ扱い身分家柄官職冠位官位など一切を同じ扱いと成った藤原秀郷流青木氏があります。
この青木氏は116氏にも拡がった日本の最大勢力を誇った一族です。藤原氏の「護衛団の任務」と「第2の宗家」を担っていました。全国24地方に分布しています。

この他に第6位皇子以外に賜姓を受けずに青木氏として皇族が下族した場合に名乗る氏として嵯峨天皇の詔勅で決められました。
この「皇族青木氏」は丹治氏系青木氏と武田氏系青木氏とその他に3氏存在します。
歴代18人の適合者が居ましたが子孫を遺せたのはこの5つの氏で中でも丹治氏系青木氏が多く遺しています。

因みに筆者は伊勢の青木氏で天智天皇の皇子の伊勢王の直系の宗家末裔で家紋は笹竜胆紋です。
後に清和源氏の宗家の源頼光-源頼政(以仁王の乱の首謀者)の孫の京綱が1180年前直前に伊勢青木氏の跡目に入っています。お家もそのルーツの基は皇族賜姓信濃青木氏で元は笹竜胆紋と成ります。

風穴の件は詳しい場所や時期等が判りませんのでなんともお答えできません。

兎も角もサイトに詳しい資料が用意していますのでゆっくりと楽しんでお読みください。
判らない事質問等有りましたらご遠慮なくお尋ねください。
その際には、このルーツ掲示板にその専用の欄を設けますので其処からReでお尋ねください。

では、また楽しいお便りなどお待ちしています。学生さんですね。学業の事若き悩み事やどんな事でもルーツのこと以外でも青木氏の人のためにもお答えしますよ。
筆者は元は物理系の技術者でしたので特にこの方面も得意としますし、人生論も年寄りですから受け付けますよ。

では又。


  [No.850] Re:群馬県の青木です。
     投稿者:群馬の青木   投稿日:2012/03/22(Thu) 14:34:03

お返事ありがとうございます。えっと、風穴は菱町にあります。