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  [No.863] Re:静岡の長嶋です
     投稿者:長嶋   投稿日:2012/09/15(Sat) 10:52:17

福管理人、お久しぶりです。
先週末から鹿児島旅行してきました。
韓国岳登山口にある六観音御池:六観音の像を祭る仏堂のあった豊受神社と岩屋霧島神社湧水町栗野:地蔵供養塔、
霧島市:隼人塚、韓国宇豆峯神社
志布志市:臨済宗大慈寺、肝付兼続之墓
肝付町:高山城跡、大来目神社、臨済宗道觧榕、良清検ψ、盛検ヲ侘付代々福ヲbr>鹿屋市輝北町:加瀬田城跡(肝付兼隆供養塔)
ただ、訪れるだけでしたが、とても満足する旅でした。
福管理人さんから、教えて頂いた、阿倍には場所の確定ができず、今回は断念しました。
今回は,その時期ではなかったのかもしれません。

『次右衛門』の継承、阿多倍王、武寧王との血縁関係の有無について有り難うございました。長島勘右衛門の次の人つまり三河国川路村長嶌太吉の成り立ちが鍵を握っている人なんですね。ここが分かれば、何故『長嶋→長島→長嶌』となり、長女『長嶌とめ』と『杉浦源吉』が明治3年に入籍し、長嶋に改名した意味も見えてくるのですね。

今回旅行で、また、長嶋の名と出会うことができました。
『長嶋早右衛門尉』という方です。
鹿児島県史料 旧雑録拾遺伊地知季安著作史料2 46頁
『寛永軍徴巻十四ノ下』 寛永15(1638)年2月1日 
此日蒲生衆廿八人出足して、先鹿児島に参越す。覚 ・・・長嶋早右衛門尉殿
また、
鹿児島県史料 旧記雑録追記1 224頁
神社仏閣調 慶安5(1652)年8月21日
御犬之従馬場材木運衆次第不同・・・・・肝付早右衛門殿

寛永13(1636)年 鹿児島衆御検地帳 新堀上:長嶋次右衛門
元禄11(1698)年 薩陽過去帳(32頁)肝付次右衛門(元禄十一戌寅年七月卒 露厳良体居士)
ここで、次右衛門と早右衛門が親子とすると
上記の長嶋次右衛門=肝付次右衛門か、長嶋早右衛門=肝付早右衛門=肝付次右衛門(家督継承にて改名)という可能性が出てきました。

福管理人さん、また質問なのですが、
伊勢長島氏に長島〇之進かねみつ(金光?)と云う方はいるのでしょうか?
宜しくお願いします。



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