青木ルーツ掲示板
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  [No.875] Re:ルーツを教えて頂けると嬉しいです
     投稿者:福管理人   投稿日:2012/10/29(Mon) 08:08:01

山口の青木さん 今日は。始めまして。
ようこそ全国の青木さんが集うサイトに御越し頂きました。
これからも宜しくお願いします。
サイトには青木氏に関する膨大な研究資料を準備していますので、ゆっくりと少しづつ楽しんでお読みください。ご質問やご不明な点や土地の青木氏に纏わる伝説などありましたら是非お便りください。

さて、ご質問の件ですが、頂きました情報は以下の通りですが、時代性が良く判りませんがお答えはルーツを確定する条件が揃っています。
山口県東部、浄土宗、土地の総代、江戸期には医者、家紋が「丸に抱き角紋」、親族が宮司、古代には同族血縁、白い羽二重着用、青木周蔵との関係
以上ですが、お家の母方ルーツは次ぎの通りです。

先ず地理的に検証します。
この山口県東部の日本海側から米子や八頭にかけて2つのルーツの青木さんが定住していました。
A 一つは信濃の「皇族賜姓族」の「足利氏系青木氏」
B 二つは讃岐の「特別賜姓族」の「藤原秀郷流青木氏」
この2つの青木氏は宍道湖と美作を縦に東西を境に山口側、島根側と鳥取側とに定住していました
日本海の宍道湖から東側米子八頭まではAの足利氏系青木氏が定住しています。
宍道湖から西側は島根の日本海側と美作と安芸にはBの「藤原秀郷流青木氏」が定住しています。
そこで、地理的には「山口の東部」と成りますと、瀬戸内に勢力を張ったBのルーツの青木さんと成ります。Aの青木氏は北部宍道湖ギリギリまでしか延びていません。

そこで、次ぎに家紋から観て見ますと、「丸に抱き角紋」は「皇族賜姓族」の「信濃諏訪族系青木氏」と成ります。
ただ、この「諏訪族系青木氏」は武田氏に味方して3つの武田氏系青木氏に分流しています。
「諏訪族青木氏」と「諏訪族武田氏系青木氏」の「皇族賜姓族青木氏」の2氏と、「武田氏系諏訪族青木氏」の「武田氏系」の青木氏との3つに成ります。何れも親族ではあります。
身分家柄から、諏訪族青木氏>諏訪族武田氏系青木氏>武田氏系諏訪族青木氏と成ります。
この3つの内のどの氏であるかは、「浄土宗」と「白の羽二重」と「同族血縁」と「神職の宮司」の情報で確定します。
少なくともこの「4つの条件」に全てに完全に一致するのは「諏訪族青木氏」です。後の二つの氏はこの4つの条件のいずれかに昔の青木氏の慣習に一致しないのです。
この「信濃の諏訪族青木氏」付いては次ぎの通りです。
「信濃の皇族賜姓青木氏」は、天皇の「第6位皇子」が「信濃の守護王」として奈良期に信濃に定住していましたが、この「信濃の皇族賜姓青木氏」の一族が土地の「豪族の諏訪族」との跡目養子の血縁をします。この時、この「信濃皇族賜姓青木氏」には男系の嫡子に恵まれず諏訪族から跡目養子を採りますが、再び男系の跡目嫡子に恵まれず、当時の武家の慣習により「皇族賜姓族」ではありますが、女系と成った為に男子の養子先、つまり「諏訪族」の系列に組み込まれます。
これが「信濃皇族賜姓青木氏」の「諏訪族系青木氏」です。
前2つの「諏訪族青木氏」には「古代密教の浄土宗」に入信する事が許されます。
平安期から室町期までは「浄土宗」は「古代密教」ですので特定の限定した氏(皇族系)しか入信を許されませんでした。そして入信すると独自独善の青木氏だけの寺、つまり「菩提寺」を建立する仕組みでした。
昔は誰でもが自由に寺社を建立すると云う慣習ではなく、平安期の朝廷から特別に許された身分家柄の氏しか建立する事は出来なかったのです。
同じく、「皇族賜姓青木氏」は独自に「伊勢神宮の皇祖神」の「子神」として「祖先神の神明社」を建立する義務を負っていました。この「神職」には一族から選ばれた者が宮司を務める慣習でした。
「青木氏との守護神」(神明社)の投稿中の論文を参照して下さい。
当然に、「神明系5社の神社」も「皇族賜姓青木氏」が独自に建立する権利を持っていました。
この当時は他の氏が勝手に寺社を建立する権利を持っていなかったのです。
ごく限られた氏しか持っていませんでした。
浄土宗は入信が自由に成ったのは江戸初期からです。それでも上級の武士だけでした。
この事からすると「信濃の諏訪族青木氏」であり「神職」で「浄土宗の寺の総代」であった事はこのことに適合しています。

それに、少なくとも慣例により室町中期までは「白の羽二重」の着用は「皇族の朝臣族」(5家5流の皇族賜姓青木氏一族)にしか認められて居なかった慣習でした。儀式や目出度い時に着用する習慣でした。
「信濃諏訪族青木氏」は「皇族臣下族」ですのでこの権利を持っていました
この事で面白い事件が歴史にあります。
織田信長が甲斐に凱旋した時に、甲斐の「皇族賜姓族青木氏」の者が白馬に乗り白装束の儀礼の形で迎えたのです。ところが皇族賜姓族の皇族の慣習儀礼である事を信長が知らず、怒って馬から引き摺り下ろし殴る蹴るの仕打ちをして、後から失笑を受けたのです。歌舞伎にも成ったくらいの事件です。
「第6位皇子で朝臣族の臣下族の5家5流の皇族賜姓族の青木氏」にしか認められていない着衣です。
これは大変な家柄を示す「同族血縁の慣習」と共に「口伝」の重要な貴重な情報です。
余り知られていないこの様な昔の「朝臣族の伝統」の慣習を知っている事が「信濃の皇族賜姓族」の証しでもあります。

次ぎにこの「5家5流の皇族賜姓族青木氏」は奈良期から「皇族の血筋」を維持する為に、つまり、「純潔性を保持」する為にある一定のルールに従い同族間の血縁を繰り返したのです。
皇族第4世族の範囲の「真人族」と「朝臣族」の者に与えられた特別氏の慣習でした。
次ぎの「青木氏の守護神の−22」でも詳しく論じます。
「5家5流の皇族賜姓青木氏」は「近江、伊勢、美濃、信濃、甲斐」に定住しています。
因みに、筆者は伊勢の青木氏です。お家はこの信濃青木氏です。この二つの皇族賜姓青木氏は同族血縁を含む「商い」でも深い関係にありこの状態は明治期まで続きます。
この二つの賜姓族の氏は「皇族武家」でありながら片方で「2足の草鞋策」を採用し、明治期まで「古代和紙」を扱う950年も続いた超大豪商の一面も持っていたのです。
1025年頃から守護としての租税の扱いを本格的に「商い」としても営みました。

お家は「神職」でもあった事と家紋に丸が付いている事から判断して総宗本家筋の分家であった事を物語ります。
つまり、この「4つの条件」を満足する氏は「5家5流の皇族賜姓青木氏」の一族一門しかありません。

さて、ではこの養子血縁先の「信濃諏訪族」とはどの様なルーツを持っているのかと云う事ですが、これもはっきりしています。
お家の「諏訪族」は、元は中国の漢の国があってこの漢の国も滅びますが、その時、その内の一人の光武帝と云う者が中国の東部と朝鮮半島北部にかけて征圧して「後漢」と言う国を再び造り上げます。
更に618年頃にこの国が完全滅びて、この国の全ての200万人の民は645年の頃に掛けて末帝の子供「阿智使王」と「阿多倍王」に率いられて日本の北九州に上陸し瞬く間に九州全土を無戦で制圧し播磨の手前まで勢力を広げます。日本の当時の国の32/66を占有します。
南九州の「阿多」と「隼人」と云う地域に居を構えていました。その後、朝廷から呼び出され首魁の阿多倍王は伊勢北部伊賀地方の半国割譲を与えられて住み着きます。
後にこの一族は敏達天皇の孫の芽淳王の娘を娶り皇族と血縁します。
大蔵氏、内蔵氏、坂上氏や阿倍氏や平清盛の先祖の伊勢平族を発祥させます。
大蔵氏は九州全土の最大豪族で自治を認められた氏です。
然し、この後、天智天皇の頃に戦わずに帰化します。
この帰化した内の200万人の「職能集団」の民の内、「大型馬」を飼育する「馬部」の職人等の集団が信濃や甲斐の土地を開墾させる為に移動させて配置します。奈良期末期です。
この職能集団の大型馬を放牧飼育する馬部の首魁がこの「諏訪族の長」なのです。
この集団が平安期には土地の大豪族に成ったのです。
この諏訪の土地の豪族と信濃皇族賜姓族との血縁よって上記した経緯から諏訪族青木氏と成ったのです。
この「信濃皇族賜姓青木氏」もその分家筋の「諏訪族青木氏」も1370年くらいの悠久の歴史を持つ氏なのです。何れも同時期にこの天領地の信濃の開拓民を治める為に配置されたのが「信濃皇族賜姓青木氏」なのです。日本書紀にもお家のこの二つのルーツのエピソードが出てきますよ。
つまり、お家はこの様な「重要な情報」を口伝として維持してきている証拠です。
お家はこの内の「信濃皇族賜姓族の分家の諏訪族青木氏」である事を強く物語っています。
お家のルーツの信濃の総宗本家は現存しています。この本家は綜紋の家紋は「笹竜胆」です。
「抱き角紋」の「諏訪族系青木氏」は元はこの皇族朝臣族の家紋と成る綜紋の「笹竜胆紋」を家紋としていましたが、跡目に欠けて女系と成った事で「諏訪族系」と成ったために家紋が諏訪族の家紋と成ったのです。しかし氏の綜紋は「皇族朝臣族の笹竜胆紋」なのです。
「丸付き紋」ですのでこの分家筋に当ります。
これ等の事は全て研究室に詳細に説明していますのでそれをお読みください。


ところで、何故、山口なのかと成ります。
検証を続けます。
この「諏訪族青木氏」には有名な信玄と諏訪族との関りがありますが、この「諏訪族青木氏」の一部が織田信長と武田勝頼との戦いで敗退して、「神奈川の藤原秀郷流青木氏」と「新潟の藤原秀郷流青木氏」を頼って逃げ延びます。ここ神奈川からまたその一部が栃木に移動して武蔵の本領の宗家の「秀郷流青木氏」の力を借りて、この「諏訪族青木氏」は栃木群馬の北部を獲得して復興させます。
そして、「藤原秀郷流青木氏」の家臣に成ります。
この神奈川と栃木の何れかの「諏訪族青木氏」が、「藤原秀郷宗家一門」が安芸と美作一帯の守護として赴任しますが、この時、この「諏訪族青木氏」の一部が家臣として「秀郷流青木氏」に従って安芸の赴任先に護衛団として同行して移動します。
この「諏訪族青木氏」の可能性が先ずあります。

次ぎに、武田氏が隆盛を極めた時期に「安芸の分家武田氏」がこの安芸の一部を獲得して安芸の武田氏が定住します。この時に武田氏の家臣と成った「諏訪族青木氏」が付き従います。
この時の「諏訪族青木氏」である可能性があります。しかし、この青木氏には上記の「4つの条件」の権利を持つの家柄ではありませんので異なると考えられます。

更に、室町期中期までに「青木氏の守護神」の「祖先神の神明系5社」の566社の内の神明系社の建立を広島に5社や山口に1社建立していますが、この時に派遣された信濃から派遣された諏訪族青木氏である可能性もあります。
実は、信濃の「皇族賜姓族青木氏」から各地に、特に陸奥域から安芸域にかけて神明社系の守護神の神職や青木氏が多く住む青木氏の浄土宗菩提寺の住職としても派遣されています。
(地名地形データーベース参照)
この山口か広島の神明社系住職であった可能性があります。これには、柏紋の住職と抱き角紋の家紋を持つ住職の青木氏が多いのです。
そもそも、諏訪族は「信濃諏訪大社」を産土神の守護神としています。
然し、お家は「純粋な諏訪族」ではなく、血縁による跡目の掟から諏訪族系に組み込まれた皇族賜姓族の青木氏ですが諏訪大社系の住職も考えられます。
然し、この場合は、普通は宗派は「神道」と成りますが、神職の住職でありながら「浄土宗」であるとするとこれは皇族賜姓族だけに認められた慣習ですので、諏訪大社の神職も考えにくい事に成ります。

米子の「信濃皇族賜姓族」の「足利氏系青木氏」が山口東部に移動した可能性がありますが、記録にはありませんし、「神職」と成ればのでこの青木さんでは無いと考えられます。
且つ、浄土宗の総代を務めたとすると「神職の家系」であり「浄土宗菩提寺の総代」と成りますと氏の特定は限られてきます。「皇族賜姓族青木氏」と限られます。

以上4つのルーツからの移動定住によるものと考えられますが、3番目の信濃から派遣された「信濃皇族賜姓族の諏訪族系青木氏」と成ります。丸付き紋ですのでその分家に当ります。
四つ鹿角文様の抱き角紋ですから本流の分家筋と成ります。

普通、本来は移動定住は、ある限られた「許可を得た者」の定住と「婿入りした者」と成りますので、普通の者は何れ元の国に戻る必要があります。勝手にその土地に定住する事は「国抜け」になり一族打ち首の罰を受けます。然し、これをクリャーする者として、それには「神職か住職かの者」と成りますのでお家はこの何れもの条件を備えています。
更に、江戸期には「医者」であったとする情報から、昔の慣習の傾向の一つとして、神職や住職の部屋住みの後継ぎ(嫡子外の者)が人を救うと云う立場から「医者」を志した傾向が江戸期までの当時の社会全般にあったのです。
誰にでもなれない医者に成る為の条件が神職や住職の氏には多く備わっていたのです。

情報が3番目の青木さんとしては全て雑学上から矛盾がありませんのでこのルーツかと考えられます。

養子の医者の青木周蔵に付いてはお家の情報からこのルーツではありませんので無関係と考えられます。
「信濃諏訪族青木氏」は現在も西諏訪地方に集中して定住しています。おーい青木さん!と呼べば周りからハーイと答えが来るくらいですよ。
諏訪はいいところですよ。

上記の「3番目の青木さん」を確定するには他にチョトしたことでも言伝えや口伝などがありましたらお便りください。それで意外に確定する事が多いのです。
故郷の実家に帰られたらその時には何か見付かるかもしれませんね。
菩提寺のお寺の過去帳に記載の有無や戒名や過去帳の最も古い人、仏壇の形式や明治維新の戸籍簿や町村の周囲の村の景色や神社の名前や社歴や神明社かその場所などで雑学を駆使すれば判ります。
「村の名」を「氏名」をそのまま使える許された氏は青木氏だけです。他は地名を付ける事が慣習です。
この付近には青木村が無いので、上記の第3番目のルーツに成ります。
藤原秀郷流青木氏は116氏の青木氏で全国の24の地域に分布しています。皇族賜姓青木氏は25氏で極めて限られています。(地名地形データと研究室参照)
賜姓族ではない皇族青木氏は4氏だけです。
お家はこの25氏の中の本家筋の分家に当ります。

この様に実家のルーツは何かの方法で伝統として伝えられれば良いですね。
子孫に与えられるロマンがありますよね。

研究室にはお家の先祖の生き様が詳しく論じられていますので楽しんでゆっくりとお読みください。
この掲示板にも色々な諏訪族の方のお便りがたくさんありますので掲示板検索でもお読みください。
そして諏訪族青木氏の事を集めて纏めて子孫に遺してください。

このHPの左メニューには青木氏のテーマソングがありますので一度聞いてください。歌の物真似で有名な「青木隆治」さんが歌っています。

では又お便りやご質問をお待ちしています。



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