福管理人さん、明けまして、おめでとう御座います。
福管理人さんの仰る「7つの民族」の融合期で、優秀な人材が続々と現れ、今後の日本の復活に期待したいです。期待するだけでなく、自分もその一人として何らかの役に立てられる幸いなのですが。
矢張り、菩提寺が重要なのですね。
鹿児島に関しては、空襲、廃仏毀釈で菩提寺を見つけ出す事は、中々厳しいと思われるのですが、大蔵氏関連で天草、肝付氏の菩提寺、兼続の墓がある志布志市の大慈寺から洗うのも良いかもとは考えていました。
通り名の兼〇の〇の部分は、家の状況に応じているのですね。
家を受け継ぐため、名前に使命が託され、また戒名はその人の事が示され、歴史ある家柄であるほど、命名という物の重要性を福管理人さんのお答えを頂き感じました。
実は、今回のお答えをもらう前、自分なりに、勘左衛門兼直−勘右衛門兼次−勘右衛門兼吉の所を考えてみていたのですが、
以前勘右衛門の『勘』は、その系統を認められた時に付けられるという事を伺っていたので、養子なのに『勘』が付けられたので養子と言っても、何れかの次右衛門の子から男系で繋がっているため、『勘』を付け、また、兼直の『直』も直接の繋がりを持つという意味の『直』を付け、養子であるため、『右衛門』から『左衛門』に変えたのかなと自己流に推測していました。そして、兼直に嫡男が生まれたため、次に繋がるという意味で『次』を付け、兼次とし、次右衛門兼弘から継続されていた『左衛門』から『右衛門』に戻し、勘右衛門兼次としたのかなと想像していました。
『吉』については、長嶌太吉は『太』が付くので、長男で、『吉』は勘右衛門兼吉の『吉』から付けたのかなぐらいしか思い浮かびませんでした。
福管理人さんから、大きな使命を頂き、身も引き締まる思いですが、ある程度のめどが付いたら、青木氏サイトに長嶋氏について纏め投稿できればと思います。
藤原秀郷主要5氏と家紋の研究−長谷川氏との関係の部分でも説を読ませて頂いていますが、大蔵氏と藤原秀郷流結城系長嶋氏の血縁した部分が、これからの課題ですね。