青木ルーツ掲示板
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  [No.887] Re:ご回答御礼
     投稿者:福管理人   投稿日:2013/02/07(Thu) 07:15:12

日高さん 今日は。お久しぶりです。

お便りありがとう御座います。
そうですか、剣術をされていたのですね。
その新陰流の祖とされる人が「丸に片喰紋」でお家のご家紋と同じとの事ですね。

その祖の江戸時代の国、或いは地域が何処かと云う事を知るとそのルーツの流れがある程度の範囲で判り、その愛知と静岡付近の片喰家紋族が何らかの理由(仕官赴任)で移動した経路が判ります。
それが紀州発祥の地の日高氏とどのように繋がったのか、何故同じ家紋と成ったのかがある程度雑学で判ります。
前回にもお答えしました様に、日高氏は和歌山の豪族で熊野神社の神官職の家柄で、この地域は藤原一門の藤原脩行の一族が治めていました。
何らかの関係でこの脩行の家臣の中の丸の片喰紋の家紋を持つ族から養子をとり男系跡目が叶わず養子先の家紋と成り、その系列化に入った分家筋の日高氏は脩行の赴任終了に伴なって家臣の帰参と共に移動したとの筋道も立てられます。
その時に、”その家臣の里の一族に新陰流の祖の末裔が血縁族としていた”として、家紋が同じに成ったと云う推理が成立ちます。
片喰紋の丸付き紋は秀郷一門の大胡氏であるとすると、恐らくは庶流の庶流と成る事に成ります。
実は、藤原氏、中でも北家筋の綜紋「下がり藤紋」の秀郷一門はその一門の氏名は「一定の決り」を持って定めています。
一族一門の枝葉が余りにも多く成った事からこの決まりを決めて何処のどれほどの身分の藤原氏か判る様にしたのです。
「3通りの決まり」があり、一門の地名や官職や役目の官職役職名の前の字句を藤の前に付ける方法です。
例えば、役職の佐官階級の藤原氏は佐藤氏等、築城や工事などの責任者を務めている官職の「工」(たくみ)の工藤氏、地名では伊勢の藤原氏の伊藤氏等々の全てをこの要領で氏名の仮呼称としています。この要領で附けられているのが361氏あります。
特に、主要5氏(青木氏、永嶋氏、長沼氏、進藤氏、長谷川氏)と主要8氏を除くと、この要領に沿っています。
この主要氏と361氏の中に大胡氏は確認出来ません。依って、この大胡氏は庶流である事であり、次ぎに藤原氏と北家の秀郷一門361氏は原則は「丸付き紋」を使用しない決まりに成っています。
「副紋方式」と云う仕来りに従っています。
従って、「藤原氏の厳しい慣習」の決りに従わなくても良い必要の無い氏と成りますので庶流の更に下の庶流と成ります。
この事から藤原脩行の家臣との筋書きが出来ます。
もう一つは、前回のお答えの中に弁慶の事を書きましたが、熊野神社5氏は源氏か平家に着くかで一族の中で争いが起こりました。
この結果、源氏側に着く事に成ったのです。
其処で、平安末期の時に平家側に着いた一族が熊野の新宮を去り、関東に北側域に逃げ込みました。この中に紀北よりの日高氏分家がいましたがのこの一族が関東に逃げて定住します。
この一族が地元の秀郷一門361氏の片喰紋と血縁したと考えられます。そして秀郷一門の中に上記の理由で庶流に組み込まれたとも考えられます。

そして、前回のお答えの鈴木氏の説ですが、弁慶が義経を伴なって鞍馬山を逃げ出し紀州熊野神社に庇護を求めます。この時、熊野神社の第1神社の藤白神社に立ち寄ります。この神社は日高氏です。
この藤白神社に熊野詣で後醍醐天皇らは33年間の内32回も訪れたものでその最初に泊まる神社です。
この神社で日高氏が鈴木と云う姓を貰います。
日高氏には子供が居なかった事から氏子から養子を取ります。この日高氏に成った養子が鈴木氏を引き継ぎます。この時に平家に追われた義経や弁慶等が一時親類のこの神社に逃げ込んだのです。この後、弁慶は神宮の熊野神社に交渉に出かけます。
この藤白神社で待つ義経の世話一切を看たのがこの鈴木姓を引き継いだ氏子(三郎)この養子でした。この時、三郎は源の義経との主従の関係を結びます。三郎の弟の六郎も家来に成り、亀井と云う姓を名乗ります。弁慶が熊野神社との交渉が決裂して、結局、鈴木と亀井の兄弟を伴なってひ平泉まで落延びたのです。この時、鈴木三郎は各地で源氏勢力を拡大させる為に「現地妻」を作り子孫を拡大させます。
これが鈴木氏と亀井氏と日高氏が全国に広まった原因です。この日高氏は鈴木姓の元の養子先の日高氏の姓を名乗った鈴木氏の末裔です。日本全国の鈴木さんはこの末裔です。
従って、この鈴木氏の末裔の鈴木氏の移動に伴い日高氏も全国に広まったのです。お便りの九州の説もこの説では成立ちます。
私はお家はこの3つの説の内、この鈴木氏系日高氏が高いと観ています。
平泉も陸奥に定住していた藤原秀郷一門ですので、片喰紋と鈴木氏系日高氏は当然に考えられます。

前回のお答えの調査内容の何れかの内容が判れば、この初期の筋書きに繋がる事が判ります。そうすれば九州の件も藤原氏のある事で前回の九州の事と繋がって来ます。

兎も角も、前回のお答えの何がしの情報がお判りに成られたら又お便りください。
著とした事でも雑学で大きく進展する事も起るのです。
少しづつでも進めて行く事が出来ます。

では、またお便りください。



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