ビックリの内容で。。。。
実は、織田の家臣といわれて調べていたのですが、丸に織田瓜の家臣をなく、
当家は石〇県からですが(私は首都圏生まれ)、ご存知だと思いますがほとんどない苗字でしたので、
へんだなぁと思つつ、家紋の起こりを調べていたのですが、たまたま変な検索ワードにしたら、
このサイトがひっかかりました。図書館やあらゆる使える方法で調べましたが、20年以上かかりました。
しかしながら、日本史を履修していないので、時代的な感覚はなく、「藤原秀郷って誰?」といった感じです。
藤原北家(きたけ?)も歴史的に出てくるメジャーな人たちよりも早い時期の人のようですし、苗字が「青木」と関係しているとは想像もできず、最終的なところまで辿り着くはずもありませんでした。
多分、「永嶋」の苗字の調査をされていると思いますが、
当家の場合、田舎でも戸籍は「永嶋」でも実際は「永島」で使っていたりしていたので、いちいちどの字を
書くのかを説明するのがめんどうなので、都会にいて田舎との関わりは薄いので「永島」に変名しました。
ですので、「永嶋」の比率はもう少し多くなると思われます。
石〇県〇〇〇ん市では「丸に五つ瓜に唐花」の「永嶋」は当家だけのはずです。
中国の官職の紋だったというのは驚きで、また織田瓜とは花弁が違うとのことですので、
家紋帳を見て、正式な家紋にしなおします。
この紋はあまりみかけることはないので、平安や中世の頃から入ってきた紋でしたら、
時代的に少数派にもなるので、仕方がないですし、家紋屋さんも間違えてるのも当然かと。
当家の元祖は織田よりも古い平安頃、しかも藤原は公家(最終的には公家から武家ですが)で、
日本に来た唐人は高級官僚でしたから、ある意味、織田よりも格が上なので、
「旧家?、いいジャン!」と誇れるところとなりました。
本来の宗派も浄土宗だとか。(石〇県は真宗:私は納得してませんが)
人頭税を取るために仏教という寺を使ったのが徳川の檀家制度。
本来の宗派に戻してもいいかなぁと思うところでもあります。
神明社との関係も興味深く、うちすぐ近くに神社(神明社)があり、
時々いきます。常々、神社との縁があると感じところです。
私の意見ですが。。。。。
今や葬式の時だけの家紋。
日本人がへんになってしまったのも、こういう日本が長年持ち続けている文化的な財産を
特に明治以降ほかしてしまったのも一因かと。
しかし、日本は家紋と苗字で分かりますね。
これは濃厚で面白いです。ボリュームがありすぎて、まだ全部は読んでいませんが、
ブックマークしたので、印刷をしながら、読みすすめます。
永島(永嶋)