青木ルーツ掲示板
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  [No.986] Re:小平の青木です
     投稿者:   投稿日:2014/07/18(Fri) 04:46:16

大変遅くなり申し訳ありません。
小平の青木です。

久しぶりにこちらに訪れ、こんなにも親身に膨大な情報を教えて頂きましてありがとうございます。お礼も遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
まさか、管理人さんとも繋がりがあり、膨大な歴史の渦に頭が整理出来ていません。
そして私が生きていく間に少しづつ自分のルーツを理解し、明白にして子供に伝えたいとおもいました。
少しづつまた質問しに戻ってきます。


膨大な先祖の歴史が一本に繋がりそうで、頭が混乱しています。本当にありがとうございます。
祖母が亡くなり相続で家がバタバタしていて、また子育てに追われる日々を過ごしていて、こちらへの質問をすっかり忘れたまま月日がたってしまいました。
こんなにもはっきりしたお答えを貰えるとはありがたいです。
まずは家紋の○を取り払う事が使命かと思います。

そして、小平市の歴史と私の家の歴史の繋がりを知りたいのですが、お寺は小川寺臨済宗円覚寺派寺院だそうです。
小平市は小川町が初めて作られたのが起源で、その小川町に住んでいます。神明宮と小川寺は青梅街道を挟んで南と北にあります。
が私の家は丁目を一つ飛ばした場所にありますが、小平での青木氏の元はうちであることは確実です。

管理人さんの話では神明宮と青木氏は一緒にやってきたという事ですが、小平の始まりの小川村を作ったのは小川九郎兵衛となっていて、簡単に調べた所青木氏は小平の歴史には見当たりません。
小川寺の歴史や神明宮の歴史にも出て来ないようです。(ネットで調べたくらいですが)
しかし、うちの言い伝えでは最初に小川村に住んだ何人かのうちの一人ということでした。

小平の歴史らしき文章の引用ですが、小平で一番最初に開発されたのは、小川村です。 開拓者は、小川九郎兵衛といって岸村(現在の武蔵村山市)の郷士でした。小川氏は武蔵武士の末裔です。武蔵武士とは、平安の時代、朝廷から国司として派遣された下級役人が任期があけてもそのまま居ついて、土地と警察力を持つようになった人のことです。中でも武蔵七党(横山党、猪俣党、野与党、村山党、西党、児玉党、丹党)が有名で、小川氏は西党の構成員で、小川牧(秋川市)という馬を育てる牧場を治めていました。室町時代には、北条早雲の北条氏に仕えていましたが、北条氏が秀吉に降伏(1590年)して滅びてからは岸村(現在の武蔵村山市)に住むようになったそうです。
だそうで、何故この小川氏と一緒に村の最初の人となったのでしょう?

それから、蔵には昔質屋をやっていたらしき看板と、敷地内に昔蚕小屋跡がありました。蚕は紙に結びつきますでしょうか?
遠い親戚の方に出会えたこと、本当に感謝します。
素晴らしいデータベースを作っていただきありがとうございます。

また、何かわかりましたら追加で記入させてください。



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