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[14286] 甘草
福管理人
2017/05/25 12:01 - パソコン
 屋敷の隅の庭の滝の隅に甘草の花が咲いています。
地形を崩さずに作り上げている枯山水なので、実は屋敷の隅には山から流れる滝があるのです。滝の跡が枯山水にした為に今でも2カ所遺されています。

平安の昔からあった様で、万葉集や小野妹子等に詠まれていて、ここにすぐ下の藤白の浜に流れ落ちる水系の流れの様の事が読まれています。
恐らくはこの滝の事を読んだのではと観ています。

この滝の隅にこの太根の甘草が毎年咲きます。
この甘草も昔からのものでは無いでしょうか。
ユリを大きくした花を咲かせ香りは抜群で、周囲に咲いている事が直ぐに判ります。
それだけに周囲ではいろいろな花か百華総覧の様に咲いているのに、滝と融合してひっそりと咲くのがこの花の特徴です。

そこで、一句

忘れ咲き 避ける甘草 滝陰げに

漢方薬に成るのですが、甘草には色々な種類があります。
この甘草は育ててるわけではありません。
滝の岩石の隙間にものすごい根を張っているのです。

ひっそりと咲く事等を考えると、甘草自身が恥じらって避けているかも知れません。以心伝心で従ってこちらも忘れている事が多いのです。
ですが、咲くと突然、他の花など跳ね除けるかの様にその存在を強く知らしめるのです。

人の世も 何もしないで強く育った者の方が味わいのある花を咲かせる人間に育ちますよね

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[14285] 沈丁花
福管理人
2017/05/21 10:28 - パソコン
 世には香り、綺麗さ、音、色、形 等で人間や生き物にその存在を知らしめる方法が沢山あります。

人だけで云えば、五感に訴える事に成るでしょう。

その中でも、沈丁花の香りはダントツです。
ところが、普通であれば、これに伴って虫や小鳥なども多く集まって来るものです。
この沈丁花に関しては虫程度がこっそりと寄って来るていどで周囲の花に負けて余り来ないのが普通です。

とすれば花の形や色は今一つと成れば、後は香りなのですが、自然の摂理であれば、何の為にこの極めて強い香りを出すのでしょうか。

人の為に咲いている訳ではないのに、最も多くの花の咲く時期に何とかその存在を遠くまで知らしめるために極めて強い香りを出しているかもしれません。
これ程遠くまで届く香りは大木に成る木犀くらいでしょう。

大木にも成らない沈丁花がいじらしく感じられます。
そこで、一句

花くらべ 居どこ教える 沈丁花

家には、沈丁花ばかりの花壇があって、香りでは確実に他の花の香を打ち消しています。

この花は剪定が難しく、剪定時期と剪定箇所を間違えると余り満開に成る程の花芽は付きません、香りも強く出ません。

更には、菌に弱いのです。ですから毎年、挿し木をして次の木の準備をしてやります。
恐らくは、沈丁花も沈丁花なりにこの事を知っているのかもしれませんね。

人の世も同じ気がして意地らしく手入れは怠りません。
花にも当に生きる為に苦労している様子が剪定しているとよくわかります。

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[14284]
福管理人
2017/05/18 11:20 - パソコン
 子供の頃、よく遊んだ神社の古木で、新枝の出る頃に枝に縄を結び付けて神主さんに危険だからと云って叱られながらよく遊んだものだ。

この遊びはこの近所の子供の遊びのステイタスでもあった。
「遊び」と云っても360度回転する様なサーカスに似た怖さ知らずの遊びで、木も大きいし、この程度の「遊び」が出来なければ、仲間に入れてくれない。

何故ならば、いざと云う時には逃げなくてはならないからだ。
それには俊敏性が必要でその俊敏性を競い合うと云う事もあった。
それで子供のグループの中での主導権が決まる。

そもそも当時は、「ブランコの縄」を自分で編むところから出来なくてはならないからだ。
リーダーがそれが出来なくてはこの遊びは成り立たない。

そこで、一句

大楠の ブランコの枝は 今は幹

この超古木の楠木は太さなどでは表現できないくらいで、平安初期からの古木である。
平安の姿をした人々が此処で泊まり休んだりした。

古木をよく見ると、昔、平安期から子供も同じ様な遊び事をして遊んだと観られる傷跡が観られる。

この熊野古道の史跡は、何も「歴史の史跡」だけではなく、「子供の遊びの史跡」でもあるのだ。
古いと云う事だけではなく、「人間の生き様」を遺した古木でもある。
歴史を紐解けば、この古木の前付近で、現実に主導権争いで殺戮があった。

もっと云えば、民主主義の世界と云えども、突き詰めれば「理想」では無く、「人の世界」も同じ様な「主導権争い」で決まる。
未だ変わることなく「無常の世」でもある。


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[14283] アマリリス
福管理人
2017/05/15 10:34 - パソコン
 毎朝の事ですが、朝に庭に出ると庭石の横に植えたアマリリス群が咲いています。
この花は時計の様に、日差しに向かって花向きを変えます。
ですから、この花の良いとこばかりを観る事が出来ないのです。
後ろ向き花姿も鑑賞しなくては成りません。

そして、それはどんなに曇っていてもわずかな光を捉えて同じ事を繰り返すのです。

何かその花の特徴に教えられる事の方が強くあって、花の美しさや趣よりもこの特徴に不思議に魅かれるのです。

枯山水の一つの具材で、自然の中に溶け込まして人生観を表現するものではないでしょうか。
若い時は判りませんでしたが、故に親もこの花を各所に植えていたのだと思います。

そこで、一句

今朝もまた 日差しに向かう アマリリス

アマリリスが咲くころに成ると、この花の事が気にかかる様に成ります。
そして、何となく独特の「安心感」を人に与えられるのです。

花葉は人に多くの感情を与えますが、安心感と云う点ではこの花が断トツです。
アマリリスの大きさや色合いや花の形や軸の太さや何をとっても安心感です。

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[14280]
福管理人
2017/05/12 11:29 - パソコン
 梅の時期は花と実の時期で鑑賞季は違います。

2月に花 6月に実となり、夫々に見ごたえのある趣です。
梅の花はその趣の良さから古来より多く読まれてきました。
然し、実も花には負けてはいません。

実は、殆どは「青梅」で色や香りとしての目立つ趣は持ってませんし、花の前後に「手入れ」をしないと見る影もないくらいに趣は無く成ります。

然し、ところが「南高梅」と云う梅は、桃との交配から生み出した梅で、梅も桃の実と同じ様に桃色の色をつけ、何とも言えない郷愁にかられる趣を醸し出すのです。

色だけではありません。
香りも桃と同じ様に芳香族の甘い香りを強く出すのです。

小さい頃はわらのかごを自分で編んで、それにこの梅を入れて子供の頃にそれぞれ遊んだものです。

中でも、この梅桃科に属した梅で、古来より生け花や俳句に詠まれ用いられていた「ゆすら梅」と云う梅のもあって、この「南高梅」よりも小ぶりで花と実によく似て両方の趣を持っています。

そこで、一句

わらかごに 幼心の ゆすら梅

「南高梅」には木の手入れでは「裾刈り」と云って、根の周りの土の地を見せずに草を常に短く刈るか、苔を植え付けます。

その為に、綺麗な実も熟して真っ赤に成って落花しても実として使えるのです。
其の侭に食べる事も出来ます。

最も香りの強い熟した実は梅酒に、落花前の実は梅干しに、その中間は梅ジュースにします。

この「南高梅」の下でや、「ゆすら梅」の思い出は、色と香りと趣とに包まれた子供の頃の遊びの思い出が出てきます。

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[14279] 南天
福管理人
2017/05/09 10:04 - パソコン
 南天の樹は、取り立てて目立つ季の樹ではりません。
でも庭には必ず植えられているものです。
そして、俳画や日本画の添図書きには目立たぬようにあるものです。
何故なのでしょうか。

それは、目立たぬも鳥や虫がこの南天の樹に寄って来るからで、人の感覚の中に絵としては、花鳥風月の趣がそそと持っていて、それが日本人の心を打つのだと思います。

枯山水には無くてはならない木です。
それは、冬の雪の景色にも、夏の日射しにも、そして、春の長閑な景色名も、花鳥風月の趣を消さないからでしょう。

そこで、一句

南天の 紅に拘り 葉も春に

南天の樹を一つで色紙に描ける樹は他に少ないですよね。
南天の樹は日本人の美意識の象徴と観ています。
その意味で年間0通じて紅で統一した春の葉の紅の色は目立ちます。
私はどちらかと云うと、春のこれぞばかりに咲く赤い花が咲き乱れる中で、この南天の春の紅葉(赤葉)は柔らかみがあって好きなのです。

「人」にも拘りのある様に、これを「樹」が持つ「拘り」と観ています。



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[14278] 綾目
福管理人
2017/05/04 11:39 - パソコン
 五月に似合うのは綾目草、杜若、花菖蒲ですね。

昔は、井戸の生活をしていました。
そして、この井戸の周囲には砂利を敷き、そこに、綾目等の花を必ず植えていました。

これには、それなりの理屈があつて、水回りの周囲は湿くことで不衛生に成る等の事があって植えていた事もあるのですが、別には、この水系の好む三品を庭に植えるには井戸などの水回り(湿地 花菖蒲)が必要なのでなかなか面倒な花なのです。


「綾目」はその名の通り花に「綾模様」があるからなのですが、取り分け江戸時代には「伊勢花三品」と呼ばれ、「菖蒲、蜀、撫子」が挙げられ名物であったもので、これが広まり中でも伊勢は元より肥後や江戸の名物にも成ったものでもあります。

花のマニアでは、この「綾模様」で価値が決まると云われていて、「花菖蒲」から「綾目」と呼ばれる様に成ったとも云われています。

毎年、手入れをしますが、そこで一句

井戸端の 綾目で競う 伊勢の花

この「綾目」は「文目」とも書いて、「素地」を楽しむ花とも云われます。

基本的には、科属が同じであるのですが。花菖蒲は6月の梅雨に、綾目は5月にとされています。
花ビラの見分けでは、「花ビラの根元」に、あやめは、綾模様が縞状に強く出ます。
花菖蒲は、黄色の模様の綾の縞模様が、杜若は、白の綾の縞模様が出ます。
花弁の模様は全て同じです。

昔は井戸端で食器等を洗いましたので、この三品には毒性があるので、水回りには必要なのです。
それ故に人は、この花を縁側から愛でて枯山水を競い合って楽しんだり、又、この「井戸端」に集まり「話の花」を咲かせ競いました。

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[14277] 牡丹
福管理人
2017/05/03 07:59 - パソコン
 牡丹は枯山水には最も似合う花と樹と云われています。
花も然ることながら樹姿も好まれ多くの俳句が読まれています。
樹姿から醸し出す趣が他の木とは違って持っているのだと云う事ですね。

牡丹の花の大きさや色からも他を威圧するものを持っています。
ところが、この牡丹も弱いものが有るのです。
それは雨です。雨によって花は雨の重さで廃れた様に成り真紅の花も陰りを見せます。

あの色は晴れていて映える色と観えます。

庭の手入れには特に気を使いますが、筆者はその牡丹の樹の手入れの苦労も込めての俳句に成る様です。
そこで、一句


万物も 溶かす牡丹に 憂雨の紅

これが、手入れの苦労も読み込んだ一句です。

”牡丹”と云う名を聞くと、独特の香りが脳に覚えていて出て来るようです。
そして、その香りを嗅ぐと脳の中の濁りの香りが消える様です。

そこで、それだけに牡丹は余りに主張する庭のど真ん中には植えません。
水分が適当に在りながらあり過ぎないところが良く、白い「は虫」の発生が激しいのです。

その為に花は華やかなのに植えている場所は植木などの影目の所です。
中には竹垣や藁屋根で囲う事もします。

然し、面倒でもこの花があるかないかで枯山水の評価は変わります。

世の中にもこのような事がありますよね。


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[14276] かたばみ草
福管理人
2017/04/29 10:41 - パソコン
 散歩路の路の袖に野酢の花が咲いていました。
この花の呼称には沢山あって地方でも呼び名が違う様です。

かたばみ草、すいしょう花、・・などと呼ばれます。

方言では、この言葉を下に多くの呼称が在ります、
昔は、田んぼの道端に一面に咲いていたものです。
最近では改良されて園芸用に成っている様です。
その花は濃い紫の色をしています。
この花を摘んで、蔓の様にして首飾の様にしていたようです。

大変色合いと云いは花の形といい酸味のある思い出に残る草花です。

それが、未だ残っていました。
そこで、一句


むらさきに 片脚留める 野酢の花

「家紋」にも用いられている花ですが、「人の幼心」に深く残っているのですね。



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[14275] 紅古竹
福管理人
2017/04/28 10:06 - パソコン
 実は、竹は青いものと思っている人が多いのではないでしょうか。

そうでは無いのです。
竹は五年以上経つと色が次第に変化して行くものなのです。

最後には、15年以上くらいたつと本当に紅色に成ります。
そして、50年経つと花を咲いて枯れます。
竹藪は、1M間隔で間引きをして一定に保つ必要があります。
この為に、古い竹は伐採されるのです。
故に、紅色までの竹は観る事が無いのです。

竹を使った細工物の場合は、むしろこの古竹が良いのです。
竹藪にこの紅古竹などが観えない場合は、筍の採掘藪です。

そこで、一句

藪暦 生きる姿の 紅古竹

庭には白竹と云って食用に開発された太竹で、白の筍を栽培しています。

この白筍を採らないで細工物に遺して置くと紅古竹に成るのです。

10年ひと昔と云いますが、20年物などの竹を観ると、自分の人生と重ね合わせて、その竹を愛おしく成ります。

周囲の竹に模範の様な形で立っています。

竹藪には、余り知られていませんが「藪暦」と云って年ごとの年暦が遺されるものなのです。

最近では、枯山水にも周囲の目を気にして使われなくなりましたが、私の家には未だ、竹藪は二か所あります。
「笹摺り」等があって人間には好まれたのですがね。

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[14274] つづじ
福管理人
2017/04/25 12:12 - パソコン
 「如月」に咲くころに成ると、虫が飛び交います。
ミツバチ等が花の中に入って羽音を立てて蜜を吸うのですが、この「羽音」が他の花との競争を花同士がしている様に聞こえます。

取り分け、トカラ列島が原産地とするこのつつじの仲間は花も大きく、芳香の香りが強いし、模様が多様できれいです。

当然に虫は寄って来るのですが、春は桜などの強敵の他の花も多く多様であり、「トカラの花」だけとはいかないのです。野花も咲き誇る中です。

その為に子孫を遺す為にも、この生存競争に花も勝たねばならないのです。

朝の静かな時期には庭仕事で外に出ると、もうすでにこの「争花の争い」は起こっています。

「つつじの手入れ」も、この花の咲いた時期にしなくてはならない事があります。
それは、間延びした「成長枝」と云う枝を今の内に切り落として置くと、来年は、庭木としての間延びの無い丸い整った樹姿が出来て、「成長枝」から細かい枝が出て花数の多いつつじが咲きます。

この時いつもこの作業を念入りにしてやると、花数が多い丸い木姿に虫が寄って来る可能性が高まるのです。

去年はこの作業をよく念入りにした為に今年は、葉が見えないくらいに花数が多くみごとな満開です。

その満足感で、このつつじも桜などに負けてはいません。
田舎故か周囲には老木のさくらの木は三本もあるのです。
幸い桜の木は、根回りは別として、枝には手入れが余りしなくても良い木なのです。

”桜の手入れするバカ 梅に手入れせねバカ” と云う「植木の心得」があります。
それ故に、土の地固めにも利用され、昔から周囲や庭に桜の木は植えられているのです。

そこで、一句

きさらぎの 羽音で競う とから花

「如月」には、多くの語源があり、それ故に俳句では季語に拘らずに多くの意味で使われます。

原則は仲春ですが、 衣更着、気更来、着更着、息更来、他には、生更木、梅見月、初花月、雪解月、小草生月、梅五月等の趣の表現に使われるのです。
これでは、季語の意味がありません。

つまりは、この時期の樹は、何事も、手いれ次第、考え次第と云います。

樹に限らず「人の世の事」も同じです。自然の摂理を感じる一瞬でした。

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[14273] 笹摺り
福管理人
2017/04/22 11:21 - パソコン
 春に吹く風を”あなじ”と云いますが、この”あなじ”を漢字で書くと乾燥した風として、「乾風」と書きます。

この乾燥した事で色々な風情が春ならではの事で起こるのです。

それは、竹の笹が風になびいて擦り合う事で起こる「笹なり」と云う言葉があります。

この「笹なり」は、「人間のこころ」を癒し休めるものとして古来より好まれてきました。
これは「風情から来る事」だけではなく、科学的にも証明されている事なのです。
「人間の脳の本質」に持っている「遺伝的現象」であるらしいのです。
その脳は、「左脳の記憶」からではなく、「原始脳からの記憶」である事からも解っています。

これとよく似たもので、「杉のかおり」があります。
これも原始脳にインプットされた「癒し効果」です。
科学的には、「スギノン」と云う「香り成分」を発している事が判っています。
これ等が原始脳と反応して、一つは「音」、一つは「香り」「癒し効果」を人間に与えているのです。

取り分け、この頃の「乾燥期の笹摺り」は、他の音を押えて大きく聞こえてきます。
「春の風物詩」として「悠久の癒しの歴史」を引き継いできました。

「枯山水」には、必ずこの「竹垣と杉垣根」として植えられているのはこの事からも来ています。
「枯山水」が、耳と鼻と目の五感を刺激する「癒し効果」があるのは、単なる景色からだけでは無いのです。
「音や香りの相乗効果」にもあるのです。

そこで、一句

春風の こころ休まる 笹摺りや


笹摺りに 老人二人 立ち止まる

笹摺りを 静かに聞き入る 老二人

森簡に 融けるしずけさ 笹摺りや

我家の枯山水は、この「音と香り」の「竹垣と杉垣根」があります。
「白竹の竹藪」は二か所もあります。

勿論、目は全てを賄いますが、果物からの口も手触りも補うのです。


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[14272] むらさき草
福管理人
2017/04/19 15:25 - パソコン
 毎年、この時期に成ると「熊野古道の峠」に上ります。

今は世界遺産に成りましたので、家の前の古道は祭りの様な山登りの人でにぎわう様に成りました。

此処から一キロ程度行くと熊野神社の第一の鳥居があった処で、現在でも大きな神社があります。
歴史は千年にも成る神社です。

然し環境は様変わりしました。
昔の環境の面影はありません。

然し、370Mの峠に上ると未だ千年の原風景が遺っています。
小さい頃に見たあの景色が未だ見られたのです。

この峠には、人里離れてまだ10軒程度の家があり、その周囲にはくぼみの様な形をした田んぼ道が見えています。

その田んぼ道の畔の草むらには「むらさき草」が隙間なく一面に広がっています。
その「むらさき草」の咲いた峠の少し高台から観ると、そこには春風が吹き、「薄むらさきの筋」が「一文字」の様に歩く方向に向かって伸びているのです。

何とも言えない郷愁にかられました。
そこで 一句

古峠の むらさき草が 一文字

5ミリ程度の「むらさき草」は和生の草ですが、極めてよく似た可憐な5ミリ程度の花で室町期に入って来た「勿忘草」と云う草があります。

そもそも「和生のむらさき草」は「紫」と云う語源の基に成った草で、その草が群って咲いている事から、「群がる」から「紫」と云う言葉が生まれ、色の美しさからも名づけられました。

又、奈良期からこの「草汁」を使って染めた事もあって呼ばれた事にも成っているのです。
そして、この「紫」が最も「高貴な色」としても使われ、仏教でも「紫の袈裟」と云われて、「最高級の僧侶」が着る「袈裟の色」とも成っています。

それほどに、この「むらさき草の原風景」がきれいであった事を意味しています。

万葉集にも、この熊野神社の一番神社の付近(藤白)で詠まれた歌が幾つもあります。

その一つを紹介します。

むらさきの名高の浦の真砂土袖のみ触れて寝ずかなりなむ

この「むらさきの風景」が如何にきれいで、人にやすらぎと穏やかな情感を与える草花であったかが判ります。

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[14271] 椿とくもの糸
福管理人
2017/04/05 09:50 - パソコン
 朝、早くに庭に出ると昨日の雨のせいか薄い霧が立ち込めていました。
丁度、朝日が差し込んで来る時間でした。
さっき東の方を見た時は薄霧に包まれていたのに、谷間のせいか、光が差し込んできました。
ふとみると、椿の花も一休みにして、今は、この光景を楽しめと云わんばかりに、椿に絡むくもの糸に水滴がつき、それに朝日が当たってダイヤモンドの様にキラキラと光っているのです。

自然が織りなす美の光景です。
周囲の生活音も耳に入らず、何か「自然の音」も「音楽」の様に聞こえて来る様な心持に成っている自分がいました。
当に、これが「枯山水の極み」でしょう。

そこで、一句


朝露や 椿に光る くもの糸


造った庭にはこの様な光景は無いでしょう。
流石、これは先祖の先賢として「子孫に教える情操」でしよう。

何とか、「先祖の教え」を多くくみ取ろうとして日々努力です。

私には「人の世」を「豊かに生きる術」を教えている大切な「枯山水の庭」です。
これを「人の世」では「吉美」と云うのでしょうか。

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[14270] 斑入り椿
福管理人
2017/04/02 11:24 - パソコン
 熊野路の山間に霧が出ています。
霧に包まれた我家の庭には、斑入りの白に赤の少ない椿が咲いていました。

薄霧に周囲が覆い隠されたのか、融合したのか、言いようのない取り分け大変に気品に満ちた椿である様に感じたのです。

その気品さを何とか強く感じ取ろうとしたのか自然に椿の花に近寄り嗅ごうとした自分がいたのです。

「気品」が「香り」で感じ取れる訳でもないのに。手で触ったりして感じ取ろうとしている自分がいます。

そこで、一句


霧谷の 斑入り椿の 気品かぐ


椿と云うのは、自然の環境に順応して、その趣を素直に換える要素を持っているのです。

それは椿の種類によっても醸しだす雰囲気は異なりますし、時間や時期などに依っても異なります。

この椿は、私が開発した「自慢の椿」で、一本の木から真っ赤な椿、薄赤の椿、真っ白な椿、斑入りの椿、斑入りの出方も違う椿などが出る椿なのです。

なかなか植える位置にも左右される椿で、水気が常にあり日が良く当たる場所で根地がふくよかな処でなくては育ちません。

谷霧が出る様な所にあっているのです。





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[14269] 入学
福管理人
2017/03/29 10:01 - パソコン
 入学式の時期に成りました。
何時もこの時期に成ると思い出すのです。
子供の時、孫の時、何度も経験していた事です。

着飾った母親と子供が、校門の所に向かい立ち止まって空を見上げます。
これからこの校門を通って成長して行きます。
親も一つの区切りの時期を迎えて感慨に空を見上げたのでしょう。

何度も桜と共にここに来たこともあってか、校門の所にある「老木の桜」も祝っている様に観えたのです。

何とも云えない懐かしい気持ちに成りました。
そこで、一句です。

校門に 向かう親子に 花祝う

何度もの事であるので、この時の気持ちをその都度に俳句にして残していました。

子供の時に詠んだ一句です。

校門の 椿も微笑む 親子かな

校門の 親子に見せる 空の青

そして、孫の時の一句でした。

この小学校は大変古い歴史のある学校で筆者も卒業生です。
校門は全く変わっていません。

大理石の敷石を敷き詰めた立派な校門の左右には、桜や椿やつつじなどが一段高いところの左右の築山に植えられていていずれも老木です。

手入れが行き届いていて、筆者の頃と変わっていません。
それを手入れしているのは、親子四代の植木屋さんです。
今も学校の近所に住む老いた植木屋さんの同級生がボランティヤで常に見廻って「手入れ」しています。

この感覚が筆者の脳裏にあるのでしょう。





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[14268] ひよともちの木
福管理人
2017/03/27 15:32 - パソコン
 山里の庭には、思いもよらない事が起こります。

庭には三季に渡り住み着いたヒヨドリがわがやには居るのです。
ヒヨドリは渡り鳥ですが、渡らなく成って住みよい地に居つく事があるのです。

住み着いている木も知っているのですが、もちの木は、赤い実を着けて彼等には最高の餌と成るのです。

住み着くには「餌と気温の確保」が必要です。
このもちの木は大変大きく成り、5ミリ程度の実を着けます。
これをヒヨドリは「自分の力」で懸命に護っているのです。
当然に、カラスもこの餌を狙います。
そこで、「激しい戦い」が起ります。
庭に居つく限りは、ヒヨドリはこの「熾烈な戦い」に勝たねば成りません。

我家の空では、カラスとヒヨドリの「空中戦」をよく見ます。
そして、勝ったのです。

そこで、一句

もちの木で ひよどり騒ぐ 我が庭か

自然が織りなす光景です。

我が庭だけではなく「人の歴史」もこれの「繰り返し」を起しています。

古来より、もちの木は、実は「もちの木」から樹液を採って水分を除き石灰を入れると「茶色の樹液」からから白いねばねばした「古来の接着剤」が出来るのです。

大変に重要な木であったのです。
ですから、「農民」は「接着剤作り」で副業として「生活の糧」にする為に必ず家の庭に植えていました。

「庭木」としても「きれいな木肌」をし、「気姿と木質」が良く、「庭木」には使われました。
この点も「人の世の運命」とは変わりませんね。

ですから、この「もちの木」と「ヒヨドリの戦い」は、互いに「悠久の歴史」を持っているのです。
そして、この木は長くよく似た「人の世」も観てきました。

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[14267] 大城冠椿
福管理人
2017/03/23 12:21 - パソコン
 我家には、椿では最大の大きさの花があります。
この花には、ある歴史があって、御三家の名古屋城の城主が椿が大変好きで、出入りの植木屋さんと新種を開発していました。

そして、大変な努力の結果、遂には大椿で真紅と云うよりは黒味のある八重の椿を作り出したのです。

これを「門外不出」として城内で育てていました。

ところが、いつの間にか外に出て仕舞って広がりました。
そんな事もあって大変珍しい椿なのです。

中にはマニアが作ったと思われますが、「白の斑入りの大城冠」が観られます。
我家の大城冠はこの二つがあります。
近寄り難い程の可成りの「古木」なので、恐らくは、「斑入り」は家で作り出したのだと思います。
その元は、推測ですが、尾張の御三家から紀州家を通じて拝領したしたものかなと思います。

この「ひまわり」の様な「大城冠」は、大き過ぎて満開に成ると日差しも届かぬくらいです。
そして、大変、「威圧的」で、「迫力」があり、鳥や虫があまり「蜜」を吸いに来ません。
それは、我家では庭に住み着いた「鵯」のみが占領するからでしょう。
他所からの小鳥や鵯は来ません。


鳴く鳥も 日差しも届かぬ 大城冠

それだけに、「接ぎ木」では無く、「挿し木」や「種」では広がり難い椿でもあるのです。

椿の手入れの基本は新芽の枝には三本の指の様に出ますが、必ずこの「三枝」をどの様に処理するかで決まります。
従って、この三枝の真ん中の枝を剪定すれば花芽が付きます。
そして、真ん中の枝の「成長枝」を遺せば木は強く大きく成り花は咲きません。
この原理に従っています。
取り分け、この原理であると「大城冠」は無理に作り上げての椿である事が判ります。

この世の事も、何事もこの「大城冠椿」の様に象徴しているかなと思います。
その状況を花に託して詠みました。

無理に良いものを創ってもそれには脆さも潜むのでしょう。


写真館にありますので、観てください。

花が大きいので、木もなかなか手入れが難しいのです。

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[14266] 山桜
福管理人
2017/03/21 16:48 - パソコン
 いつも観ている筈の山なのですが、今日、観ると何時もの様にいつもの所にいつもの山桜が咲いているのです。

昨日、観た時は、確か咲いていなかった筈なのに、不思議な気持ちに成りました。

桜は、取り分け、山桜は突然に開花する癖があるのです。
実は山桜には、そめい吉野桜と違って,多くの特徴があるのです。
葉と花が同時に開くのです。
そして、同じ山桜でも木に依って色々と色が違うのです。
咲き方も違い、ばらばらと咲く木や一斉に咲く木もあります。
つまり、個性的なのです。

吉野山の峰伝いに拡がる熊野の路の山も山一面は山桜で、この山桜の子孫だと思います。

この何時もの「山桜」を皮切りに「親」に従う様に一度に山は山桜に成ります。
この峰の山桜の木を観ていると季節の変化が判るのです。


ふと観ると もう咲く峰に 山桜

樹齢も150年以上はするらしく、近所の人も含めて、何か「地域の安心感」を与えてくれる「生活の標準木」の様な木なのです。

「平凡な喜び」を感じた一瞬です。

「山桜」の様に、突き詰めると「人の世」も同じですよね。

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[14265] 挿し木椿
福管理人
2017/03/18 10:02 - パソコン
 椿には沢山の種類があります。

命名されているので、200位以上はあると思います。
ところが、この椿には、接ぎ木、挿し木、種木、等の方法で、自分の好きな花を作り出すマニアが大勢います。

その中の一人として、毎年、新種を作ろうと頑張ります。
新種の思う花をつけるまでには時間が何年とかかるのです。

その時の喜びは大変なもので、やって見ないと解りません。

私は、真っ白な藪椿を造りたいとして挑戦してきました。

何とか、思う椿がやっと出来ました。
その椿が、「白山椿」と云う椿によく似ている椿です。

藪椿系は下向きの大花を付けます。
ところが、私の白山椿系の藪椿は上を向いて咲きます。

太陽に向かって朝に咲くのです。

そこで、一句

挿し枝の 白山椿 日と競う

名前の未だ無いこの椿の花の真っ白な勢いがなんとも可憐で、太陽に立ち向かうかのような凛としたところが気に入っています。

挿し木で初めて咲いた花です。
処女花です。

子供の成長過程で、ハイハイから立ち上がった時の喜びと似ているのです。

写真館に掲載しています。


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[14264] 青石と水仙
福管理人
2017/03/03 10:38 - パソコン
 青石は庭石としてよく使われます。

この石は石灰質が強く、粉にするとセメントにも成る石で、温度、湿度、雨、等に依って「七変化する石」と云われていて、庭石としては高級で、枯山水によく使われます。
この青石も、畳二畳もある平石から見上げる様な大石としてもあります。

環境に良く溶け込む石です。
七変化で趣を大きく替えますので見ていても楽しい石なのです。
石に楽しみが出る石は他には余りありませんよね。

山地は熊野古道の紀州です。

そこで、一句

青石に 溶ける水仙に 朝日かな

朝のしっとりした湿気が青石の庭石に色合いを水仙に合わせているのです。
水仙の色合いが青石に融合して水仙が吸い込まれて一体と成っているのです。
其処に、弱い朝日が当たっているのです。

表現が実に難しいのですが、肩の力を抜いて素直に俳句にして見ました。

この時の様子を写真館に投稿しています。

水仙の香りまでが引き立てています。 

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[14263] 水仙
福管理人
2017/03/01 10:37 - パソコン
 朝の10時頃にいつもの様に庭に出ます。
今日は大変に天気が良く、少し霧がかっています。

水仙が咲き始め、静かな庭には澱みも無く嗅ぐわかしい香りが立ち込めています。

この水仙の存在を誇張する事無く、自然に溶け込んで一つの様に成っている雰囲気なのです。

山郷の谷間の裾に佇み溶け込んだ「古家の庭」です。

先祖から受け継いだ「古家の存在」がそもそも自然に溶け込んでいるのです。

谷間の音さえも聞こえる山裾全体に組み込まれた「庭の枯山水」なのです。

その時、水仙が咲いたのです。
頭もすっきりとしていて浮かんだ一句です。

朝の日に 溶け入る水仙 庭山水


何とか維持していますが、中々、熊野古道と云えどもこのような環境は無く成りました。
平安期には、多く歌を詠まれた地域である事が良く判ります。

昔は、これが当たり前であったのでしょう。

これでは、「人」は変わりますよね。何所まで変わるのでしょうか。

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[14262] 目白
福管理人
2017/02/25 12:04 - パソコン
 筆者も、お茶を飲んでゆっくりと”よいしょ”と全身に力を込めて「家の朝の庭仕事」に出ます。

そうすると、「庭の小鉢」の方に、「目白のさえずり」が聞こえてきました。

この「庭の小鉢」は、取り分け「生活の道具」では無く、「枯山水」の「庭の趣」を出す様にと置いていて、その周りには、湿気を必要とする花菖蒲などが植えられて群生しているのです。
この「小鉢の水」は、「雨水」がたまったもので、この「雨水」を小鳥などが飲みに来る様にしたものなのです。
そこで観た趣のある景色です。


日溜りの 小鉢に撮る 目白かな


この小鉢に「朝の日」が木樹をすり抜けて当たっています。

其処に先ず、この庭を先取した「目白の家族の集団」が、毎日の定期的な習慣として「小鉢の水」を飲みに来ているのです。

先ず、若手のメジロが小鉢の縁に降りて辺りを警戒して後に落ち着いて水を飲むのです。
この時、全く警戒心を無くした「目白の影姿」が「水面」に撮っているのが見えています。

何とも云えない「朝の静けさ」とその「平和さ」を感じた一瞬でした。

目白は順番に隣の木から入れ替わり降り来て飲むのです。
終わると、その家族の一団は何所かえ飛び去ります。

入れ替わり、「他の小鳥」が来るのですが、何か「時間の順番」が決まっている様です。
中には、昼前には「猫やカラス」なども来ています。

これも「自然の摂理」なのでしょう。

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[14261] 実椿
福管理人
2017/02/22 12:06 - パソコン
 毎日の寒空の中の散歩路です。

先日まで、「長い垣根の椿」が花をこれぞばかりに咲かしていました。
それを観るのが楽しみに散歩をしていました。
ところが、「花」が終えて今度は「実」がなる「椿」に変わりました。

観方に依れば、「花椿」も善、「実椿」も善です。

初老の感覚は、柔軟です。

庭仕事が毎日の趣味の私には、これも「楽しみ」になるのです。

生垣の みのる椿と 散歩かな

実や接ぎ木や挿し木で「新しい椿」を作るのが趣味で、長い時間をかけて出来上がる時の喜びは、何物にも代えがたいものなのです。

ですから、散歩道の椿にも愛着が生まれます。
散歩道の椿にも、交配で突然変異の椿が出る事もあるのです。

「実椿」は花椿と同じなのです。

「人生の苦労」も同じではありませんか。



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[14260] 蝋梅
福管理人
2017/02/19 10:54 - パソコン
 梅の香ぐわかしい香りが漂う時期と成る前に、梅によく似た花が咲きます。
中国産で、蝋の透き通る色合いの黄色の透明な花が日差しに照らされて咲きます。

「唐梅」とも云われます。
実に真っ青な空に良く似合う花です。
その意味からも、「唐」を真似て「空梅」としても使われる事もあります。

一見すると、黄色の梅かと思える木です。

この花は、1月から2月に掛けて咲きますが、梅の少し前に咲く花です。
その意味でも、梅で感ずる春を知らしてくれる花として親しまれています。

そこで、一句

  早梅か そよ風香ぐれば 蝋梅や

あっ もう梅が咲いている 春だなと思いきや 漂って来る香りが違います。
よく見ると、蝋梅であったかと気が付きます。
そして、真っ青な青空に映えるその黄色の色に見とれる瞬間です。

写真館に投稿しています。

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[14259] フリージャー
福管理人
2017/02/16 10:36 - パソコン
 毎年、私の庭では水仙が咲くころに競ってフリージャーが咲きそろいます。

薫風の頃の出来事です。

当に”出来事”なのです。水仙の香りが庭中に漂います。
その水仙の量は、毎年増え続けるだけでは無く種分けもしなくてはならないからで、ただものではありません。
そこに、一坪くらいの処に、フリージャーも植えています。
そして、「草蒸れ」も混じって、フリージャーの香りと水仙の香りが入り混じって競っている様です。

そこで、一句、

追風に あさぎ水仙 香り立つ

このフリージャーは和名で、”あさぎ水仙”と云います。
水仙の仲間ではありません。

水仙の日本らしい気品高い甘い香りに比べて、あさぎ水仙は熱帯の甘い親しみ深い香りがします。
「草蒸れ」の香りと「水仙」と「あさぎ水仙」の三つが入り混じることなくそよ風にかわるがわる漂ってきます。

ソメイヨシノの桜の咲く少し前の出来事です。この下の草花の出来事です。
後を引き続きラッパ水仙なども共演します。

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[14258] こでまり
福管理人
2017/02/13 10:18 - パソコン
 庭のウバメガシの周囲の垣根に沿って 真っ白な”こでまりの花”が満開です。
田舎のためか相当長い垣根です。
傍には、熊野神社の社領の「第一の鳥居」のある「熊野古道」が通っています。
ここから本格的な歴史に残る平安時代の熊野古道の山道が始まります。
海が見える高台の家の前で、「柿本人麻呂」が「てるてる姫」に送った和歌が遺っています。
そんな、静かでしっとりとした海を見下ろす高台の環境です。

こでまりに 朝雪光る 思いかな

ある天気の良い朝、窓を開けると目の前に雪が降ったのかなと一瞬思いました。

それまではちらちら程度であったのに天気が良かったのか余りに目の前の一面が真っ白であったからです。
そして、そこに朝日が当たって余計に白が引き立っています。

雪が降る筈がないのに”雪だ”と思ってしまう「不思議さ」です。
若ければ、味わない不思議な感覚に”年をとったな”と思う一瞬でした。

でも、表現が難しいのですが、「幸せ感」も混じった感覚でした。

写真館に掲載しています。

御意見や俳句が在りましたら投稿ください。

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[14257] 万両
福管理人
2017/02/09 09:33 - パソコン
 今日は万両です。但し、花の万両です。
50センチくらいの背丈の花木で先端には赤い5ミリ程度の真っ赤な花実を着けるのです。
それが束に成って下向きに着くのです。
これがきれいなのです。

上向いて着けるのが千両ですが、庭の片隅や漆喰の白の壁の傍や、その壁下の「水が溜まる小鉢」などの傍に植えられているものです。

そこで一句です。
私の「毎日の庭仕事」は夕焼け等の「日暮れの合図」で仕事を打ち切ります。


夕日受け 庭の万両 影二つ

真っ赤な夕焼けの日が、真っ赤な万両に当たり、それが後ろの漆喰の白壁に影として映り、赤っぽい「万両の影」が出来ています。

その影が、「夫婦」の様に二つ寄り添って映っているのです。

それを観て、「夫婦の人生」の「終」とは、この様なものかなとふと思ったのです。

万両は、余り自ら趣を醸し出すものでは無く、周囲との「融け込み」で趣を醸し出します。
元々、水気の多い山の谷間の日陰にある物で、よく自然美を求める「枯山水」に用いられる草花です。
目白等の小鳥が実を食べに来て、傍の水鉢の水を呑んでいます。


万両は写真館に投稿していますのでご覧ください。

万両、千両は万両科、百両はカラタチバナ科、十両は藪こうじ科、一両のありどおし科 があります。




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[14256] ヒヨドリ
福管理人
2017/02/04 15:31 - パソコン
 毎日、山懐に包まれた静かな田舎道を散歩をしています。

何時も通る路の為か慣れて仕舞って、周りの情緒の変化が入ってきません。

ある日、この散歩道をゆっくりと歩いていると、突然に、鵯(ひよどり)が、ビィー、ビィーと甲高い声で、山裾の山間の谷間に叫ぶように鳴いたのです。
そして,それが、やまびこに成って響いています。

ひよどりの 響くこだまと 今日の路

何時もなら,何の気なしに通り過ぎるのですか、今日は何か変で、天候なのか、空気なのか、自分の気分なのか、判らないのですが音楽の様な響きで聞こえるのです。

人生って、不思議な事が起こる様に、この時、若い頃の事を思い出しました。

老の散歩路の一瞬の出来事でした。




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[14255] 金木犀
福管理人
2017/01/30 10:03 - パソコン
 写真館に写真を投稿した時には、思い出に成る為に下手な俳句も詠んでいます。

今日は、庭の草取りに勢を出して、一呼吸した時の事です。

そろそろ、やめようと思ってゆっくりと立ち上がった時の事です。
それまでは何の気もせずにいたのです。

気が付いてみると、夕日が差し、その茜色の日差しが「金木犀」に当たり、何とも言えない心が落ち着ける深い色合いが眼に入ります。
ところが、この花の咲く金木犀に緑のメジロが鳴き叫んでいるのです。
何とも言えない色と光と雰囲気の調合です。

いいまでにもよくあった景色なのに新鮮で清々しい気持ちに成ったのです。
極楽浄土とはこの様なものなのかなとふと思ていました。


夕日差す 金木犀に 目白かな

熊野古道沿いの山裾の枯山水の庭に起った普通の出来事です。
(目白は三季と云われてます。)

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[14254] 連翹
福管理人
2017/01/27 11:14 - パソコン
 又、投句します。

何時も庭の手入れをしています。

この句は、主にどこでも庭の隅に植えられている珍しい庭木です。

枝の手入れは毎日の私の仕事です。何時も観る庭の景色なのに、片隅に黄金色の景色を見て、ふと思い出したのです。

父母思う 一期一会の 連翹かな

この連翹(れんぎょう・いたち)と云う木は、別名 いたち草とも云われ、イタチの毛色に似た花を枝が観えなくなるほどに満開に咲かせる花なのです。

何故,木なのに草なのかと云うと、この木は枝を長く柳の様に伸ばして地面に届くほどに延びます。
そして、地面に届くと根付きが興り、そこから芽を出し、又、「孫木」と成り成長するのです。
この様に草の様な性質を持っているので「草」と呼ばれているのです。
ところが、現実には、この枝を剪定しないと花は満開には成りません。
そして、この木の花の色は、当に黄金色で花の咲くころは葉を付けません。

これは、「人の輪廻」と同じ性質を持っている事から、「仏木」と呼ばれ、木蓮や泰山木の様に、仏の宿る木樹として扱われています。

寺などに観られる木樹です。
私は、父母との一期一会の為に、毎年、剪定をします。
この花が咲くと、父母がこの木に、又、今年も私たちを観に宿ったと懐かしく何時も思いだすのです。

そもそも、その様な趣を醸し出している木なのです。

青木氏氏の写真館に掲載しています。

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[14253] 山茶花
福管理人
2017/01/23 11:56 - パソコン
 青木氏氏の写真館の写真を撮った時に、合わせて俳句を作ったのです。

これを、又、投稿します。

  木漏れ日の 白の山茶花 生き返る。

庭の白の一重の大山茶花が、曇り空の中で 何となく死んだように元気が無いように見えていました。

ところが暫くすると、突然に日差しが現れ、その白い発光が山茶花の枝間を通して、まぶしい程にきらきらと光ります。

この白光が何と白の山茶花の花に当たり、まばゆい程の山茶花に見えたのです。
そして、その時、大輪の白の山茶花の花は生きかえった様に観えたのです。

「御来光」とはこの様な有様を云うのだと思います。

当に、諸行無常の喜怒哀楽の人生の一幕を観た様な気がしました。

”現世は諦める事は無い。人生には必ずいいことがあるよ”と。 

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[14252] 山茶花
福管理人
2017/01/21 11:45 - パソコン
 趣向を変えて俳句をつぶやきます。

   山茶花の 花のジウタン 朝の風   

下手ですが「私の人生観」を語っています。
初老の私の散歩中の出来事です。

個人的に山茶花や椿がすきなのです。
この花の持つ憂いを込めて何となく華やかで寂しげな情緒が好きなのです。

冬の朝の出来事です。
毎日、「散歩する景色」ですが、「山茶花」が「満開」が過ぎ、その「花びら」が、散歩路にバージンロードの様に赤いじゅうたんを敷き詰めた様に成っています。
そして、それが、心無くも朝の厳しい寒い風に舞い上げられています。

満開だった「垣根の赤」と、今度は「路の赤」に違和感を覚えながら歩いています。

その中を通る自分に照らして、突然に「過去の事」を思い出して、この「繋がる景色」が「初老の自分の人生」に似ている様に思ったのです。



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記事番号 パスワード

青木氏氏を お知り合いの青木さんに 紹介してください。