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[14456] 和の美
副管理人
2019/01/12 10:12 - パソコン
 散歩中に 成人式を迎える娘さんたちが傍を通り過ぎて行きました。
突然、はなやいだ香りが漂ったのです。

和服に込められた真新しい香りと、娘たちの若々しい姿とが融合して、周囲には華やぎの香りが通り過ぎて行ったのです。
そして、その時のにぎやかな笑い声と笑顔と共に「三つの融合美」が私を新鮮にしたくれました。
そこで、一句です。

 華やぎの かほりにそえる はたちかな

これぞ不思議な美の現象ですよね。
日本人ならではの味わえない感覚ですし、外国人には理解され得ない感覚です。

これぞ「日本文化」です。その意味で成人式は残したい伝統の一つですが。
「日本画の美人画」にもしこの「三つの融合の美」が添えられたらもっと美人画家の「おもい」がよみがえる事に成るかも知れません。
私の家にも義祖母(画家・伊勢伊藤氏)が描いた「美人画」が「四畳半の茶室」に飾られています。
そこで 添え句です。

 かぐやかし 水仙の香に 客むかえ

この客待ちの静かな茶室には「水仙の一輪挿し」と、この「美人画の軸」が添えられていています。



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[14455] 我が子
副管理人
2019/01/02 11:19 - パソコン
 本年も孫たちがそろいました。
 老いの瀬に 生きる力は 孫の顔 で「力の落ちた体」にワサビの様に染み入ってくるのは「孫たちの声」だけです。
鍋を囲んでの孫たちの話にじっと聞き入るのが何よりの生命力と成っているようです。
自分では気が着いていないようですが妻はいいます。
そこで、一句です。

あらたなる こころにしみる わこの声


孫が集まるとそれはそれはわぁわぁぎゃぁぎゃあで煩いくらいです。
でも、移蝉の様に然としてそれが何かうれしいのです。
これも詫寂の境地かも知れませんね。
今年は何と孫から逆に「お年玉」を貰いましたよ。
我が分身の二世ですから仏壇に記念に仕舞っておきます。

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[14454] 新年
副管理人
2019/01/02 11:16 - パソコン
 本年も孫たちがそろいました。
 老いの瀬に 生きる力は 孫の顔 で「力の落ちた体」にワサビの様に染み入ってくるのは「孫たちの声」だけです。
鍋を囲んでの孫たちの話にじっと聞き入るのが何よりの生命力と成っているようです。
自分では気が着いていないようですが妻はいいます。
そこで、一句です。

あらたなる こころにしみる わこの声


孫が集まるとそれはそれはわぁわぁぎゃぁぎゃあで煩いくらいです。
でも、移蝉の様に然としてそれが何かうれしいのです。
これも詫寂の境地かも知れませんね。
今年は何と孫から逆に「お年玉」を貰いましたよ。
仏壇に記念に仕舞っておきます。

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[14453] 歳の瀬
副管理人
2018/12/31 08:09 - パソコン
 今年も「歳の瀬」が迫って来ました。
それに伴成って残念ながら「老いの瀬」も迫ってくるのです。
「老いの瀬」は「気持ちも力」も何となく全てが低下します。
とこころが、子供や孫が増え「歳の瀬の祝い」は逆に盛んに成ります。
「悟り」で云えば、”今年も何とか無事に家族が過ごせた”と成らなければならない筈なのです。
でもその「はざま」で悩みます。
これは「悟り」が甘いのでしようかね。
理屈では解決しない事の様です。
そこで、一句です。

老いの瀬に 歳の瀬祝う ちから無し

心の気持ち無しとしたいところなのですが、体の気持ちも無いのです。
でも「孫の顔」を観るのは無条件に楽しい。況して、今年は孫たちが社会人と成り、「私の夢の職業」に就いてくれましたし、他の全ての孫も同じ系列の社会人に成るのだと云っています。
本当は極めて祝いたいのです。
でも、これ人に言えないジレンマです。私の親も同じだったと思うと・・。
そこで今年も「お年玉」で何とかしたいと思います。

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[14452] 鉢植えの水仙
副管理人
2018/12/24 15:36 - パソコン
 今年も初雪が降りました。
朝、ふと窓の外の植木鉢にかため植えをしている「水仙」を観ると、初雪の重みで折れているのです。
大事に子供の様に育てた水仙が重みで耐えられなくなったのでしょう。
「直植え」と違って「鉢植え」は「葉軸」は弱いし「花軸」も弱いのです。
それを観てその時、ふと一つの思いがこみ上げてきました。
そこで、一句です。

初雪に 倒れし水仙 鉢世界

鉢にも一つの世界があるのだなぁ と。
どんな環境にもそれなりの「事情」と「趣」があるのだと感じ、それをそれなりに観て観ればなんとなく侘しくもあり寂しくもある気がします。

表現が難しいのですが、これが気取りのない肩に力が入らない「詫寂の世界観」かもしれないなぁと。
俳句や歌や墨絵や茶の師匠をしていた親から教わった「枯山水の世界観」なのかも知れませんね。
そういう環境にいながら若いうちはこれが全く判りませんでした。
それどころか”お前の俳句や絵は理屈ぽいし面白味がない”とさんざん云われてきましたからね。
この歳に成っても未だ俳句にもこの世界観が表現できないかと考える毎日です。

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[14451] 蕗ふき
副管理人
2018/12/14 09:54 - パソコン
 緑の強い「つわぶき」の大葉の中心に朝の急激な冷え込みで露結して露がいっぱいです。
そして、その大露に秋の朝日があたりビカッと光っています。
何と晩秋の天気の良い朝のすがすがしい光景でしょう。
これは私にとっては「散歩の効能」の一つです。
そこで、一句です。

朝の日と したたる露の つわぶきか

この趣が何か「蕗ふき」の天から与えられた役目の一つの様に感じます。
「蕗ふき」に良く似合います。だから「露」は「雨(水)」と「路」なのであって、そして「蕗」の「ふき」なのでしょう。
その為に大葉の真ん中には必然的に「露」をためこむ筋があって「じょうろ」の様な「注ぎ口」が形成されているのでしょう。
それでなくては「自然の摂理」が合いません。
でもその「露」は何のために集められたのでしょうか。

恐らくは何もあれほど「大きい葉」を持たなくても生きられるはずなのでしょうが。
「万葉の歌」にもある様に「笠の替わり」にも成るような「大葉」になります。
「つわ」は「石垣」の所でも育つ事で「石蕗」や「葉の艶」から露を貯める為に「艶蕗」と書くとされている位です。
影でも育つ強い「蕗ふき」なのに、「大葉」で保湿の影を保つのにはそれで充分でも、未だ周囲に水枯れを起こさない様に「露」を貯めて今のうちに懸命に働いているのでしょうかね。
そのうちに、厳しい「乾燥の風」が吹きます。それでも「軸」は「頭の大葉」でありながらも倒れませんよね。「大葉」でなくてもよいと思うのですが。
「朝の光」は露結の元ですが、それでもまだ「軸」を強くするための「準備」の「朝日の露光」なのでしょうか。
なるほどと、”何か現世にも言える事かな”と悟った一瞬でした。
 

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[14450] 落ち葉
副管理人
2018/11/27 09:41 - パソコン
 毎日観る庭なのですが、落ち葉が増える頃に成ると何となく気持ちが高揚しなくなり歳をとったなと感じるこの頃です。
足腰の変化でも感じるのに、落ち葉を観ても感じるとは思いのほかでした。
日頃は元気に秋の庭の手入れをしているのに、季節には勝てない様です。
何か落ち葉の色づき具合が原因しているのでしょうかね。
そこで 一句です。

枯庭の 落葉の数で 気が沈む

庭には一抱え以上の年代物のイチョウの木と桜の木が並んでいて、そこに柿の木と紅葉もあるのです。
落ちると当にじゅうたんです。
それが日増しに増え始めある日一度に朝起きると増えている事がおこります。
色合いは黄と赤のコラボです。
私の脳の中には「落ち葉と色合いの関係」の「強い記憶印象」があって、それが「どこかの色合い」のところで、”気持ちが沈む様に成る”のかも知れません。

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[14447] 無題
青木猛
2018/11/11 12:32 - パソコン
 お久しぶりです。以前に投稿させて頂きました。宮城県加美郡加美町の青木です。
知り合いから家系図のコピーを頂きました。
現在わかる一番古い先祖は青木市郎兵衞という人物で寺子屋を開いていたそうです。
文政11年9月17日(1828)生まれ
大正6年6月15日死去
青木市郎兵衞の父長吉の名前がありますが情報はありません。
幕末までの先祖を知ったことで、もっと過去の先祖を知りたいですが、ネットで見ると400年前の家系図は120万円かかるそうですので断念しています。
 
[14448] Re:返信
副管理人
2018/11/11 16:35 - パソコン
 お久しぶりです。

さて、早速ですが、幕末の御先祖の方がお判りとの事ですが、そうすると、お家の宗派とその宗派の寺のその地の菩提寺をネットでお調べに成れば、そこに「過去帳」か曼陀羅図がある筈です。

少なくとも、幕末の方がわかると云う事は、寺に江戸時代の範囲の御先祖の事が遺っている筈です。

確か、宗派は曹洞宗で、紋は三階松、菩提寺は 龍泉寺でしたね。

武士であった事は間違いは無かったと思いますので、曹洞宗は浄土宗系ですので過去帳等があり、そのお寺さんに行かれるか聞かれるかして、少しのお礼をして見せてくれる筈です。其れの方が真偽が得られます。
高額な事をしてもそれが正しいかは別問題です。
実は、江戸期にその様な事をするいかがわしい「商い」が横行し、それでもそれを搾取としても「家の系譜」として引き継いだ慣習が江戸期に起こったのです。

確実な事して文政の方が判っているとした場合は、何よりも「明治維新の戸籍簿」も信用できます。どこから来たかもわかりますよ。
そこから江戸初期の頃の御先祖のその出自の方の菩提寺を手繰り寄せる事が出来ます。

その時は何なりと判らない事がありましたらお尋ねください。
先ずはお試しください。


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[14446] 水仙
副管理人
2018/11/09 15:31 - パソコン
 冬がそこまで迫ってきて水仙が、毎日、朝にみると芽がだんだんと伸びて行きます。これがなんとも言えない楽しみなのです。
それを眺めていると今年も冬支度が必要だなと思うのです。
鉢に植えている花は、花を咲くまでの間に寒風や霜枯れをしない様に丁度良い窓際等の影処にしまい込みます。
この様にして毎年花の咲くのを楽しんで待っているのですが、歳をとるとこの作業も大変です。
でも、歯を食い縛って「花の日々の暮らし」を支えています。
この感傷に侵たりながら未だ土から毎日少しづつ芽吹いて来る段階での「鉢支度」をしています。
そこで、一句です。

すいせんの 日々の芽吹きに かおりかぐ

育て易く、そして、「水仙の花」の形と「その香り」とその「生き様」が、私には理屈抜きで好きなんです。それが浮かんできてつい香りをかぎ又其の日まで頑張れます。
増えて来る球根をいくつもの「大きな鉢」に水仙を円輪状に植えかえています。
地面に下ろすと草に負けてこの「水仙の趣」が出ないのです。
「株分け」も鉢支度の一つですが、鉢の水仙が一斉に咲いたときにはそれはもう歓喜の何ものでもありません。

私の人生も、なんだかんだ言っていた孫もそれぞれ「社会」に立派に育ち、もうこの「芽吹きの変化」と共に「水仙」と同じく「人生の鉢支度」もする年齢に成りましたね。「芽吹き」と共に日々つくづく感じるこの頃です。

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[14444] 静岡の青木さん
副管理人
2018/10/30 14:44 - パソコン
 始めまして、今後ともよろしく御願いします。
さて、投稿は間違っていませんよ。ルーツに関するお問い合わせは青木ルーツ掲示板にお願いしています。
お家の事は研究室は勿論の事、地名/地形データベースにも詳細に書いています。
お便りの通り静岡には青木村が大きく存在しています。
静岡市、三島市、富士宮市、藤枝市、袋井市に青木村が現存しています。
当時はお家の御先祖は子孫拡大し、本家分家の等で住み分けをしていたのです。ですから、お家は富士宮市ですから、藤原秀郷流青木氏の本家筋にあたると観られます。

関東武蔵の国を領国として伊勢の手前までその日本最大の勢力を張っていました。
その最前線がお家の一族でした。既に研究室の論文をお読みいただいている事だと思いますので、詳しくそちらの方をお調べ頂いて、お家の御先祖は、皇族賜姓族青木氏とも深い血縁関係にあり、取り分け、「伊勢青木氏」とは「伝統」でも論じています様に、伊勢と信濃とは隣国であり「女系」で繋がる青木氏です。
筆者は伊勢青木氏の宗家ですが、お家とは「女系族」つまり完全な「母方族」に当たります。
お家とも、「二つの青木氏」には「四掟」と云う掟に依り「同宗同門同族同世の血縁慣習」の許での血縁でしたので、且つ、人間は遺伝子的に血筋は女系が基と成っています。ですから。今でも双方の青木氏には全く同じ「人遺伝子」が流れている筈です。取り分け、女性には高い確率で。

論文などをお読みいただいて不明なところなどはご遠慮なく便りください。




 
[14445] Re:静岡の青木さん
青木
2018/10/30 16:35 - パソコン
 ご丁寧なお返事をすぐにいただきまして有難うございます。うれしく拝読させていただきました。まだまだ読み切れていないのですが少しずつ勉強させていただきます。

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[14442] 感想です
迎「むかえ」と申します
2018/10/30 12:31 - パソコン
 今年の初めごろからよく読ませていただいています。青木氏の歴史について、初めはいろいろびっくりしましたがよくよく考えてみると思い当たることが多々あるように思います。旧姓が青木です。祖父は静岡県の富士宮の出身で、浅間神社の近くに住んでいました。家紋は橘です。周辺には青木という地名があるようです。それぐらいしかわかりませんが、青木氏の歴史を読ませていただいて大変感銘を受けました。趣味の範囲で昔から歴史が好きでいろいろ本を読んだり、大学では仏教学を学びました。そこから得た知識から考えても、符合する点や思い当たることが多々あり、よく理解できるような気がします。「共生」の立場に立つ青木氏が好きです。ご先祖様の生き様を知り、自分への諫めにもしています。うちの青木はどういうルーツかわかりませんが、同じ青木という名を名乗っていることに誇りを感じます。嫌なことがあって、落ち込んだ時も「青木なんだから」と自分をふるいたたせています。いろいろ勉強させていただき、ありがとうございます。

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[14441] 秋香
副管理人
2018/10/29 15:09 - パソコン
 秋の弱いそよ風を感じながら気持ちがいいので窓際の椅子に座って本を読んでいましたが、ついうたたねをしてしまいました。
これはいつもの事で私の昼寝のルーティンです。
この日は何時もは外の音がうるさいので窓は閉めているのですが、この日は窓を少し開けての事でした。
なんだかいつもと違うのです。
何時ものように五感が休んでいる筈なのですが、この日は何とも云えない嗅ぐわかしい感じの五感の何かが働いているようなのです。
昼寝のルーティンの中で外の音が耳がかすかに拾っているようなのです。
昼寝中でも私を呼ぶ妻の声で起きるくらいです。妻に言わせれば他は駄目の様です。
そうです。私はこの歳に成っても人一倍耳感がいいのです。超が着くくらいです。
この日はこの香りを鼻ではなく耳で感じとつている感じなのです。
脳がそう思わせているのかも。
そこで、一句です。

うたたねに きんもくせいの 香りきく

秋のそよ風に載ってどこからかうつろ気に載ってきたのでしょう。
普通は鼻なんでしょうがうつろなうたたねです。はっきりしません。
良い耳で香りを感じ取っているようなのです。
起きた瞬間、そう思いました。

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[14440] 白鷺
副管理人
2018/10/20 09:39 - パソコン
 青空の朝に小川の縁道をひさしぶりにすがすがしい気持ちで散歩していました。
何か向こうの方に白い点のようなものが観えます。
老眼なので輪郭が良くわからないのですが、秋きの渡り鳥の様です。
それが、でも少し大きいかなと思いながら近づいて歩いてゆきました。
突然、その白点が青空に飛び立ったのです。
あぁ 矢張り、白鷺だったのだなと判りました。
子供頃によく見た光景です。
これを観ると、いつも「穢れの無い優雅な田舎の秋」を思い出して懐かしくなります。
私には、これを花で例えると”香りの高い白沈丁花”の様な印象を持っているのです。
最近は、この光景があっても「老い目」で直ぐには判らず、飛び立つ等の何かの変化で少し遅れて懐かしさを感じるこの頃です。

川に白 淡く老い目に ああ鷺が

白鷺は、”うなじ美人の綺麗な優雅さの象徴”で例えられます。だから沈丁花なのです。
この鷺には、大鷺と中鷺と小鷺があって、日本では最近では小鷺は「留め鳥」でとこでも常駐する様に成っているようで俳句の季語扱いはしなくなったのですが、ところが他の白鷺は秋に南の方に飛び立ちます。
ですから、秋の季語はいまでも生きているとされます。
だから「白鷺」と云えば「小鷺の事」に成っていますが、同じ様に大鷺も中鷺も居るのです。
私の今日見た秋の空に舞い上がるのは矢張り中鷺でした。
子供のころから観ているので「老いた目」と「幼い記憶」とで判りました。
「老いの人生」もこのくりかえしでしょうね。これでいいのです。

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[14439] たんぽぽ
副管理人
2018/10/11 17:08 - パソコン
 秋に「たんぽぽ」が野原に一面に咲きそろい何時か「穂綿の化身」となって舞い上がります。
その光景を見ていてふと感じました。
「人の現世」の「御能の舞台の演舞」が当にここにあるのだとなと感じたのです。
それがタンポポに似ていると。

そこで、一句です。

たんぽぽの 穂綿の浮世も 白扇の上

古代、たんぽぽ(タンポポ)は 草花の形が「太鼓」の様だと観られていて、それを「たい」と呼ばれていました。
そして、その太鼓から音として奏でられて行く様を「穂綿」として例えられていたのです。
そして、その「穂綿」をその柔らかい様を表現して「ぽっ」と呼ばれ、空に連なって数多く舞い上がっていく様を「ぽぽ」と表現したようで、それが「浮世の流れ」の様に思われていた様です。
「鼓の音」も同じとして観られていた様です。
「御能」は元来は外で演じられる芸能でした。
今の時代にも、その「御能の白扇」に「穂綿」が乗るかのように秋の見逃し難い一つの風情です。

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[14438] 現世の夜
副管理人
2018/10/02 09:22 - パソコン
 秋の夜長に空を眺めて”私も歳をとったな”と「過去」に侵つていると孫の屈託のない元気な「未来」の笑い声が聞こえてきました。
何か寂しくて、それでいて”やり切った”と云った不思議な感覚に陥っていました。
この頃、”浸る”が多くなりました。
これも”現世の締めくくりの手続きか”なごく自然に受け入れています。
そこで、一句です。

侵しが 老いに孫声 現世の夜


この感覚は昼にはあまり起こらない様です。
夜の、そして、秋の暑いようで寒い季節には応えます。

私は、”孫は私の分身”とする考え方を持っています。
顔や性格や血液も、挙句は好き嫌いの志向などが私にそっくりな男の孫達は余計にその思いが募ります。

不思議ですね。誰しも「孫の無条件の可愛さ」は無意識なこの感覚から来ているのかも知れませんね。
 

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[14437] かき
副管理人
2018/09/12 16:58 - パソコン
 毎年の事です。
この柿は渋柿ですが、干柿にすると渋が抜けておいしく成る柿です。
ですが私の家では干柿にしません。
実は、この柿は三平と云う柿なのです。
一つ秘訣があるのです。それは熟すとおいしいのです。
ですが、熟すと大抵は落下の憂き目にあいます。
その熟す具合が実に微妙なのです。
熟し過ぎても味にいやらしさが出るのです。

小鳥やカラスやヒヨドリ等がこの秘訣の味の事を知っているのです。
私も小鳥やカラスと同じ立場なのです。
彼らは私を覚えています。

庭柿に 小鳥群がり 石礫


彼らは青柿の頃からこの木の周りの制空権を奪取する為にこの木にやって来るのです。
相当な争いです。青いのだから何もこの木に来なくても良いのに。
流石、カラスでも逃げるのです。
私もその一人です。声などでは負けるので私の武器は石礫です。
確率は30%です。

人生も似ていますよね。


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[14350] キスゲ
副管理人
2018/08/28 14:52 - パソコン
 湿原や谷川のしっとりとしたところに咲く百合に似た花はキスゲです。
この花には思入れが強くて「母の面影」を私には感じるのです。
それは谷川の藪椿の下に生えていたのを庭に持ってきて植えたのです。
何時もこの時期が来るとそれを窓の庇に顎を就いてみていた老母の姿を思い出すのです。
庭仕事をしている私に、何時ものように、”もう咲いたか?と聞いてくるのを。
俳句の先生をしていた母から、俳句の手ほどきしてくれた事を思い出し、そこで、一句です。

谷キスゲ 現に咲かせる 庭日影

この黄色のニッコウキスゲは、夏の夕暮れが迫る頃に日影に咲きます。
庭仕事も終わる頃にです。尾を引く「夏の日影」は格別です。
それだけにこの「花のイメージ」に「思入れ」が強いのです。
このキスゲだけでは無く「曼殊沙華」も含めて「ユリ科」の全体に持つ私の思入れです。
誰にもある事だと思いますか「母の想い」が引き出されて涙ぐむひと時なのです。


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[14349] 盆花火
副管理人
2018/08/19 14:42 - パソコン
 花火の盆に帰ってきた孫たちと観ていました。
大型の花火が何発も上がりました。

花火の光で孫たちにも長い影が後ろに引いています。
都会の喧騒にかき回された孫にもです。
その影を観て何か寂しくて味気ない気持ちにさせられました。

そして、その直後この「盆花火」がそれを消してくれるのかなと感じたのです。
ご先祖供養も然る事乍ら、「影」で今生きている未来の子供たちの「埃」も取ってくれている気がします。又、そう願いました。
そこで、一句です。

盆花火 吾孫に移して 影供養

色や形や音などの相乗が、その孫の影に移された埃を消して洗い流して行くのでしょう。
横から観ていた「祖母」がふと孫達の肩にて手をかけ孫へ「無欲の願い」を呟いたのです。

何時の世も、「孫への願い」は「吾身」を超えているのです。

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[14348] せきれい
副管理人
2018/08/10 14:45 - パソコン
 垂れ下がった枝で覆われた棚田に残る水面があり、そこには、小魚やみずすましの虫が泳いでいます。
毎朝の私の散歩道ですが、忘れられた棚田は小魚が多く住む小池の様です。
そこに、尾をふる鳥が小枝に留まり、残った水面を凝視しています。

突然、目にも留まら速さで水面を突きました。水に残る虫を咥えていました。
そして、休耕田の棚田が林に戻ったところに飛び去って行きました。
山里が過疎に成り、自然が戻ってきているようです。
この景色が広がるのが良い事なのか悪い事なのかは判りません。
老いた私には気持ちとしては懐かしい気持ちもします。
そこで、一句です。

水面に せきれい沈む 棚田跡

せきれいは、「石打ち鳥」と云われ、尾を上下する特徴があって、「相思鳥」とも言われます。
子供の頃はこの景色を見て育ち、若い頃は棚田の盛んな頃の景色を見て、そして、今度は過疎の景色で子供の頃の景色に戻っています。
世の「輪廻」「うつろい」がここにも出て来て「悟りの境地」にも成った不思議な一時でした。

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[14347] 夏山路
副管理人
2018/07/25 07:27 - パソコン
 真夏の熊野街道の散策のツアーの事でした。
汗をびつしょりかいてみんなで頑張って山越えをしていました。
谷川のせせらぎの音もしています。喉も乾いてきました。
そうすると突然に、”休憩しましょう”とリーダーがやまびこに響きながらなんとなく聞こえてきました。
そこは杉の木の下でひんやりとした空気と谷のせせらぎの音とともに、杉の香りが包んでくれました。
当に俳句の一句でも出る雰囲気です。
周囲の人も思い思いに詠み始めました。
実は、このグループは俳句会の夏山ツアーでした。

そこで私も一句 素直に。

路靖む 日影の杉香 蝉熊野

喧噪に追われ癒される事のない日々の中、体はぜーぜーはーはーと云いながらも、谷のせせらぎ音や酸素の多い杉香で、疲れは吹っ飛びそうでなにもかも靖んじられます。
蝉しぐれの中なのに何か実に静かです。
人は「脳と心」が靖らぐと、耳に着く「蝉しぐれ」も「谷のせせらぎ音」と共にハァーモニーを構成して「靖の音」に成り得るのでしょう。 

原士の時代の名残として「人間の脳」に元からインプットされているものなのではないでしょうか

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[14346] 山百合
服管理人
2018/07/09 07:18 - パソコン
 山百合を山から採取してきました。
でも、この花も今は開発が進み、その生息環境が無く成って里では絶滅危惧種で、昔から精魂込めて、大きな植木鉢に育てていました。
谷川に沿って咲くこの「山百合」はその環境を作り出すのが難しいゆりで、鉢ごとしっとりした木陰の下に環境を作り出して水仙と共に植えていました。
増える百合球根を今年は別の鉢にも移し替えてやりました。
「水仙の香り」もおわり、暫して忘れた頃に、この「庭端の大鉢」は香りで、咲いた事を知らせ私たちを引き付けていました。
これは毎年の我が家の行事の様で話題になっています。
そこで、一句です。

鉢の香や 今年もさそう 山百合の夢

山百合の2センチ位の球根は、土の深いところにあって、掘り出そうとすると軸と球根が直ぐにちぎれてしまいます。ある程度の軸と球根を着けると芽が出る結構難しいのです。
球根の下にある毛根が直ぐに剥がれてしまうからです。
球根の深さも大事で、「根腐り」も起こるので場所選びが秘訣です。
ですから、夢にまでも見て大部苦労しました。成功するには難しいのです。
これらは「山育ちの花」にありがちな「繊細な特質」です。
でもそれだけに「虫」を引き付けようとする努力は強く、その「香り」は、夢にも出る程に独特で、「趣」も他の百合よりも強いのです。
「人の世」もそんな気がします。

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[14345] 凌霄花
服管理人
2018/06/24 15:19 - パソコン
 梅雨に入ると、里の山は霧によく包まれます。
そして、そこに映るは「凌霄花」(のうぜんかずら・のうぜんばな)です。

この花は、大変長く咲き、晩秋まで咲き誇ります。
そして、その季節ごとの「趣」を見せるのです。
中でも梅雨の季節とこの凌霄花は「趣」としてはよく合うのです。
平安時代から宮廷でしか見られない好まれた花で、その花言葉は「名声や名誉」なのです。
如何にも「平安貴族」に好まれた花である事が判ります。
その「花の色と形」を観ていると、「納得できる趣」を持っています。

取り分け、「山霧」に包まれた「里の凌霄花」にはこの背景がよく似合います。
この時期の「霧」を「霧」としてだけでは無く、「花のような霧」と称えて”「花霧」”と呼びます。
そして、今、目の前でその花に溜まった「霧の滴」が一滴落ちる様は、当に父が描いていた「水墨の山水画」です。
「父の思い出」と共に、色が無くても「赤い色と趣」が想い浮かびます。
そこで、一句です。


花霧の 凌霄花に 花滴

私の家の門扉に絡みついたこの百数十年来の凌霄花の背景は、梅雨時に必ず霧の出る間近の山谷と家なのです。

その「凌霄花」は「椿」によく似た形で水滴を貯められる形をしていて、その花びらの底から水滴が零れ落ちるのです。
花の熊蜂が良くやってきて、その足は黄色の球が付いています。
故にして「霧」も「花」なのです。

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[14344] 彼岸花
服管理人
2018/06/09 09:17 - パソコン
 浜辺の淵に「浜木綿」の花が後ろに青い岩石を背景に ”私の美しさを観て”とその「ゆうの美」を誇っています。
でもそれでいてなんだか不安気味です。
薄紫のその「優美な花」は、こんどは、仲間の「優雅な赤の彼岸花」に奪われるからです。

遅れてうまれた仲間が浜の淵で並んで一面に咲き誇るのです
でも「浜木綿」にはそんな力はありません。
そこで 一句です。

浜優美 現世の雅も 彼岸花 

「彼岸花」は浜木綿科の一種で、後発の変種です。
「浜木綿」は平安のころからその「優美さ」を昔から好まれていました。
ところが、何時の間にか変種のまかっな「彼岸花」が出てきて、その華やかさを海辺に近い田畑のあぜ道で、一面に咲き誇る様になりました。
そして、「仏様を迎える花」として親しまれてきたのです。

「浜木綿」にしては、そんな力や親しみはありません。
御株をすっかり奪われた寂しさがありました。
それが浜の「優美さ」にその寂しさが表れているのかもしれませんね。
だから、「浜優」なのかも。この字の方がよく合うと思います。
少し時期がずれて咲くのも良しで「詫寂の花」として筆者は両方が好きなのです。
平安期には「雅」(みやび)は、そもそも、”はな”の意味を持ち、”はな””とも詠んだのです。

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[14343] 雪柳
服管理人
2018/05/29 13:10 - パソコン
 未だ目も覚めぬ頃の 朝明けの頃 ふと窓の外を見ると、おや 雪かなと思ってよく見ると それは突然に訪れた雪柳の満開でした。

普通の感覚であれば、初雪等が降る時期ではありません。
でも、寝起きの自分は初雪と考えてしまったのです。
それは雪柳の枝木が観えないくらいに満開でした。
何本もの一列に並んだ雪柳の庭の中の垣根です。
毎年、「手入れ」をよくして枝木はきれいに伸びて自慢の木で、近所の方も訪れる程です。
そこで、この感覚を 一句にして

おどろきか 庭のたよりに 雪柳

雪柳の小さい花の満開は当に初雪です。
サイト写真館にある様に雪柳は当に雪です。
自慢に成りますが剪定が上手く行けば名の通りです。
若い頃はこの様な漠然とした感覚にはならなかったのですが、これは雪柳のせいですね。
これは雪柳の白さは雪以上です。
でもこの感覚も悪くはありません。
それは、。この頃は自然に溶け込むかのように自分をゆったりとして気分にしてくれるからです。

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[14342] みどりもみじ
服管理人
2018/05/13 13:07 - パソコン
 散歩中、静かな小池にさざなみがたちました。
そして、そのさざなみに緑の何かが揺らいでいます。
何かとふとみると、それは新緑豊かなもみじでした。
もみじと云えば、それは紅葉のもみじの印象です。

でも、小池のほとりの池にかぶさるように生えた山もみじには驚きました。
その趣は紅葉には負けていません。と
そして、小池に映る山もみじはそれが小風のさざなみに揺れているのです。

小風と小池と山もみじが綾なす「趣」に紅葉に劣るものではありません。
そこで、素直に一句です。

さざなみに みどりもみじの 揺らぐ彩

山の小池の周囲は小風で冷たくて、そして実に静かでした。

周囲の木の香が漂う昔、子供のころに小鮒釣りに来たところです。
ふるさとを訪れて、思い出したのが、この池での小鮒釣りでした。
だんだん畑に水を灌ぐための「ため池」です。

小さい頃は何の気もしませんでしたのにこの雰囲気も今は心に響きます。
池が織りなす様は一つ一つが新鮮な趣と成って映るのです。
人の世もこんな様ですね

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[14341] 趣の違
服管理人
2018/05/03 10:27 - パソコン
 薔薇が咲き、木瓜も咲く心華やぐ季節と成りました。
家の中庭の花壇にこの二つの花が植えています。
恣意的に植えた訳ではありません。結果としてそうなったのです。
どちらも手入れががよく似ていて時期も同じだからでした。
木質も似ていて手入れの仕方で枯れたり花が充分に咲きませんし、剪定した処置もトゲで困るのです
はっきり云うと面倒な木で,花の趣が大変好きですが実はこの木の質は好きでは無いのです。

今年も手入れがよく花が同時に咲くということが起こりました。
薔薇の香りは何よりも優れています。花は「華やかな趣」ですがむ「詫寂の趣」とまでは行きません。
でも、「木瓜の花「」の落ち着いた「雅な趣」も見逃せないのです。
私には何れもこの花には「相対の趣」の感じがし、どちらが良いとして見放すのが難しいのです。
そこで、一句です。

薔薇の華も おもむき近寄り 木瓜の雅も

薔薇も木瓜もイバラ科で、「手入れ」は「蕾目」を一つ残し同じ「一枝二葉の原則」で念入りに時間をかけて手入れをします。
トゲがあるので「手入れ「」が面倒、でも」「手入れ」が上手く行く」と、花はそれぞれの花の美を醸します。
虫が主枝の中に巣を作り虫にも弱く枯れる事が多いのです。
何れも世話の掛かる木です。この花は女性のタイプに例えられるようですね。
世の中にも「薔薇に近い人」、「木瓜に近い人」がいるといつも思います。
あなたの好みはどちら。

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[14340] 矢車草
服管理人
2018/04/20 10:33 - パソコン
 「やぐる草」の花はどこでも咲く強い花です。
石垣の「ちょっとした隙間」にも花を咲かせます。
そして、種が飛んで群がって咲く傾向があります。
「家の花壇」に植えていた「やぐるま草」もいつの間にか花壇には少しになり、風で飛ばされて今年は「思い掛けない場所」から花を咲かせました。
なんとなく「世代交代」を感じさせる「わびしい時間」の「感じ」がしました。
そこで、特段に「技巧」に走らず「言葉の趣」を「素直」に詠んだ一句です。

矢車の 野積の花は 独部屋

なんとなく愛着が湧き、「一輪挿し」に入れて飾ってみました。
そこは「老いの独部屋」でした。
その部屋からは「五月の空」で「風車が回る鯉幟」が風に吹かれて見えています。
この例え様もない「詫寂」も何もない私の「一人部屋」で生き返ったようでした。

「鯉幟の矢車」もこの「花の形」から来ているようで中国では、「信頼の得られる縁起の良い花」とされています。
そう云えば、「勲章」などの形もそうでしたね。
「一人部屋の矢車草の花」もそのような気持ちにさせてくれるような気がしました。

そこで余談です。
そもそも、「言の葉」には古来より」「色々な意味合い」を持たせています。
それを知った上で歌や句を読み取る必要があるとし、そのためには「技巧」よりは「素直」が大切と教わりました。
「技巧「」は無味、その為には、「言の葉」の出来た「語源や謂れ」を辿ると"人が創った「言の葉には古来より色々な意味合い」を持っていて、それを「教養」として勉強する必要がある"とし、先祖代々、「身だしなみ」として会得し、其れを以って「絵や歌や句の師匠」として活躍していたので、この関係から若いころからこの事を強く教わりました。

「矢車や矢車草や野積みや部屋や花」の「言の葉」には、「多くの意味」を持っていてそれを俳句や歌で、如何に「聞き手に知らしめるかの行為」で、それを「詠み手と聞き手の教養とのキャツチボール」という事でしょうか。
でも、私は。「技巧」をベースとする技術者でしたので、それだけにできる限り勉強はしていますが、この「素直」には苦労している感じがします。

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[14339] :群草
服管理人
2018/04/08 13:35 - パソコン
 熊野路には、未だ山の峠道の数軒の村があります。
そこには山田の稲の刈跡には春になると数センチ程の低い草には薄い紫の色をした5ミリ程度の四つ花弁の花が咲き誇ります。
これが草が見えない程になるのです。この山田はこの薄紫色で覆いつくされます。
村の庭先に植えられた「勿忘草」も負けじと「むらさき」を競っているかの様なのです。
平安期に夢を馳せて「趣の想い」が蘇りました。
そこで、一句です。

群草も 紫競う 勿忘草 

欧州の外来種の「忘れな草」には、類似所として園芸用として開発され、雑種となった「エゾムラサキ」や「むらさき」や「ノハラむらさき」があります。
ところが、この「群草(むらさきくさ)」は他のものと違って、その様は小さくて四花弁で草目も見えない程に小さくて花だけが目立ち遠くからも近くからも”「むらさき」”そのものです。
平安初期の歌にも多く詠まれていて、「日本の古来種」で希少植物に指定されています。
”群がって咲く”この”薄むらさきの花”から、「むらさきの語源」が出たとされています。
一説では、この花で古代は「染料(史実)」とした説もあります。
他説では、奈良期からの肥料として「村の田」に「咲く花」から来ているとも云われていて、この説の「語源の根拠」は、れんげ草と同じく「山田の肥料」として使われていた事からだとしています。
いずれにしても正しいと思います。

村の庭には、現代の「通称の勿忘草(忘れな草)」が広がっていて、「山田の群草」に「紫色」を誇示しています。
何か「古代(伝統)」と「現代」とが競う様ですが、この「群草」には今でも「むらさき」では到底勝てませんでした。「彼世」はこの様なところでしょうか。
「現世」にもこの様はありますが、矢張り、現代>古代ですね。

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[14338] すみれ
青木
2018/03/27 08:37 - パソコン
 老いの背に迫る「都会の変化」の少ない喧騒ばかりが気になる「マンション生活」に訪れた「一瞬の景色」を喜んでいます。
それはあまり日差しの当たらないベランダなのです。
でも、そこにはどこからか風で飛んできた野草のすみれの目が出てきました。
最初は野草程度と思ってそのうちにとればよいと思って放置していたのです。
ところが、ある日の朝、話題が少なくなった妻がベランダに小さい紫色の花を二輪見つけて”あれー”と声を上げていたのです。
何事かと観に行くと、老眼でよく見えない程度の「小さいすみれの花」でした。
その日はこの「すみれの花」で話題が沸騰し「故郷」に及び懐かしい気持ちにしてくれました。
「故郷」を思い起こしてくれたありがたい”ベランダ様様”と”すみれの花様様”です。
そこで 一句です。

妻騒ぐ 咲くすみれは ベランダに

どこに何があるかわからないこの世の出来事です。
田舎では何の反応もしなかった花です。
”「小さい趣」(しあわせ)”とは離れて味わえるものかも知れませんね。
そのように感じる事のできる夫婦でした。
人生の”今悟る感謝です。”

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[14337] 梅香
青木
2018/03/17 10:39 - パソコン
 朝起きて、ゆっくりとマンションの窓を開けて外を見ていると、何となくかぐわかしい香りが入ってきました。
窓の下を見ると、一本の梅の花が一度に咲いていました。
毎日、まだかまだかと待っていたのです。
でも、予想外に「寒さ」が続いて花が見えませんでした。
ところが、今日は一度に温かくなり、さすが「梅」も待ちかねた様にばっと咲いたのでしょう。

「私と梅の心」が一致した瞬間でした。
それを教えてくれたのが記憶に深く刻まれた「香の教え」でした。
そこで、一句です。

高窓の 香の眺めに 梅たより

「田舎」で育った私には「老後の終の棲家」にした都会のマンション群れには「自然を示す情報」が少ないので心が荒んでいました。
ところが、ただ一本の香りの高い「白梅の木」が駐車場の隅にあります。
その木が「梅香」を私に態々届けてくれたのでしょう。
「梅の癒し」に”たよる”一瞬の「梅のたより」でした。
「自然」に感謝です。
「人生」には、「救う神」もありますよね。

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[14336] 春の女子
青木
2018/03/10 15:00 - パソコン
 寒さもほころびそれに引きずられて子等が外に出て来ました。
そして、草花の咲く小さい川の縁に茣蓙を敷いて”ままごと”を始めたようです。
女子等は何やらワイワイガヤガヤと騒いでいます。
傍の大きい桜の花もつぼみが出て何かピンク色で人や景色を和らげている様です。
そこに”女子等のままごと”が始まったのです。
この「桜」も負けじと「花やぎ」を見せた様で、何だか微笑んでいる様です。
何時も学校の往来を観ているこの桜も、この様を観て寒さから解き放たれて微笑んだのかも知れませんね。
田舎のまだ残る田園風景です。
そこで 一句です。

川縁の 茣蓙のうたげに 花笑う

現実には桜は笑う事はありません。
でも、人の「心の趣感」がその様に感じさせたのでしょう。
現実に右脳のベータ波と原始脳の一つの複眼が反応すると、人によってその様に感じる様なのです。
そもそも「俳句」とは、技巧では無く「趣の素直な発露」です。
この世もかくあればもっと楽園に成るのでしょうが。

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[14335] 春の音
青木
2018/02/25 11:54 - パソコン
 楠の葉が枯れて赤葉が道端を埋めています。
何となく踏みつけるのも情緒が無く忍びない気がして隙間を選んで歩いていました。
そうすると後ろの方で渦潮の音の様なものが付いてくる様なのです。
オヤ!と思い振り向くと何とそれが「楠枯れの固い赤葉」と道路とが擦れた音だと気が着きました。
幼少の頃海の近くで育った私には「潮の音」の記憶も強くあるのです。
この記憶が無ければクスの落ち葉の音だと直ぐに認識するでしょう。
でも、一瞬違ったのです。

追風に 赤枯れ楠葉 渦の音に

人間の記憶が多ければ多いほどに判断の瞬間的な情緒感が異なるものです。
これは「感情的な情緒」に拘らず「論理的な思考」も左右されています。
技術者であった筆者の長い経験からの悟りの様なものなのです。
この知識と経験と一瞬の脳の現象が大事なのでしょう。

(注釈 ”「追風」”は「あらゆる香り」を運んでくる「特別な風」で後ろから吹いてくる風としても使われこの意味も含んでいます。)

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[14334] 木枯らし
青木
2018/02/12 10:34 - パソコン
 「木枯らし」が吹きすさむ朝の日に、我が庭に咲く丹精を込めた水仙の花や冬のバラの花に無情にも遠慮なく吹きすさむ様を観て何とか壁に成ってやりたいと思う気持ちが沸き出でてきます。
風よけの囲いをしました。でも「木枯らし」は容赦がありません。
何か「木枯らし」と喧嘩をしている様で、これでもかこれでもかと工夫して何度も「壁の戦い」をしました。
でも、結果は私の負けでした。壁を作れば作る程に「花の趣」は消えるのです。
「自然の力」には勝てません。「風邪のパンチ」を食らいました。
そこで、一句です。

木枯らしの 花の仕打ちに 我の嘆き

でも、嘆いてばかりいられません。負けん気の強い私に一つの知恵が生まれました。
家の中に入れて「風情のある花瓶」に添えて寒風で飛んでしまう「彼らの香り」と「花の風情」を取り込み「一輪刺し」で「彼らの趣」を生かそうとしました。
寒風では一週間ですが、二週間は咲き誇りました。私の勝ちです。
この嘆きにはこの世の生き方を私に教えてくれています。

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[14333] 仙水
青木
2018/01/24 10:20 - パソコン
 庭の仙水に朝日が当たり水も温もりを持ち始め微かな毛霧が立ち込め始めました。
これを知ったか小雀の仲間が山谷から降りて来ました。

このやや大きめで花崗岩で堀った臼の様な形の仙水の周囲に水仙の花が咲き始めていました。
この喧騒の匂いを含まない純粋な香りを合図に誘われてか毎年の様に覚えていてやってきたのでしょう。
でも小雀の世界も世代交代している筈です。
この記憶が子供や若い仲間にも引き継がれてきている証拠です。
自然の不可思議を感じる瞬間です。

そこで 一句です。

枯木(き)に小雀 温む小鉢に 仲間呼ぶ

この小雀は先遣隊なのかも知れませんね。
この先遣隊の小雀がいつもより強く鳴くとどことも無く隠れていたかの様に一斉にやってきて古い柘植の木に集まるのです。

何で柘植の木なのかですが、この木はこの仙水の傍にあって、何百年も経っている歴史を物語る古木なのです。そして、柘植はなかなか大きく成らない白くてつるつるで枝ぶりの少ない木なのです。

伝統としてこれも目印としてこの小雀の一族に伝統として引き継がれてきているのでしょう。

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[14332] 侘助
青木
2018/01/17 10:07 - パソコン
 椿の種類に侘助と云う椿があり、藪椿や白山椿とは少し違った趣を持っています。
何と云うか藪椿のような「野生の強い主張性」や白山と云った「王者の風格」がないと云うか、それでいて椿としての凛とした花の趣を持っています。
これは花柄のみでは無く木柄も同じです。

一枝のみならず満開にしても咲くと、この趣が辺り一面に醸し出されます。
隣の藪椿もひけ取っている様です。
そこで、一句です。

おそれなす 藪や白山 侘助に

椿には200種以上の種類があり、中でこの侘助は四国巡礼の弘法大師様に因んで作られたとも云われています。

侘助の趣は「真言宗の極意」かも知れませんね。

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[14331] 三平柿
青木
2018/01/07 12:39 - パソコン
 道路沿いにある 古い柿の木があります。
この木は「三平」と云う名の木で普通は猛烈な渋柿なので干し柿にします。一寸普通の木と違う枝ぶりをしています。
少し色づいたところでもういいだろうと食べると口の中が固まってしまうほどの渋柿なのです。
だから、人や鳥はよく知っていてこの柿をある熟す時期まで待つのです。
その熟す期間が実に狭いのでもう良いだろうと思って食べると大変な事に成ります。
通りに面していますので、人にも獲られるので警戒が必要です。
そして、私と家に居ついている鳥もその熟す色合を良く知っているので目の競争です。
普通の柿は赤く熟すとすぐに落ちたり崩れたりすると虫にやられてしまうのですのですが、この柿は違います。
”明日いけるぞ”と狙いを定めて昼に向かいました。無く成っています。
そこで、一句です。

だれかしら 柿奪われし 悔しさか 

あの人なのか、あのにっくき定住鳥なのか。この時は、理性を超えて憎しみが満杯です。

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[14330] 浜木綿
青木
2017/12/31 10:37 - パソコン
 故郷の砂浜に佇んでいると潮の香がしてきます。
そして、歩いていると周囲には野生の浜木綿の群生がありました。
その美しさに如何にも見るだけで強い香りを感じるのです。
人は潮香と同じく花を観ると、独特の香りがあるものと感じつい嗅ぐ脳の記憶癖があるようです。
そうすると、何時か浜の潮の香が不思議に消えて浜全体が浜木綿の香りに成っている様に錯覚をしたのです。

潮香でも 浜木綿の香に いずれ似る

浜木綿の香りは曼殊沙華の花の様な強めの涼やかな香りがします。
入浴剤にも使われる香りで和歌山県や千葉県の温暖な浜で見られます。
人の「故郷の記憶」として「浜木綿の香」が脳の片隅に染み込んでいる様です。
「潮の香」によく合う「浜木綿の香り」です。浜に咲く花もその様にしているのでしょう。
それが、同じ記憶として「潮の香」と融合して「浜木綿の香」が脳を独占したのでしょう。
この句は私の人生訓です。

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[14329] あざみ
青木
2017/12/25 14:48 - パソコン
 秋過ぎて小寒の道端にあざみの穂綿が未だ残っています。
ところが、突然に空に巻き上がる様な風が吹いてきました。
その竜巻の様な風は、見る間に季節に見合わぬ「あざみの残り穂綿」を空に舞い上げてしまいました。
それが飛んで何と屋根よりも高く鳥の一団の様に舞って飛んで行きました。
そこで 一句です。

風湧きて あざみの穂綿 屋根を舞う

この様を見ていると、いよいよ冬が来るのだなと感じ、何だか肌寒い落ち着かぬ気持に成りました。
何だかもがく人の生きざまの様な気もします。

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[14328] いちょう
青木
2017/12/16 11:41 - パソコン
 わが家の片隅にある秋の盛りの大イチョウの木は黄葉し、木の下は落ち葉の黄色で一色に染まっています。
庭があまりに賑やかなのでそっと覗いてみると、そこにあまりの美しさに近所の子等が黙って茣蓙を敷いて輪になって座りお菓子の様なものを持ち込んで楽しそうにおしゃべりをしています。

確かに鍵はしていたのですが庭に入っています。
母親らが手伝いをして入れたのでしょう。

何か童とイチョウが融合している様な感じがして黙って観ていました。

そこで、一句です。

里庭に 童と銀杏 茣蓙一つ

この木は銀杏の実は成りません。300年以上の大木です。
町の何処から観ても高台にあるこの木は見えるのです。
この程度の事は黙っているのがここの近所付き合いです。

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[14327] ひよどり
青木
2017/12/11 14:40 - パソコン
 朝が明けるか開けないかの頃に成ると必ずと言って良いほどに「ひよどり」がやってきて強く甲高く鳴くのです。
丁度、私を起こしに来る様にです。
そのたびに障子の紙にびりびりと響くのです。
何時もこの響き音を聞くと、あぁもう朝だなと何となく薄く目覚めるのです。
そして平和な一日が続きます。
そこで一句です。

ひよどりの 障子に響(き)く うすめざめ

山懐の我家には、今でもこの風景が続いています。
この「ひよどり」は、庭仕事で私が傍に近づいても逃げる事はありません。
「ひよどり」も私を認識しているのかも知れませんね。
だから、起こしに来るのかも。鳥との間にも不思議な仲間関係が出来ていると信じています。

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[14326] まゆみ
青木
2017/11/26 15:39 - パソコン
 朝早く散歩をしていました。
近所のおうちの垣根の夜露に朝日が柔らかく当たっています。
その垣根の葉から落ちそうな露に光が当たり、ピカっと光りました。
それに気が着いて観てみると、その木には花が咲いているのです。

でも、その花は「花」と云うよりは、何とも云えない柔らかい感じで品のある薄紫と白のコントラストを加えた1センチくらいの複雑な塊の様な物なのです。

その花の先は小さなスコップの様な花の形をしていて、そこに夜露が溜まりスコップの尖がった先から夜露がおちる瞬間であったのです。

それは絶滅危惧種の木でその花が咲いていたのです。
でもこの山里の麓にはあった大変に珍しい木なのです。
都会では絶対に見られない木の種類なのです。
御主人に聞きますと大変に手入れの難しい自慢の木なのでした。
そこで、一句です。

山里の 朝の垣根に まゆみかな

万葉集にも四句も読まれています。
それは気品のある心の中にある思いの残る木であると読んでいます。
花の名は恐らくは花の形が弓に似ている事から付けられたものでしょう。
この木は「雄雌」の木があり、「雄の花」と「雌の花」は少し違っています。
「木姿や葉姿や木質」も異なり一見すると違う木に思います。
然し、相互受粉し生きています。
雄木は垣根に、雌木は庭木にあっています。
共にこの木はまゆみの花の咲き終わる頃に紅葉をします。

自然界を生き抜く上での実に珍しい仕組みに成っています。
それだけに現代では生き抜くことが難しいのでしょう。
何だか人間によく似ている様ですね。

(左メニュウの写真館の6Pの末に記載)

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[14325] 小雀
青木
2017/11/16 11:44 - パソコン
 冬支度に入る秋の朝に山の谷から待ちかねたかの様に、住宅化が進んだ山裾の中でも頑固に枯山水を保っている我が庭に「小雀の群れ」はやってきました。
群れは、餅の木の実やナンテンの実を啄んでいます。
そして、最後には雨水の溜まった庭の小鉢に降りて来て水を飲んでいるのです。
これを順番待ちの様に何度か繰り返すのです。
どんな「群れの規則」があるのでしょう。
よく見ると「シジュウ小雀」です。
親族や家族の群れの一群ではないでしょうか。
鳴き具合からして水のみ順は先ず年寄りからかも知れませんね。
小鉢の淵はいっぱいに群れています。

喧騒の中、わが家の庭は何とも云えない愛らしい情景の一つが演出されています。
紅葉も散り始めた冬に入る間際の晩秋の情景です。

そこで 一句です。

仲間呼び 涼む小鉢に 小雀の群れ

雀より一段小さい「小雀「(ガラ)にはたくさんの種類があります。
毎年、我が家を訪れてくれるのは「シジュウガラ」です。
我が家を覚えてくれているのですね。
覚えてくれると云う事は年寄りのシジュウガラが何匹か居て群れを導いているのですね。
「小雀の世界」でもこれを年寄りから若年寄りと引き継いでいるのでしょう。
毎年、わが家の「枯山水の庭」を忘れずに訪れるのも、又、「世の規則」として引き継ぐことでは小雀の世界も「世の輪廻」に従っているのですね。

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[14323] 彼岸花
青木
2017/11/10 14:21 - パソコン
 老いての務めの帰り、日暮れ間近の「霞む坂道」(くれなずむ)を歩いていました。
その道際に咲く「彼岸花の影」が長く道に照らされています。
そして、この二つの影が自分に追って付いてくる様に感じたのです。
その時、私の脳裏に彼の世の両親の事が浮かびました。
何か涙が出る様な寂しい感覚に襲われたのです。
暫くこの「感覚の影」と共に歩いていました。

秋の暮れ行く風情と、老いた自分と、亡き父母の慕情とが重なり自分もこの霞む「秋の夕暮れ」と同じの様に思えたのでしょう。

そこで 一句です。

霞む ながい「彼岸」の 影さみし

”「彼岸」”は、彼岸の時期と、浜木綿科の香りと風情と小さいときにこの花を使って首飾りをしたことなどを総合的な意味を持つその「花の事」を私の地方では花とまでは言わずとも”ひがん”と呼んでいます。
もっと云えば、先に花が咲き、枯れてから葉が出て来るまでの事なのです。
そして、その「葉」は来年に咲く為の栄養素を小さい球根に蓄える「浜木綿科の特徴」をより鮮明に特別に持っているのです。
これは、「葉」で子孫を遺す「人の世の成合」(路)と似ているから、「彼岸花」「曼殊沙華」とも呼ばれます。

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[14322] 金木犀
青木
2017/11/04 14:04 - パソコン
 秋風吹く肌寒い中、散歩していました。
ふと気が着くと何時もと違う空気の「香り」がします。
それが、秋の小風に乗って運ばれて来たのか、将又、そもそも、何も特別な「香り」が漂っていないのか、又、その香り自体が何なのかよくわからない程度のものなのです。
でも何時の辺りの香りと違う気がするのです。

私のカンの様なものがその様に微妙に感じ採っているのです。
でもその「香り」(か)は金木犀の様な「香り」だと密かに脳で判断している様です。
これは、私の癖の理屈から導き出した「風情の物」かも知れません。
でもこの感覚は単独では無く小風、空気、木犀とかの幾つかの要素で組み合わされた「脳の記憶」ではないでしょうか。

そこで、一句です。

小風にか 妙に潜むか 木犀か

そもそも、「万物」には何某かの「香」を持っています。
「香」(か)の無い物も「無い」と云う「香り」(か)です。
「色不異空 空不異色」と仏教でも説いています。
この世では、「香」が「有る」から「無いと云う概念」が生まれ、「香」が「無い」から「有ると云う概念」が生まれます。
いずれにしてもこの片方が無くてはこの「有無の概念」は生まれません。
でも、この俳句の通りこの両方に当てはまらない感覚の概念があるのだと気が付きました。

これこそが何とも云えない「小秋」にこそ味わえる「詫寂の感覚」なのかも知れませんね。
「詫寂」とはこの様な事なのかも知れません。

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[14321] テッセン
青木
2017/10/29 13:49 - パソコン
 台風一過、空は雲一つないさわやかな秋空に成っています。
ふと観るとわが家の門扉に絡んでいたテッセンが依然として夏の面影を残して絡みついているのです。
暑かった夏の日差しから頑張り抜き、何か秋の爽やかな秋の空を見たそうに頑張っていた様な気がしてなりません。
花の色もやや日焼けしたように気がします。
然し、そのテッセンの命も涼風に持って行かれそうな日が近づいています。

そこで 一句

涼風に 門扉に絡む 紫蔓

テッセンはキンポウゲの仲間です。 
この毒性を持つキンポウゲ科のテッセンには二つの種類があり、一つは鉄線草、一つは風車草で昔から日本人に好まれてきた草で何れも蔓族です。テッセンは弱性ですが、5センチ位の紫の強い花を咲かせます。
初夏に紫の花が咲き、針金のような蔓で門扉や固い木などなどに巻き付いて夏の厳しい環境に耐え抜いて生きています。
何度も夏の台風などにも耐え抜き、強い虫にも耐える健気な草花です。

既に涼風の吹く晩秋に成るも、このテッセンが未だ咲いているのです。
そして、晩秋のこの頃、毎日そのわが家の門扉の下を潜る時には何となく愛しさを感じるのです。
その姿は、この世の荒波を耐え忍んで生きて来た母の面影に似ているのです。

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[14320] 運動会
青木
2017/10/24 10:13 - パソコン
 幸いにも晴天の秋空に老いた体で孫の運動会を見に行きました。

昔の子供の頃を思い出しながら見ていました。
いよいよ孫の出番です。
綱引きの様です。
空砲が響きました。秋空に一斉に子供らの甲高い声が突然に運動場に広がりました。
何と、その声の中にはもう一つの甲高い声が聞こえて来ます。
それは、ママ友等が興奮して応援席の前に出て、綱引きの様な応援の姿勢で引いているではありませんか。我を忘れたかの様に力んでいます。
勝負がつきました。子等と同じ様に座り込んでいます。
何とも言えない微笑ましくも懐かしい光景でした。

そこで 一句です。

声高く 綱引く子等に 親りきむ

世はかくあるべきです。
世は人の遺伝子を母親が引き継ぐの通り、”世は母親で保つ”の格言の通りです。
この一場面でもよく判ります。

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[14319] 百舌鳥
青木
2017/10/18 10:26 - パソコン
 八手の白い花も終わり実が成ります。
この実を小鳥たちは競って食べようとして、群れでやってきます。
然し、百舌鳥は宣言するかの様に、周囲に向かって自分の物だと宣言するかの様に高い声を上げるのです。
最近はこの渡り鳥も渡らずに一度山の静かで温度の低い山間で夏をやり過ごし居つく鳥もいます。
庭の百舌鳥や目白も年中いる様で、枝にとまる木まで同じところです。
ですから、この八手もこの百舌鳥の持ち物なんでしょう。
そこで、一句

八手には 百舌鳥の雄叫び 他を寄せず

目白も最近は保護鳥ですので多く成り中には森で籠り、渡り鳥では無く成ったのでしょう。
年がら年中、やってきますよ。
百舌鳥と目白も庭と谷との間を行き来している様です。

鳥の世界も、大きく変わりましたね。
温暖化なのに日の当たらない谷間は四季を通じて冬なので、渡らなくなった鳥たちの永住の住みかという事で変わりましたね。

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[14318] 日日草
青木
2017/10/10 14:28 - パソコン
 日影の多い竹藪は 薄暗く雑草は生えていなく、竹の葉だけです。
でも、そこに遠くから観ると、赤いものが見えるのです。
何だろうと近寄ると日日草の群れが互いに絡み合って倒れないように深紅の花を咲かせているではありませんか。
暫く見なかったこの竹藪に、何故か日日草の種が風に乗って飛んできて、先ず一つ咲き、次ぎの年には仲間が数十株増え、何時しか仲間や子孫を倍々増して行き、これほどまでに見事な「日日草の村の楽園」を築いたのです。
そして、この竹藪は、何と最早、「日日草の花の村」と成ったのです。
何かしら、「極楽の様な花園」を観ている不思議な感覚に陥りました。
そこで 一句

竹藪も 日日草の 生きる村

日日草は、花が咲き終わると固い鞘が出来て、その中から弾いて固い黒い種が飛び出すのです。
その時の音は、”パッチ”と云うすごい音がします。
普通、植えた訳でもないのに何でこんな環境の悪い竹藪に飛んでくるのでしょうか。
近所の庭から風に乗ってここまで飛んできたという事でしょう。
そして、その一つの種がこれだけの子孫を増やしたのです。
不思議な論理的に割り出せない感覚を頭によぎり、この長く咲く日日草と深紅であったからこそだらこそ「極楽園」のような印象を持ったのだと思います。
あの世は事は判りませんが、この世の「不思議」の一つです。

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[14317] 釣鐘草
青木
2017/09/29 11:36 - パソコン
 「釣鐘草」には一つの枝に幾つもの「釣鐘に似た花」が日影のところに咲きます。
この花は「風鈴草」とも呼ばれます。
普通知られているのはこの風鈴草の方です。
ところが、この花には、もう一つの種類の花があり、「紫草」の様に低く群がって「つつじ」の様に一花で咲く種類とで、当に釣鐘の様に咲く種類があります。

何れも「高湿」で「日影」に咲く花です。
でも、咲く時期には「日影の世界」で咲く「春のつつじ」の様な扱いと人気を得ます。
負けてはいません。
取り分け、この咲く時期も同じ「南国原産のこの釣鐘草」には、「花形」もよく似ていてもて囃されるのです。
そこで 一句

釣鐘草 日影の身の つつじかな

「春のつつじ」には、「詫寂」と云うよりは「華やかさ」が、でもこの春から秋にかけて長く咲く「釣鐘草」は「三季の詫寂」を主張する草花なのです。

「夕暮れに映えるお寺の鐘」も、この名をもらった「釣鐘草」も「主張する詫寂の草花」でこれに勝るものはありません。
人生でも「春のつつじ」ではなくこの様な「粋な生き方」をする人が居ますよね。

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[14316] ひゆの花
青木
2017/09/19 11:32 - パソコン
 私に執っては子供の頃の「故郷」を「色」で表すと、紫の淡い色の「ひゆの花」と成ります。
今は、どこか「松葉牡丹」に似たこの花も都会では改良されて大花と成って「家庭の花壇」に敷き詰められて「庶民の花」と成っています。
でも、どこか「野辺のひゆ」には心に響くものが違うのです。

故郷の子供の頃の「ひゆ(すべり)」の「紫花」は雑草として嫌がられるほどに増え、庭では嫌がられる草花でした。
葉は厚葉でなかなか日照りでも枯れず整った庭を乱す草花で、取っても取っても生えてくる「しつこい草花」でした。

草の千切れたたった一筋の枝軸だけでも簡単に根ずき広がるのです。まぁはっきり言うと「嫌われ草」でした。
それだけに、田んぼの蓮華草の様に庭に広がり咲く花は愛しく印象に残る草花です。

そこで、一句

野辺のひゆ 敷石に溶け 郷の紅

この草花は庭の青石などの縁にしがみ付いて咲く草花で、他の雑草の中では生存競争に負けてあまり広がりません。

あまり草けの無い保湿している様な所にへばり付いて頑固に咲くのです。
その様には異質感がないのです。敷石に同化しているかの様に生きて咲くのです。
でも、「詫寂」の「野の草花」なのです。
それ故に、その「花の色」は大昔から”「ひゆ」”と云うしっかりした「花名」をもらっているのです。
恐らくは、宮廷に咲く「紫薇(百日紅)しび」の「花の色」に似ていて、「万葉人」に好まれたのではないでしょうか。
「花の色」のみならず、そして、この草のその「草の生きざま」にも共感を覚えさせたのではないでしょうか。
それは私の心には今も変わりません。

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[14315] 百日紅
青木
2017/09/09 09:56 - パソコン
 年を経た何時も観る百日紅の木肌は、皮が剥け、花は古枝に咲くように成りました。
百日紅は、今年の新しい薄茶色の肌色に枝がのび、その枝先から枝下にかけて鈴木の穂の様に長い穂の様な花を咲かせます。
ところが、50年も経つと太くなった木肌には新しい木肌を生み出す為に前の古い皮を自然に剥がすのです。
そして、その枝に咲く花は、短い枝先にちょろちょろと咲き、古木の花は、新芽の枝は少なく成り、その様に変化します。
普通は咲いた後の木の下は、深紅のジュウタンを敷き詰めた様に成りますが、古い枝の花はすぐに風で削がれてしまい長く咲きません。
百日の紅の印象は低下します。

この花を観ていると、「男の生きざま」を観る様で、”刺すような侘しさ”を感じるのです。
これが毎年の事に成り、この「百日紅の生きざま」と重なります。

そこで、一句

こころ刺す 五十路男は 百日紅

百日紅は長寿の木で、その為に自ら皮を剥がしながら虫などに浸食されない様に木肌を保ちます。
これがサルもすべる程のつるつるの木に成る事からきています。
猿滑るの名にはこの様な意味が含まれているのです

剪定は難しい方で、気質を知った上で剪定をしないと古木は維持出来ないのです。
剪定を失敗すると、太い木でも木の真ん中に大きな穴をあけられて枯れてしまいます。
少なく成った新芽を大事に守りながら古木を維持させるのです。

定年間際の「男の人生観」を悟らされる木です。

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[14314] 夾竹桃
青木
2017/09/02 11:25 - パソコン
 「夾竹桃」は、その昔中国の宮廷で好まれて栽培されていたと云われ、それが日本に伝わったと成っています。
この為に、その名は、葉が細い竹の葉に似ていて、花は桃の花に似ている事からこの様に付けられました。
確かに、遠くから花を眺めるとあの穏やかな桃の花なのです。
ところが、”美しいものには刺がある”の如く、猛毒の木で花も木も葉も毒で木を守っています。
それだけではないのです。
その周りの地面も猛毒に染まり、木や花には虫も鳥も集まりません。
ですから、受粉して種が弾いて木が広まるという事は先ずありません。
全て、接ぎ木や株分けでなどで広まった木なのです。

でも、良いこともあるのです。
木の周囲には草が生えませんし木は虫で枯れるという事はありません。
剪定も木は柔らかく坊主にするだけで済みます。ですから宮廷に植えられたのです。
でも花は夏の暑い中でも可憐で人を引き付けます。
そこで 一句です。

寂しげに 夾竹桃 花は桃

この猛毒は半端ではありません。牛や馬など少しの葉でころりと成るのです。
地方では、”牛ころり”と呼びました。
それなのにここまで広がったのはそれなりの良さが環境にあっての事で扱い方なのでしょう
この世の中にもよく似た事がありませんか。
何か、この花を観ると何か私の人生に似ていて「人生の悲哀」を感じます。

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[14310] 夕日の浜
青木
2017/08/19 09:29 - パソコン
 郷の夏の盆のある高台から浜を観ると、昔懐かし夕日が出ています。
でも、何だかしっくりしません。
未だ小さい頃はこの浜で遊泳したり潮干狩りしたりして過ごした浜で、夕日が出る頃に高台にあるわが家へと帰るのです。
それが私の脳裏に残っているのです。

昔は、万葉集にも何句も詠まれた浜の美しさなのです。
でも今は影も形もありません。
街に覆われてみる影もありません。
でも夕日だけは出ています。
「夕日の美しさ」よりも移り行く「現世の悲哀」を感じる寂しいと云うか空しいと云うか憂いと云うかなんとも言えない「心の一時」でした。

そこで、一句

寂しげな 夕日の浜は 今は街

街の人は、「反省の心」を込めてか、お祭り時には「花火」をこの浜の先で揚げるのだそうです。
昔の浜は心を拾い上げてくれる浜でした。今は喧騒を感じるばかりの浜と成って仕舞っています。
時代は「人の心」をこの様に変えてゆくのが判りますね。

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[14309] 人影
青木
2017/08/15 11:14 - パソコン
 庭の手入れをしています。
いつもの事ですが、夕暮れに近づき一息入れて休もうとしてふと前を見ると長い人影が出来ています。
その影に若い時の自分と違う影を見たのです。
定年後、元気よく老いを知らないほどに頑張っていました。
然し、影は正直です。
何か人生の遍歴を感じさせられる影の一瞬でした。

そこで、一句

庭先の 長い人影 老いの暮れ

恐らくは、私の後ろ姿にも迫りくる老いの影が見えているのかも知れません。
それが、映画の様に夕暮れに出てきたのでしょうか。
近所の人には、”いつまでも元気ですね”と度々言われてその気になっていたのです。
大きな木に登っての剪定しているのを見れば誰でも思うのかも知れません。
自分では判らない印象でしょう。

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[14308] 杉香
青木
2017/08/09 15:38 - パソコン
 生せる夏の日の熊野路で、峠の手前の杉林の中を歩きます。
杉林の坂道の下には谷川の水音がします。
日が当たらず少し鬱蒼としています。
周囲には鳥の鳴き声がします。

峠村を手前にして疲れはピークに達そうとしています。
もう一息で水が飲める。
平安の都人はここを越えたのでしょう。

この杉林は冷ややかな風が当たり、「杉香」で癒されます。
今も昔もこんな辛い旅をしてまでも現世の心の汚れを洗い流そうとしているのでしょう。
それはこの杉香のような癒しの効果が旅にあったのでしょう。
その一つがこの「杉香」と「谷川の水音」と「鳥の鳴き声」ではないかと思うのです。

そこで 一句

心安む 杉香の日影 熊野地の

実は、杉の香りにはスギノンと云う芳香成分が含んでいて、「笹音」と共に科学的には心を癒すことが分かっています。
また、杉香の鬱蒼とした環境には「酸素」が多く含んでいて、脳を活性にし冷やす効果があるのでしょう。
だから、「谷川の水音」や「鳥の鳴き声」はその酸素の環境にしかないところです。
参考に私の理屈では、「心の癒し成分」が脳に終われたシナプスを再び繋ぎ、「人間の原始脳」が刺激されるのだと思います。

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[14307] 神宿る岩
青木
2017/08/04 11:45 - パソコン
 山裾に谷に沿って大岩があるのです。
この大岩は地元の人にはステイタスの様に慕われていたのです。
子供の頃はこの大岩に上って遊び頂上に上って「子供天下」をとったような気分になりました。
ところが最近では苔生す岩になっています。
しかし、年寄りも子供も誰も見向きもしません。
真偽は別として「岩の伝説」も亡くなりました。
そこで、一句

山裾の 苔生す岩に ただ思う

昔から「大岩」は地球の成り立ちから「神」に崇められる対象でした。
この酸化シリコン(石英)の「大理石の大岩」は、周囲の地層から海から陸が突き出た時に残ったと見られる珍しいものなのです。
小さい頃はこの周囲で、小さい水晶の石を見つけては得意になっていました。  
それ故に、「自然神」から古くから崇められていたと考えられます。
ただ、頂上に上ったからと言って得意には成っていなかった気がします。
「道祖神の影響」か”上る事に神に対する意味”があったのでしょう。
今では苔生しています。

人の移り行く様が滲み出ています。

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[14306] 山香
青木
2017/08/01 11:29 - パソコン
 夏のむせる暑さの中、山の独特の香りが山里にも吹きおろしの風に乗って漂ってきます。
山里に住んでいる者にとっては、あー生きているんだと確認する「癒しの香り」です。

そして、その山瀬の山香に乗って小鳥のさえずりの声も漂ってくるのです。
これは「山香」と一対なのです。
この一対の環境が壊れた時は自然は終わりです。

でも、今日も山瀬と小鳥の鳴き声は心の底に響いてきます。
そして、何か安心するのです。
この「安心」が長い歴史の中で「人の癒し」となっているのでしょうね
意外に小鳥も「小鳥の癒し」になっているのかも知れませんね。

そこで、一句

山香には 小鳥の声も 響く谷

小鳥には、ひよ、小雀、雀、中には季節越えのメジロ、時にはカラスなど、気を向けていると思いがけない小鳥の声が聞こえます。

人や動物の脳に蓄積された「癒し」も減少しているかも知れません。

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[14305] 生姜
青木
2017/07/29 11:54 - パソコン
 勤めから帰り 疲れた体で門に入ると突然体を癒す香りがして一瞬疲れは吹っ飛びます。
そして、その香りは家の戸口まで私の体に追ってくるのです。
何と言う事でしょう。
その香りがジンジャーの花の香りです。
これではどんな遠くの虫も飛んでくるでしょう。

でも昔からこの生姜の花とは接しているのですがね。
慣れているにせよ何か特別に感じる時があるのです。
この花の香りの強さに勝てる花があるでしょうか。

ところが、本来なら真白い花も負けてはいませんよ。
でも、香りと真っ白な花は一年を通して印象には残らないのです。
実に不思議な香りと花です。
そこで、一句

戸口まで 香り後追う ジンジャーと

庭の水鉢の横に包み込むように根を大きく張って育っています。
生姜の花の軸は芭蕉の様な軸ですから、ほかの木々には絶対に負けません。
木々に隠れてしまうという事はありません。
安心して育てられるのです。剪定も実にやさしく枯れるまで待って後を始末すればよいのです。
根が残っていますから。

「人」もこのようでありたいものですがね

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[14304] 白芙蓉
福管理人
2017/07/24 11:39 - パソコン
 夏の真っ白な日差しに、虫が密と水分を求めて夏の花に飛び交います。
中でも、大花の芙蓉は虫の目立つ花ですし、日差しを避けることでも充分です。

夏の庭の倒れそうな手入れの中で見ていると、虫がそれこそ入るというよりは”飛び込む”と云った方が適切です。
それも白にめまいがしたかの様に中に入って行くのです。
さすがに直ぐには出てきません。
海水浴か涼んでいるのでしょうか。出てきてもすぐに隣の花に落ち込みます。

そこで 一句

目に光る 虫飛び込む 白芙蓉

やはり暑いときの行動を見ると虫も人と同じなのですね。
ただ、虫は花の美しさを観て俳句の一句が出るほどに愛でているのでしょうかね。
いつも観ていることですが、そんな余裕はないようですよ。

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[14303] 芙蓉
福管理人
2017/07/13 11:32 - パソコン
 周囲の家の芙蓉の種が風で飛んで増えたのでしょう。
丁度、それが川の縁で水分が豊かであったのでしょう。
自生えの芙蓉が垣根の様に成り、これを近隣の老人が手入をして親しんでいる様です。

何とも云えない例えようのない風景です。

前の家の芙蓉と川の縁の芙蓉のラインが出来て、互いに競っているかのようです。
真白と真赤で華やかな芙蓉の大花もさすがに笑っている様に観えます。
和やかな一瞬です。

そこで一句です。

川縁の 芙蓉の宴に 花笑う

芙蓉は「アオイ科」の花で、同じ科で「むくげ」とそっくりで違うとすればむくげは「葉先」がとんがっています。

「芙蓉」は、一つの花で朝昼夕と色を白系統からピンク系統に少し変化させます。
この様に、変化させる事から「心の変化」と捉えて、俳句などでは「隠意」に使われます。
この「色の変化」が酔った時の顔の様に成ることからも「酔芙蓉」と呼ばれる事もあります。

この様な事も含めて移り行く川のごとしの「世の中」も”この様でありたいなぁ”と思いますね。

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[14302]
福管理人
2017/07/05 10:49 - パソコン
 老いて庭木を手入していますと、ふと思う事があるのです。
それはどの「庭木」でも起こると云う事では無いのです。
「人」にもよるでしょうが、私に執ってはそれは不思議に「槙」なのです。
この槙は「庭の老垣根」にも成っていて、「一本木の植木」にも成っています。

代々我が家に伝わるこの真っ赤な実がなる「槙」は「我家のシンボル」とも云えるかもしれません。
この「常緑の槙」を毎年手入すると、何故か、必ず「縁」を考えるのです。
恐らくは、この「木の性質」と木の強い何とも言えない「香り」で、私の野生の時の原始脳の中の何かを呼び起こしているのだと思います。

何時もこの甘い実を採って食べた事を思い出します。線香の様な人を癒す様な香りでしょうか。

そこで、一句

槙の木の ながらう緑に 我が手入

昔から、この「槙」は神木として神社や寺に多く植えられています。
そして、大昔「緑」は人の心を癒し集める木として観られ、故に「寄す処」と書いて「よすが」と詠んだとされています。
その事から「緑」(よす)は「縁」に繋がったと説もある位です。
この様に「自然神」の中で奈良期から平安初期までは「緑」を”「よす」”と詠んだ時代があった様です。

恐らくは、私と同じ感覚に陥る人が昔から多かったと云う事かと思います。
だから「神木」にも成っているのでしょう。
今の世の中、誰しもがこのような木と深く関わる事が無く成り、「字」との関りの持つ意味が消え、その起こす「感覚」さえも伝わらなくなりました。

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[14301] 夏海
福管理人
2017/07/02 11:04 - パソコン
 「海」と云えば人に依って思い出す記憶は違うでしょう。
私の場合は朝から晩まで,海で泳ぎ遊んだ「子供の心」は「海の香り」として覚えているのです。
その[海の香り」には幾つもあってそれを思い出す度にその時の頃を思い出すのです。
「海」に親しまなくなったのは、学問に心だし故郷を離れた事によりそこで途絶えています。
「現世の荒波]に掻き廻され、「行き詰った心」を救ってくれたのは、「夏海」でした。
「地方の海」ではその香りも違いますが、共通する物が脳の中で取り出してくれます。

そこで、一句。

現世の勢 心静める 海の香や

昔から「海」は「母」にたとえられますが、恐らくは「海の香り」は「母の香り」として脳の中で選別して、それを嗅ぐと人は「生まれた時」に戻すのではないでしょうか。
取り分け「男性]には幾つに成っても懐かしいものです。

世の中の荒波に掻き廻されて身動き取れなくなった時には、「海の香り」で息を吹き返す一瞬です。

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[14300] 涼宵花
福管理人
2017/06/25 09:39 - パソコン
 この梅雨時期から長く咲き始める花と云えば、南国の花とも観える「納禅葛」です。
当に葛の花でその葛は太い軸で出来ていて、木や門等の柱に巻き割り付いて大きな範囲に花を咲かせます。
ですから、この環境が街中ではない為に咲き誇りは観られませんし、何かに会いません。
その葛の太さは20ミリ位にも成ります。
花は単でラッパの様な形で真っ赤な花を咲きます。そして長く一つの花は咲きます。
ですから、10月までも咲くのです。

この花は気候の変化にも強く葛ですので霧とも仲が良いのです。
この花は、その名の通り「納禅葛」で、禅に関わりそうな花感覚の趣を持っています。
人の人生の何物かを物語るかのような花として平安の昔から好まれている花なのです。

別名では、「凌霄花」とも書くこともあります。
俳句などでは、その花の趣から「涼宵花」と書くのですが、そして、中国産ですが、中国では「愛の花」とも云われています。

そこで、一句

山郷で 涼宵花 口説く霧

「涼宵花」は、霧にむせぶ「宵」にて涼める花、、「凌霄花」は「霄」(よい)の空に趣で「凌ぐ花」とも云われています。
「納禅葛」は、禅では納める葛とし、この世は葛の様だ、それを「禅」で納める花として褒め称える花なのです。
葛は街中では、趣が出て来ない花で、矢張りは山郷なのです。
梅雨の宵の「涼宵花」に対して霧が愛を示すかの様に花に巻き割り付いているかの様に私には観えるのです。
そして尚の事、この花のもつ趣が山郷一杯に醸し出してわたしを和ませてくれています。
この趣を写真室に掲載しています。

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[14295] 紫薇
福管理人
2017/06/18 20:26 - パソコン
 「紫薇」は百日紅の事で、中国では宮廷の花として珍重されていました。
これが日本に伝わり、やはり皇居の人達にはもてはやされていた花です。

日本では一般には「百日紅」と呼称されますが、平安期では「紫薇]と呼称されていたもので、関西の平安文化の影響を受けた地域では、今でも「紫薇(シビ)」とも呼称されています。

そもそも、「薇」とはゼンマイの花の事で、「円熟した 優美」「子孫の守護」「夢」「秘めたる若さ」などがあり、単の花や八重の花があります。
つまり、紫のゼンマイの花としているのです。
つまりは、昔は”ゼンマイ”と云う事に大きな意味が隠されているのですね。

その為か、歌や俳句などでは「紫薇」として使われる事が多いのです。
その「趣」を最も表現できる呼称なのでしょう。
つまり、この様に「紫薇」には隠された多くの意味があると云う事ですね。

俳句には、多くの派があり隠された意味や経緯や訓等を知ることでその句の意味を伝えるという派があります。
高位な環境で詠まれる中では、この傾向が強いのです。
例えば、「宗教界」などは、「禅」と組み合わせた人生訓の俳句などがあり、「人の道]を苦労して会得した者だけがその「趣」を頭の中で察知してその句の意味を読み取り理解するというものもあります。
判らないものに執っては何を言っているのかさっぱりわからないという事に成ります。
さて、そこで一句です。

野辺に和す 紅の座敷か 紫薇の花

野辺にこの「紫薇」の花が咲き誇ります。
その花の光が枯山水の屋敷の静かな書院の座敷に入り、その部屋が紅色に成った様な錯覚に陥ります。
辺りはこの落ち花の色で染まっています。
そして、その様に違和感がないのです。
これは一体何なのであろうか、いつもの事であるのにと老施主は訝ります。

「百日紅」と云わず、別の趣に成るので、「紫薇」と云う花の持つ意味が全てを物語っているのです。
「百日紅」と云う事に成れば、次ぎの様に成るのかな。

野辺の花か 玉砂利に 百日紅

野辺に咲くゼンマイの花(薇)が飛んできてかと思えば、何と屋敷の打ち水の濡れた玉砂利に百日紅の花が落ちていた。
もう百日紅の季節かと思った瞬間であった。

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[14294] 「すくろ」
福管理人
2017/06/15 11:19 - パソコン
 昔から松の木やその落葉(すくろ)は格好の暖の元に成っていたのです。
松は「松根油」として、「すくろ」は燃やして暖と煙らせて「虫の除去」などにも使われました。
実は食料としても使われました。
煤は「墨」にもなり大変に人の役に立っていたのです。
しかし、「老松」として生きて行くには厳しかったのです。

そこで、一句

老松の すくろの下にも 新芽かな

雨の多く成るこの時期から松の下は大賑わいです。
枯山水の老松は松葉を落として根本を必死に囲い乾燥から弱った松根樹を護ろうとします。

松の下に大変な数の枯れ松葉が落ちます。
然しこれには大変な訳があるのです。
この松葉の事を、通称、”すくろ”と云います。

この「すくろ」(救路)の下には、松は子孫を遺そうとして「松毬(まつかさ)」を落としてこの中にある種から発芽を促すのです。
其れには、その発芽の条件を保つにはこの「すくろ」の下の環境が必要なのです。

松の「すくろ」は、枯山水では「自然の美」として好まれ、築山の人口庭には「すくろ」は美的感覚から「すくろ」は除去されますので「人工の美」としては好まれます。
何れにしても可否は問われませんが、唯一つ、自然に生きようとする老松の「新芽の発芽」は枯山水なのです。
これが「枯山水の極意」でしょう。
つまりは、松の下にも、「二次元の生の世界」が観えているのです。
だから、俳句や禅では「救路」と云う字を当てていたのかも。

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[14293] 紫陽花
福管理人
2017/06/12 10:30 - パソコン
 紫陽花は土壌の如何で色は何とでも変化します。
白から赤やビンクや紫や藍までそれが面白いのでしょう。

でもこの花の手入れは大変なのです。
この紫陽花にたくさんの花を着けさせるための剪定の方法があって、この基準に従う必要があります。

それでこそ「紫陽花の趣」を出すのです。
「人」もそうですが、「虫」もそれを心待ちにしています。

それは、木全体に満開の様に咲かすには剪定期は咲き終わり後の一週間以内に行う必要があります。
そして、その剪定は「二股一葉」での基準の剪定をしなくては成りません。
其れでなけれは咲きません。

「二股一葉」では殆ど紫陽花の根元から剪定と云う事に成ります。
つまり、花の新芽の枝葉には充分に太陽の光を当ててやらねばならないと云う事です。
「紫陽花」は、平安の時期から和料亭の和食の料理の皿等に使われますが、実はこの紫陽花の葉には毒性を持っていて食べると腹痛を起こします。
だから葉は虫も食べないのです。
だから、剪定の基準に沿った枝葉で料亭では大昔から使われるのです。

でも、花には虫は寄ってきます。
花は酸性からアルカリ性までのPHで色は変わります。
そこで、一句

虫たちも 気に成る色の 紫陽花か

よーく見ていると、赤の色により多く寄ってきます。

何ででしょう。
主に、梅雨期ですので、同じ土地でも土壌は雨量の為に酸性からアルカリ性に変化して行きます。
従って、変化しやすい土地や変化しない土地など地形や土壌でも異なります。
初期は青 後期は赤と云う風に「紫陽花」は七変化でもあるのです。
虫はこの事をよく知っているのです。
酸性葉の木には毒性が強い事から虫は注意します。

はてさて、紫陽花には、”人生の極意が”ですかね。

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[14292] 名もないラン
福管理人
2017/06/10 12:21 - パソコン
 庭の石定盤の上小鉢に咲くランもあれば、下の様にランもあるのです。
ランには300種類くらいの名もないランがあります。
マニアの中では、この野生のランを全国の野山を歩いて集めている繁殖させている人もいる様で、我家の枯山水の庭には別に集めたものではありませんが、昔から5種類くらいのランが野生で生殖しています。

夏の暑さで、庭には伸びた雑草がムンとして蒸れています。
手入としてはこの雑草を刈り込まなくてはならないのです。
しかし、その低い雑草が風になびいていて、繰り返し揺れる様は当にさざ波の様です。
その中に、わびさびの様に名の解らない野草のランが生きています。
でも、これを観ると、いつも刈り込めないのです。

そこで、何とも言いようのない佇まいを感じて趣を何とか表現しようとしてみました。

草むくれ ささなみ侘びる えぞのラン

このランは葉は細葉ですが、花の軸が7ミリ程度に太く、一直線に50cmほどに何本も上に伸びて、上から約10センチほどで幅が3センチの花の形をしていて、その3センチの花が一つひとつ何百と云う小花で固まり出来ています。
小紫の色をし、一斉に咲くと一段と広がり、これが一株で数本咲きします。
年々親株の株と子の株数は広がりを見せ、雑草の中ではこのランの一家は「親分」と云う感じなのです。
だから、これがこの野生ランの絶対的な生活環境の周囲なので、この周囲の雑草は刈り込む事が出来ないのです。
最近、このラン群の周囲に、何処から種が運ばれて来たのか芙蓉の木が自然に育ってきました。
さて、切るべきか悩んでいました。
そこで考えました。木の袖を裸にして適度の光をランに宛てて伸ばす方法です。成功でした。

草一つでも「生きる理屈」があるのですね。

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[14291] 自生のラン
福管理人
2017/06/09 12:00 - パソコン
 朝、起きて紫の野生ランにいつもの水をやろうとして、ふと見て立ち止まったのです。
このランは祖父の代から育てていたもので、山懐の谷川の岩の裾に群生していたものを移植して大きく育てたらしいのです。

それだけに父と私と引き継ぎ可愛がっていたランなのです。
何とも云えない愛着があって、ランも犬猫が人に懐く様に、毎年、花を咲かせ私たちに懐いてきます。それが何となくわかるのです。
野生のランは幾つかの条件が合わないと花を咲かせません。

ところが、今日は先に水を貰ったよと言いたげに元気いっぱいの様です。
枯山水の初夏の霧のある日の事でした。

そこで、一句

小紫の 斑しゅんらんに つゆ小鉢

このランの鉢は、墨絵の山水画を形どっていて、山の形をした白の斑入りの石や、山裾を模した谷川をかたちどった石などを配置したところに野生のランが一画に育っています。
仙人が出て来る様な鉢の自然美の雰囲気を醸しているのです。
ですからこの鉢を配置する位置が、畳一畳以上の大青石の定盤の庭石上に置かれていて、動かす事はありません。
既に鉢の周囲は山ノ谷に合わせて苔で覆われて人工性を感じません。

私に余計な事をするなと云う風に、その鉢に霧の露が既にかぶさっているのです。
ランの葉は、細いV字の形をしていて、ここに霧や小雨の滴を貯めて根元に流し込む様に出来ているのです。雨が降らない時は定盤のへこみに水を溜めます。
この様に野生のランは人から世話を受けない様に出来ているのです。
ただ、異常乾燥以外は見守るだけでいいのです。
できたら周りの苔に霧にして見ずをやるのです。

この世も「子育て」と同じですよね。

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[14290] 自然訓
福管理人
2017/06/06 12:11 - パソコン
 前回の臥竜梅の様に、地這う梅についてはその趣があり、私に執っては「人生訓」と融合していて非常に参考にしている。

そこで、過去に詠んだ句を披露したい。

梅の香で 虫もどこかで 庭仕事

庭仕事 漂うかおりの 竜の梅

人も樹も 慈しみ合い 五十の夏

武田信玄や上杉謙信の様に自然から学んだ訓があるが、筆者も上記の句の様に大いに同意である。


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[14289] 臥竜梅
福管理人
2017/06/05 11:00 - パソコン
 木にも寿命がある。
楠や松の様に人以上の寿命を持ち歴史を作る。
然し、これには香りなどの趣を長く引き継ぐものは少ない。

ところが、松や楠の様に長くはないが、「香りと趣と実」を結び発するものは少ない。
現役と同じ様に「香りと趣と実」を結ぶものには、歴史も木に遺して姿を変える。

その代表的なものは、「梅」である。

梅は「老梅」と云う言葉がある様にその区切りは凡そ約50年くらいで、収穫量などが極端に低下して現役を引退する。
実はこの性を持つている梅もそこまで「手入れ」をしないとまるでダメな木なのである。
故に歴史を遺す木の性を持つ木なのである。

そこで、一句、

遠い今 地に這う香り 梅の竜

当然に、現役を引退した木は伐採される運命にある。何故なら手がかかるからである。
だからそこからは歴史は遺さない。
でも、歴史のある木に未練を残す人間は、この梅を伐採はするものの何とか木に苦労して腐る木株に子枝を遺す手筈をする。

この小枝が更に50年経っても元が弱い為に苗からの木に比べては花も実もならない。
更に、50年と経つと、何と今度はこの「小枝」が大枝に上に竜の様にねじれて這い上がる様に成って木を支えて、一人前に花をつけ香りを出し、趣は一変して変え実を大量に付けて出す。

ところが、「香り」は空中には向かないで何と地を這うのである。
虫も地を這って蜜をすい受粉する。

これを人は、「臥竜梅」と云う。
まさしく木の様も竜の様である。

枯山水には誇りの木と成る。作って作れるものでは無いのでこれ以上の枯山水は無いだろう。
実は、我家に二本も「臥竜梅」があり、先祖の俳句や画や屋敷の名にも成っている。
育て維持するには苦労はしているが、これは遠い先祖の歴史の証でもある。






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[14288] エゾの花
福管理人
2017/06/02 11:39 - パソコン
 古道の山の野を見渡すと、薄紫の色が一面に拡がりこの世の光景かと思えるほどの草蒸れです。

何とも可憐でその花の大きさも草の大きさも解らないほどで、殆どは五ミリ程度の小花で覆いかぶさっているのです。

この時期には多くの野草の花が咲き誇りますが、この花は真面に咲いていては虫に辿り付いてもらえません。

そこで、他の野草の花も覆いかぶさるように、又、自分の葉も犠牲にしても「うす紫の花」で群れて生き残ろうとするのです。

そこで、一句

草に群れ むらさき競う エゾの花

だとすれば真っ赤な花にすればと考えるでしょう。
そうすればもっと虫がやって来るのに。
以前にも述べた「むらさきの語源」とも成ったとされるこの花の強さが観えます。

ところが、この花は「薄紫」を選んだのです。
何故なんでしょうかね。

日本元来の「むらさきの花」は「エゾムラサキ」、伝来種は「勿忘草」。
実に酷似していますが、「花の小ぶり」と「群がる仕草」は全く違うのです。
確かに、伝来種は、名前の通り、「忘れ草」の観があるが、未だ遺されているこの人里離れた山里の「エゾムラサキ」も短期間で勝負するので「忘れやすい草」なのでしょうが。

人の無力な者の儚さと強さを奏でて居ます。

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[14287] 禅庭花
福管理人
2017/05/29 10:32 - パソコン
 甘草が繁殖する屋敷の隅の滝には、この頃もう一つの花が咲く。
これは山の谷川から採集して、ここに植えたものではないかと思います。

その花は、キスゲです。
この花の総称は、「禅庭花」と呼ばれ、全国に分布する花です。
一時は、ニッコウキスゲと呼ばれて愛好家で広まりました。

地方によっても若干違う処があって、再び、地名の着くキスゲに戻りました。

屋敷のキスゲは、恐らくは、祖父の手に依って植えられたもので、それは禅を好む人が我家に入れ替わり立ち代わり家に長い間逗留する事が多く、枯山水の家の名前を「画禅堂」と呼ばれていたそうです。

この「キスゲ」は、座禅の瞑想の禅宗の仏教的要素が強い事があって、この様に「禅庭花」と呼ばれたと考えられます。

滝つぼに座って座禅瞑想する僧には、何か、このキスゲの花に、「座禅瞑想」の極意が花に籠って見えるのだと思います。

そこで、一句

滝つぼの 今年のキスゲ より百合香

「禅庭花」の花を観て、今年は自分も少しは人の道を悟ったのかな不安に成ります。変化の無い生活の反省にキスゲを見習いたいと。
未だ不安に成るのでは悟りはキスゲの様にないのかも知れませんね。

禅僧に執ってみれば、自然の低位にある壺に咲くキスゲには花としての強さと悟りの変化がみられるのでしょうね。


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[14286] 甘草
福管理人
2017/05/25 12:01 - パソコン
 屋敷の隅の庭の滝の隅に甘草の花が咲いています。
地形を崩さずに作り上げている枯山水なので、実は屋敷の隅には山から流れる滝があるのです。滝の跡が枯山水にした為に今でも2カ所遺されています。

平安の昔からあった様で、万葉集や小野妹子等に詠まれていて、ここにすぐ下の藤白の浜に流れ落ちる水系の流れの様の事が読まれています。
恐らくはこの滝の事を読んだのではと観ています。

この滝の隅にこの太根の甘草が毎年咲きます。
この甘草も昔からのものでは無いでしょうか。
ユリを大きくした花を咲かせ香りは抜群で、周囲に咲いている事が直ぐに判ります。
それだけに周囲ではいろいろな花か百華総覧の様に咲いているのに、滝と融合してひっそりと咲くのがこの花の特徴です。

そこで、一句

忘れ咲き 避ける甘草 滝陰げに

漢方薬に成るのですが、甘草には色々な種類があります。
この甘草は育ててるわけではありません。
滝の岩石の隙間にものすごい根を張っているのです。

ひっそりと咲く事等を考えると、甘草自身が恥じらって避けているかも知れません。以心伝心で従ってこちらも忘れている事が多いのです。
ですが、咲くと突然、他の花など跳ね除けるかの様にその存在を強く知らしめるのです。

人の世も 何もしないで強く育った者の方が味わいのある花を咲かせる人間に育ちますよね

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[14285] 沈丁花
福管理人
2017/05/21 10:28 - パソコン
 世には香り、綺麗さ、音、色、形 等で人間や生き物にその存在を知らしめる方法が沢山あります。

人だけで云えば、五感に訴える事に成るでしょう。

その中でも、沈丁花の香りはダントツです。
ところが、普通であれば、これに伴って虫や小鳥なども多く集まって来るものです。
この沈丁花に関しては虫程度がこっそりと寄って来るていどで周囲の花に負けて余り来ないのが普通です。

とすれば花の形や色は今一つと成れば、後は香りなのですが、自然の摂理であれば、何の為にこの極めて強い香りを出すのでしょうか。

人の為に咲いている訳ではないのに、最も多くの花の咲く時期に何とかその存在を遠くまで知らしめるために極めて強い香りを出しているかもしれません。
これ程遠くまで届く香りは大木に成る木犀くらいでしょう。

大木にも成らない沈丁花がいじらしく感じられます。
そこで、一句

花くらべ 居どこ教える 沈丁花

家には、沈丁花ばかりの花壇があって、香りでは確実に他の花の香を打ち消しています。

この花は剪定が難しく、剪定時期と剪定箇所を間違えると余り満開に成る程の花芽は付きません、香りも強く出ません。

更には、菌に弱いのです。ですから毎年、挿し木をして次の木の準備をしてやります。
恐らくは、沈丁花も沈丁花なりにこの事を知っているのかもしれませんね。

人の世も同じ気がして意地らしく手入れは怠りません。
花にも当に生きる為に苦労している様子が剪定しているとよくわかります。

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[14284]
福管理人
2017/05/18 11:20 - パソコン
 子供の頃、よく遊んだ神社の古木で、新枝の出る頃に枝に縄を結び付けて神主さんに危険だからと云って叱られながらよく遊んだものだ。

この遊びはこの近所の子供の遊びのステイタスでもあった。
「遊び」と云っても360度回転する様なサーカスに似た怖さ知らずの遊びで、木も大きいし、この程度の「遊び」が出来なければ、仲間に入れてくれない。

何故ならば、いざと云う時には逃げなくてはならないからだ。
それには俊敏性が必要でその俊敏性を競い合うと云う事もあった。
それで子供のグループの中での主導権が決まる。

そもそも当時は、「ブランコの縄」を自分で編むところから出来なくてはならないからだ。
リーダーがそれが出来なくてはこの遊びは成り立たない。

そこで、一句

大楠の ブランコの枝は 今は幹

この超古木の楠木は太さなどでは表現できないくらいで、平安初期からの古木である。
平安の姿をした人々が此処で泊まり休んだりした。

古木をよく見ると、昔、平安期から子供も同じ様な遊び事をして遊んだと観られる傷跡が観られる。

この熊野古道の史跡は、何も「歴史の史跡」だけではなく、「子供の遊びの史跡」でもあるのだ。
古いと云う事だけではなく、「人間の生き様」を遺した古木でもある。
歴史を紐解けば、この古木の前付近で、現実に主導権争いで殺戮があった。

もっと云えば、民主主義の世界と云えども、突き詰めれば「理想」では無く、「人の世界」も同じ様な「主導権争い」で決まる。
未だ変わることなく「無常の世」でもある。


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[14283] アマリリス
福管理人
2017/05/15 10:34 - パソコン
 毎朝の事ですが、朝に庭に出ると庭石の横に植えたアマリリス群が咲いています。
この花は時計の様に、日差しに向かって花向きを変えます。
ですから、この花の良いとこばかりを観る事が出来ないのです。
後ろ向き花姿も鑑賞しなくては成りません。

そして、それはどんなに曇っていてもわずかな光を捉えて同じ事を繰り返すのです。

何かその花の特徴に教えられる事の方が強くあって、花の美しさや趣よりもこの特徴に不思議に魅かれるのです。

枯山水の一つの具材で、自然の中に溶け込まして人生観を表現するものではないでしょうか。
若い時は判りませんでしたが、故に親もこの花を各所に植えていたのだと思います。

そこで、一句

今朝もまた 日差しに向かう アマリリス

アマリリスが咲くころに成ると、この花の事が気にかかる様に成ります。
そして、何となく独特の「安心感」を人に与えられるのです。

花葉は人に多くの感情を与えますが、安心感と云う点ではこの花が断トツです。
アマリリスの大きさや色合いや花の形や軸の太さや何をとっても安心感です。

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[14280]
福管理人
2017/05/12 11:29 - パソコン
 梅の時期は花と実の時期で鑑賞季は違います。

2月に花 6月に実となり、夫々に見ごたえのある趣です。
梅の花はその趣の良さから古来より多く読まれてきました。
然し、実も花には負けてはいません。

実は、殆どは「青梅」で色や香りとしての目立つ趣は持ってませんし、花の前後に「手入れ」をしないと見る影もないくらいに趣は無く成ります。

然し、ところが「南高梅」と云う梅は、桃との交配から生み出した梅で、梅も桃の実と同じ様に桃色の色をつけ、何とも言えない郷愁にかられる趣を醸し出すのです。

色だけではありません。
香りも桃と同じ様に芳香族の甘い香りを強く出すのです。

小さい頃はわらのかごを自分で編んで、それにこの梅を入れて子供の頃にそれぞれ遊んだものです。

中でも、この梅桃科に属した梅で、古来より生け花や俳句に詠まれ用いられていた「ゆすら梅」と云う梅のもあって、この「南高梅」よりも小ぶりで花と実によく似て両方の趣を持っています。

そこで、一句

わらかごに 幼心の ゆすら梅

「南高梅」には木の手入れでは「裾刈り」と云って、根の周りの土の地を見せずに草を常に短く刈るか、苔を植え付けます。

その為に、綺麗な実も熟して真っ赤に成って落花しても実として使えるのです。
其の侭に食べる事も出来ます。

最も香りの強い熟した実は梅酒に、落花前の実は梅干しに、その中間は梅ジュースにします。

この「南高梅」の下でや、「ゆすら梅」の思い出は、色と香りと趣とに包まれた子供の頃の遊びの思い出が出てきます。

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[14279] 南天
福管理人
2017/05/09 10:04 - パソコン
 南天の樹は、取り立てて目立つ季の樹ではりません。
でも庭には必ず植えられているものです。
そして、俳画や日本画の添図書きには目立たぬようにあるものです。
何故なのでしょうか。

それは、目立たぬも鳥や虫がこの南天の樹に寄って来るからで、人の感覚の中に絵としては、花鳥風月の趣がそそと持っていて、それが日本人の心を打つのだと思います。

枯山水には無くてはならない木です。
それは、冬の雪の景色にも、夏の日射しにも、そして、春の長閑な景色名も、花鳥風月の趣を消さないからでしょう。

そこで、一句

南天の 紅に拘り 葉も春に

南天の樹を一つで色紙に描ける樹は他に少ないですよね。
南天の樹は日本人の美意識の象徴と観ています。
その意味で年間0通じて紅で統一した春の葉の紅の色は目立ちます。
私はどちらかと云うと、春のこれぞばかりに咲く赤い花が咲き乱れる中で、この南天の春の紅葉(赤葉)は柔らかみがあって好きなのです。

「人」にも拘りのある様に、これを「樹」が持つ「拘り」と観ています。



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[14278] 綾目
福管理人
2017/05/04 11:39 - パソコン
 五月に似合うのは綾目草、杜若、花菖蒲ですね。

昔は、井戸の生活をしていました。
そして、この井戸の周囲には砂利を敷き、そこに、綾目等の花を必ず植えていました。

これには、それなりの理屈があつて、水回りの周囲は湿くことで不衛生に成る等の事があって植えていた事もあるのですが、別には、この水系の好む三品を庭に植えるには井戸などの水回り(湿地 花菖蒲)が必要なのでなかなか面倒な花なのです。


「綾目」はその名の通り花に「綾模様」があるからなのですが、取り分け江戸時代には「伊勢花三品」と呼ばれ、「菖蒲、蜀、撫子」が挙げられ名物であったもので、これが広まり中でも伊勢は元より肥後や江戸の名物にも成ったものでもあります。

花のマニアでは、この「綾模様」で価値が決まると云われていて、「花菖蒲」から「綾目」と呼ばれる様に成ったとも云われています。

毎年、手入れをしますが、そこで一句

井戸端の 綾目で競う 伊勢の花

この「綾目」は「文目」とも書いて、「素地」を楽しむ花とも云われます。

基本的には、科属が同じであるのですが。花菖蒲は6月の梅雨に、綾目は5月にとされています。
花ビラの見分けでは、「花ビラの根元」に、あやめは、綾模様が縞状に強く出ます。
花菖蒲は、黄色の模様の綾の縞模様が、杜若は、白の綾の縞模様が出ます。
花弁の模様は全て同じです。

昔は井戸端で食器等を洗いましたので、この三品には毒性があるので、水回りには必要なのです。
それ故に人は、この花を縁側から愛でて枯山水を競い合って楽しんだり、又、この「井戸端」に集まり「話の花」を咲かせ競いました。

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青木氏氏を お知り合いの青木さんに 紹介してください。