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No.167

詳しく教えてください。
あーくんさん 2006/01/04 (水) 04:09 [ メール ]
はじめまして。最近祖先のことに興味を持って調べておりますが、はっきりしない所もあり詳しく教えて頂ければ幸いです。
家紋は丸に揚羽蝶、お墓は茨城県水戸市の共同墓地にあります。江戸時代は水戸藩だそうです。宗派は日蓮宗です。
実家にある家系図には青木貞景の名前があります。親からの話によりますと、華陽院は貞景の娘!?でも、家系図には女子としか書いてないのでどこにあてはまるか分からないそうです。また、徳川家康に仕え、武田信玄が攻めてきた時には二俣城の副将として戦ったという話。桜田門外の変の時、お家断絶、明治まで復興を許されなかったとか。明治維新の時に徳川慶喜と一緒に駿府へ移ったと聞いてます。
他にも聞いた話は色々ありますが、丸に揚羽蝶は池田家の家紋、平家方ではないのでしょうか?また元々のルーツはどこから来ているのでしょうか?その他分かることがありましたら教えてください。
No.168

Re: 詳しく教えてください。
青木研究員 さん 2006/01/04 (水) 12:20
>はじめまして。最近祖先のことに興味を持って調べておりますが、はっきりしない所もあり詳しく教えて頂ければ幸いです。
>家紋は丸に揚羽蝶、お墓は茨城県水戸市の共同墓地にあります。江戸時代は水戸藩だそうです。宗派は日蓮宗です。
>実家にある家系図には青木貞景の名前があります。親からの話によりますと、華陽院は貞景の娘!?でも、家系図には女子としか書いてないのでどこにあてはまるか分からないそうです。また、徳川家康に仕え、武田信玄が攻めてきた時には二俣城の副将として戦ったという話。桜田門外の変の時、お家断絶、明治まで復興を許されなかったとか。明治維新の時に徳川慶喜と一緒に駿府へ移ったと聞いてます。
>他にも聞いた話は色々ありますが、丸に揚羽蝶は池田家の家紋、平家方ではないのでしょうか?また元々のルーツはどこから来ているのでしょうか?その他分かることがありましたら教えてください。
丸に揚羽蝶の青木さん 始めまして。
お尋ねの件につき情報をまとめますと次ぎのようになると思います。
1番目は家紋の「丸に揚羽蝶紋」です。
2番目は水戸藩の家臣であった。
3番目は宗派は日蓮宗です。
4番目は徳川家康に仕えた。二俣城の戦い
5番目は桜田門外の変
6番目は駿府に移った
以上ですがこれ等を情報として検証しますとお家の青木氏は二つの青木氏のルーツに辿りつきます。

先ずその前に、青木氏の出生に付いての基礎的な情報として次ぎのことを念頭に入れてください。

青木氏のことに付いては研究室の藤原秀郷一族の生き方を先ずお読みください

此処には青木氏のことが詳細にレポートしています。

では、青木氏は次ぎの2つの発祥から出ています。
1つ目は皇族賜姓青木氏です。
この青木氏は天智天皇から5代の天皇が自らの皇子の第6位の皇子を臣下させて賜姓を授けて青木氏を名乗らせ、天皇の親衛隊として任務を与えました。
(臣下とは皇子から侍にすること。 賜姓とは氏を天皇自ら皇子に氏を与える事)
この青木氏は5家5流あり、伊勢、近江、美濃、信濃、甲斐の5地の王として守護の役にて赴任する。
伊勢青木氏を除く各地の青木氏は母方に藤原氏の血筋を持つ。
天皇は天智天皇、天武天皇、聖武天皇、文武天皇、光仁天皇の5人の天皇から出ています。

2つ目は藤原秀郷流青木氏です。
藤原鎌足より8代目の秀郷が「平将門の乱」にて大功を上げて武蔵と下野の国の守護に任じられ貴族に列せられました。
この時に貴族に列することから自らは武力を使うことは出来ない定めより、2つの国を護るために自分の子供の第3子の千国と言う者にこの護衛の役目を与えて侍ととしたものです。
侍となった千国には上記の皇族賜姓青木氏に習って青木氏を与えました。
本来は嵯峨天皇期にこの青木氏を使用することは皇位の以外の者は禁止しました。しかし、朝廷は同じ藤原氏の血筋の藤原秀郷の一族にだけ特別に許可しました。
この他に明治初期に苗字と家紋を持たない一般の庶民が高額の金額を叩き寺や神社に日本最高の名家家柄の青木姓を付けてもらった青木氏があります。
つまり、第3の青木氏である。
(明治初期は戸籍を作るには古来より戸籍的な役目を担っていた寺と神社がこの役目を担った)

以上の主要2氏の青木氏であります。
この内、お家の青木氏は藤原秀郷流青木氏であります。
この藤原秀郷流の青木氏には次の主要9氏があり、直系1氏、直流4氏、支流4氏となり、ここより116氏に末裔を広げています。

そこでお家の青木氏はこの内の支流4氏の内の「揚羽蝶』又は「丸に揚羽蝶」の家紋を使用しているのは内の3つです。

この「丸に揚羽蝶紋」は元来は京平氏(桓武平氏とも伊勢平氏とも言う)の支流家紋です。
つまり、藤原秀郷の第3子の千国系の青木氏が4代目に男系の跡目が出来ず藤原秀郷の総宗本家から跡目を受けて青木氏を次ぎ、更に18代目のときにも第3回目の総宗本家の行久から跡目を受けています。
鎌倉時代までにこの3回目の跡目があるのですが、この2回目の後に千国より3代目までの間に「揚羽蝶紋」の平氏の一門より嫁を取りこの一族の分流が同じ跡目の問題で「下がり藤紋」より家紋を平家の紋所の「揚羽蝶の紋」に丸をつけて変紋をしています。この一族がお家の元祖です。

この2つの「丸に揚羽蝶紋」の青木氏のうち室町後期に松平氏に仕官し、のちに水戸家に仕官した青木氏は1氏のみです。

藤原秀郷の一族は鎌倉幕府が樹立した時点で崩壊し116氏一族全ては離散します。この時に多くの関東に住んでいた藤原一族の青木氏は縁故を頼りに戦国時代に勢力を拡大した松平氏に仕官します。

この二つの藤原秀郷の主要9氏中の支流4氏の2氏は次ぎの通りです。
1番目は藤原秀郷流青木正命一族です。

この一族は元は平氏の一門で「嶋崎氏」と「岡田氏」を名乗っていました。
「嶋崎兵右衛門利澄」のときに上記した経緯から藤原一族にもどり青木氏に氏姓を戻しました。
この長子を正命といい、次男は利備といいます。
この一族が「丸に揚羽蝶」の家紋を引き継ぎました。

2番目は同じく青木忠英一族です。
元祖は青木玄蕃允梵純です。

3番目は青木安明一族です
藤原秀郷の子の千常が元祖で、安明より前は「根村」を姓としていたが、この安明の時に元の青木氏に改めました。
本来は千国から青木氏が出ているものであるが、この千常の子孫はこの兄の青木氏を名乗ったと云う事になります。

家紋は揚羽蝶と一部子孫の分家は「丸に揚羽蝶」の家紋を使用している。
お家のルーツは後者の分家筋にあたり、何れも松平氏に仕えていて二俣の戦い等に参加しています。

この内に水戸家に仕えた一族は第3番目の分家筋に当る青木氏で、安明より2代目の安長のときに長女が水戸家臣(呉 観石)に嫁ぎ、後に安明の分家筋の跡目家系継承の問題でこの長女の一孫子が実家先一族の分家の青木氏の跡目姓を継いでいることに成っています。
水戸家に関わる青木氏はこの一門のみであります。

更に「桜田の館」に関わる一族は史書からこの一族のみと見られます。
駿府までの経緯は判別できませんが、経緯と水戸の行動から当然に認められます。

池田氏の家紋の件については池田氏は京平家の勢力範囲(32/66)であつた中国地方の支流平家の末裔でと名乗っていることから、江戸初期に下克上と戦国時代の混乱期を経て家柄を誇示する必要から成否は不明であるが、挙って家系を偏纂したのであります。この池田氏の平家の末裔の真偽は不明と言う説があります。この時期の大名になったものは徳川氏をはじめとして殆どは偏纂です。
そして、この池田氏も同様に土地の経緯からこの「丸に揚羽蝶」の平家支流紋の家紋を使用したのです。

しかし、この意味からするとお家は上記した様に青木氏の由来から正規の「丸に揚羽蝶」の根拠をもつ藤原秀郷流青木氏の主要支流4氏の安明一族の分家支流の一つで116氏にも末裔を広げた一つの青木氏の名家であります。

青木氏は主要9氏のであるが藤原秀郷の主要5氏の一つで、長谷川氏、進藤氏、永嶋氏、長沼氏、青木氏であります。
この中でも青木氏は上位の位置にあり最大の116氏にもの家紋を持つ一族であります。

皇族賜姓青木氏を入れると121氏にもなる青木氏ですので、青木氏を理解する上で、詳細は研究室の藤原一門のレポートを時間をかけてお読みください。
これを読むとお家の青木氏の鎌倉前のルーツと歴史と由来などが極めて詳細にお判りになると思います。

尚、宗派に関しては主要9氏は浄土宗です。この鎌倉前は特別に皇位の一族のみしか入れない宗派でした。そして、藤原秀郷の支流116氏の多くは赴任先の土地の各地に定住しましたので、特別に限られた浄土宗の寺は無く止む無く、その元さきの宗派の比叡山の真言宗に入信しました。
(中部から関西中国地方の藤原秀郷流青木氏に多い)
したがって、日蓮宗に関しては水戸家の家臣に嫁いだ先の宗派を引き継いだことが十分に考えられます。

以上の検証結果ですが次ぎの点に推測の部分が残っています。
日蓮宗は鎌倉時代から生まれた宗派ですが、この宗派に入信したのは下級武士階級と庶民が一般的な信者です。
この呉氏(観石)はその姓の経緯から渡来系の一族であり日蓮宗の宗派である事が覗えます。

念の為に、青木安明の一族の菩提寺が武蔵国か下野国か下総国(結城地方)かの土地に元の菩提寺がないか調べられるとよいと思われます。
この三国には浄土宗の寺がありますので、もとはこの地方の寺に菩提寺があったものと推測します。
この寺があるとみられるところでは、私の調べた範囲では17の浄土宗の寺がありますので、他に何かの手がかりを元に調べていただきますように。

武蔵の国にある可能性が高いと見られます。

この宗派の件を確定しますと検証と完全一致いたします。

現在の菩提寺の過去帳を調べられてその中で一部に何らかのとぎれがある場合にその下先を調べることから始められると見つかると見られます。
時代的には1705から1725年頃の菩提寺を探されるとよいと思います。
「丸に揚羽蝶紋」を家紋とされている以上は必ず見つかるものと思われます。

家系上の女子の場合は当時の男系の氏姓制度の慣習の中では女子は書かないか別の家系譜に女系のものを入れたものを作るかしていました。
また、墓も墓横に別に女系の墓石を作るのが慣習となっていました。現在の慣習は明治以降の慣習です。

詳細は先ず、研究室のほかのレポートをお読み下さい。
次ぎに左隅に「丸に揚羽蝶」の藤原秀郷流青木氏の家紋を掲示します。

左隅をクリックして下さい。拡大します。

揚羽蝶紋は姿と足の数と羽の模様と輪郭の4つにてそのルーツを判別する事がで来ます。お家の家紋はこの紋と一致しますか。

以上の検証結果についてご質問や不明点など有りましたらご遠慮なくお尋ねください。
お待ちいたしております。
No.169

[投稿者削除]
あーくんさん 2006/01/08 (日) 16:48
投稿者によって削除されました。(06/01/08 17:20)
No.170

Re: [投稿者削除]
あーくんさん 2006/01/08 (日) 17:21 [ メール ]
詳細にご説明いただきありがとうございます。さらに調べていきたいと思います。ただ現在菩提寺はありませんので(水戸は光圀の時から共同墓地になってます)おっしゃられる通り武蔵か下総国(いつの時代からか分かりませんが古河市に別邸がありましたので)の浄土宗のお寺を調べてみたいと思います。
No.171

Re: [投稿者削除]
青木研究員 さん 2006/01/09 (月) 11:02
>詳細にご説明いただきありがとうございます。さらに調べていきたいと思います。ただ現在菩提寺はありませんので(水戸は光圀の時から共同墓地になってます)おっしゃられる通り武蔵か下総国(いつの時代からか分かりませんが古河市に別邸がありましたので)の浄土宗のお寺を調べてみたいと思います。
水戸の青木さん 今日は。
非常によいところに気づかれました。
古河氏の別邸の件は更にお家のルーツを確定する資料です。

実はこのことで次ぎのことが判ります。
先ずこの古河市は茨城県の西部地域の端の埼玉つまり、武蔵の国の東の端ですから、この地域には藤原秀郷流青木氏の支流4氏のうちの「丸に揚羽蝶紋」の青木氏の2氏がこの地域の護衛に当り、北埼玉郡付近の東はずれに2つに分かれて定住していました。
南埼玉郡に分かれて2氏が護りに付いています。
この北埼玉郡がお家の先祖の護りの土地です。

そして、この古河市付近と北隣の結城市付近には、お家と同じルーツの兼光系の藤原秀郷の五代目の孫に当る朝光という者が初代として一族の領国でした。
この一族は「結城氏」であります。
この結城氏の由来は次の通りです。

この結城氏はこの土地は950年頃から1130頃まで領国としていました。しかし、平家との戦いに負けてこの土地付近を奪われました。
止む無く、藤原の朝光は一時武蔵の国の西の群馬付近(上野介の役で)の護りに着いていました。しかし、鎌倉幕府の樹立に貢献した事で、源頼朝から本領安堵策にて結城の土地を与えられてを奪い返す事ができました。
そして、鎌倉幕府樹立にて離散した多くの藤原秀郷一族の子孫とは別に、この(藤原鎌足より8代目の藤原秀郷の)兼光系の結城一族は辛くも鎌倉幕府の御家人となり、再び、55年ぶりに結城市の東隣の水戸付近までの守護を命じられました。

古河市に関係があるとするとお家の護衛役の担当する総宗家の一族はこの結城氏であつた事が濃厚です。

この付近には藤原一族は結城氏のみが領国としていましたので整合性が取れます。

このお家の青木氏が発祥したのは「丸に揚羽蝶紋」ですので、青木氏の元祖の千国より妾妻の実家先(嶋崎氏)の家紋を引き継いだのは2代目頃からですので秀郷より4代目頃からと成ります。(北埼玉郡の護りに着き始めた時期)

お家も藤原秀郷流の兼光系(4代目)の青木氏ですから、支流4氏のうちの北埼玉郡付近を守護するようになつたのは秀郷からこの4代目の兼光より2、3代目の所の「丸に揚羽蝶紋」の支流青木氏でありますので、同族ですし、結城氏は同時代の一族と考えられます。
此れで水戸家との関係も頷けます。
よって土地と時代と同系族の一族と水戸松平氏から考察すると検証結果が頷けます。

次ぎにこの地(北埼玉郡と結城氏付近)には浄土宗の寺は6つ程度ありますのでこの寺の絞りこみをされてはと思いますが。
(インターネットで浄土宗をキーワードに地域限定で絞込み方式で)
青木姓の多く出て来る寺が多分お家のルーツと思います。

この様にちょっとした事がルーツ探しに結び付きますので、頑張って探してください。いつでも御質問いただければお力になりたいと思います。ではまた。
No.247

Re: [投稿者削除]
あーくんさん 2006/07/14 (金) 02:17
お久しぶりです。新たな発見がありましたので報告します。それは25年位前までもう一つお墓があったそうです。それは江戸後期から明治にかけて作られたらしいですが、宗派が日蓮宗ではないとのことです。場所は東京近郊だそうです。そう言われれば幼少の時に連れられた記憶があります。ただそれ以上の詳しいことは教えてくれませんでした・・・水戸のお墓は江戸時代からあったそうです。水戸の方の時代ははっきりしませんのでいつ作られたか正確ではありません。お家に2つお墓があるのは良くないということで古い水戸のお墓にまとめたそうです。もしかしたらそれ以前の菩提寺があるのかもしれませんね?彦根藩(これは私がしっかり記憶してませんでした)から養子を迎えたりお家存続のために色々苦労があったと聞かされました。空襲でかなりの資料が焼失し情報が不足しているみたいです。
No.248

Re: [投稿者削除]
青木研究員 さん 2006/07/14 (金) 19:43
>お久しぶりです。新たな発見がありましたので報告します。それは25年位前までもう一つお墓があったそうです。それは江戸後期から明治にかけて作られたらしいですが、宗派が日蓮宗ではないとのことです。場所は東京近郊だそうです。そう言われれば幼少の時に連れられた記憶があります。ただそれ以上の詳しいことは教えてくれませんでした・・・水戸のお墓は江戸時代からあったそうです。水戸の方の時代ははっきりしませんのでいつ作られたか正確ではありません。お家に2つお墓があるのは良くないということで古い水戸のお墓にまとめたそうです。もしかしたらそれ以前の菩提寺があるのかもしれませんね?彦根藩(これは私がしっかり記憶してませんでした)から養子を迎えたりお家存続のために色々苦労があったと聞かされました。空襲でかなりの資料が焼失し情報が不足しているみたいです。

水戸の青木さん。お元気ですか。お久しぶりです。
さて、お墓の件ですが、お墓が2つある事は良くある事です。
特に浄土宗は非常に少ない限られた家柄の者が入信を許される宗派で、藤原秀郷流青木氏は宗家の赴任先に護衛役として移動しますので、そこで定住しますと浄土宗のお寺が殆ど無いのが現実でした。そこで、止む無く浄土真宗か日蓮宗を利用する以外にありませんでした。

浄土宗は江戸初期に幕府が特に奨励してこの浄土宗のお寺を増やしました。
やつと、江戸後期くらいになって各地にお寺が出来る様になりました。それでも他の宗派に比べて少ないのが現状です。

多分、お家はこの為に江戸付近に多くある浄土宗のお寺に墓を移動したのではと思います。藤原秀郷流青木氏はの多くは24の各地に定住していましたが、鎌倉幕府が出来て藤原氏一門はその職を失い、多くは武蔵や下野国等の一族が居たところに戻りました。その為に墓が二つあるお家が多いのです。

これが第一段階で、更に戦国時代から室町後期で再び藤原秀郷流青木氏を始めとして藤原一門は再び離散して各地の大名に仕官しました。
この時にも墓をその地に設けることをしました。このように藤原秀郷一門の宿命的な事が現状でした。

お家は水戸に仕官した一族でしたから江戸後期には江戸に移動して幸いに浄土宗のお寺が幕府の奨励で多かったのでお墓を浄土宗のお寺に戻したと見られます。
お家は以前のレポートでも記述しましたが、藤原秀郷流の青木氏でこの内、揚羽蝶の家紋の丸つき紋でしたから、青木正命をご先祖とする一族ですが、
この一族は結城藤原氏の護衛役を任務としていました。

その後に元の領国の結城の土地に定住していたお家が土地の徳川水戸藩に仕官した事に成ります。

以前にレポートでも記述しましたが、千葉の結城地方には必ず菩提寺があると思います。
地名/地形データーベースの千葉の安房郡富浦町青木村のところを一読下さい

多分、お家のご先祖とその縁者関係がここに青木村を形成しています。
必ずこの土地付近にあると見られますので参考までお調べください。

現代の件と違いまだ家という考えが強かった時代ですので、跡目の件は男系跡目が出来ずに苦労するのがどこでもある事ですが、藤原一門は家柄などの吊りあいもあり更に難しく成ります。その都度、男系の跡目相続が出来ないで家紋を変紋せざるを得ないことが起こりました。

兎も角も宗派も確認出来ていますので、後は菩提寺の調査です。

資料の件は藤原秀郷一門は下克上で全く標的にされましたので資料は少ないのと戦後の混乱で少ないのが現状です。

又何か有りましたらお便りください。お待ちしています。

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