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No.425

はじめまして
千葉在中、栃木の青木さん 2007/03/23 (金) 08:50 [ メール ]
同じ内容で、記帳させていただきました。はじめまして青木氏のホームページが在ったとは驚きです。千葉県在中ですが、父の出身は栃木県栃木市です。
家紋は鹿角紋でしたが、詳細がわかりません。
宗派は、浄土宗。
菩提寺は、市内の近龍寺です。
父の口癖は、祖先は壬生の殿様だったなんてことをよく言っていました。(まだ健在ですが・・・。)
ちょっと前のど祖先様は、栃木市で紙屋を営んでいました。
何かわかりますかね?又いろいろと御祖先様について興味がわいてきました。ありがとうございます。
No.428

Re: はじめまして
副管理人さん 2007/03/23 (金) 20:48
>同じ内容で、記帳させていただきました。はじめまして青木氏のホームページが在ったとは驚きです。千葉県在中ですが、父の出身は栃木県栃木市です。
>家紋は鹿角紋でしたが、詳細がわかりません。
>宗派は、浄土宗。
>菩提寺は、市内の近龍寺です。
>父の口癖は、祖先は壬生の殿様だったなんてことをよく言っていました。(まだ健在ですが・・・。)
>ちょっと前のど祖先様は、栃木市で紙屋を営んでいました。
>何かわかりますかね?又いろいろと御祖先様について興味がわいてきました。ありがとうございます。
栃木の青木さん 今日は。始めまして。

御家のことは詳しく家紋掲示板の2Pに抱き角紋の4つの青木氏がレポートしています。
又、この研究室の「青木氏と血縁族(家紋)」の鹿角紋のレポートを参照して下さい。

この4つの家紋のうちのどれかに成ります。

大まかには雑談掲示板に書きましたが、諏訪族青木氏です。
諏訪族は諏訪太鼓で有名な武田軍団の赤兜の軍団で大変強い軍団でした。
しかし、信長との戦いで負けて、この諏訪族青木氏は藤原秀郷流青木氏の所を頼って横浜神奈川に到達しました。ここで諏訪族青木氏の一部が残り、更に奥の栃木へと逃げ延びたのです。
そして、そこでその力を発揮して土地に根着き郷氏や庄屋や名主などになりました。

元は諏訪族は620−660年頃にかけて帰化してきた200万人もの後漢の民で、この民は後漢の国を造った光武帝より末帝21代の献帝の子供の石秋王の子の阿智使王と孫の阿多倍王らに率いられて九州に上陸、瞬く間に無戦に近い状態で征圧し、中国地方から関西にかけて征圧しましたが、朝廷に帰化を申請し、次々と上陸してくるその一部が信濃の開拓に廻されました。この阿多倍一族の5代後の末裔が平清盛です。

それが、諏訪族の始祖に成ります。ここに皇族賜姓青木氏が守護王として着任し、後にこの諏訪族と血縁して発祥した諏訪族青木氏が発祥しました。
後に武田氏に組み込まれて、武田系諏訪族青木氏となりました。
信濃王の皇族賜姓青木氏の一族と諏訪族と血縁しましたが、男系継承が2代続きで女系となり、出来ずに養子先の家紋となり諏訪族青木氏となったもので、家紋は皇族賜姓の綜紋の「笹竜胆紋」から「抱き角紋」と成ったものです。つまり、御家一族の綜紋は「笹竜胆紋」です。

話を戻して後は信長に敗退して逃げ延びてきました。

御家の諏訪族が、天皇に、その開拓の勲功で、都に会いに来る状況が日本書紀にも出てきます。

「皇族賜姓青木氏」のことは研究室の所の皇族賜姓青木氏のレポートをお読みください。

渡来人の阿多倍一族のことも研究室にもありますのでゆっくりとレポート参照して下さい。

何かご質問がありましたら遠慮なくお便りください。
ではお待ちしています。
No.432

Re: はじめまして
千葉在中、栃木の青木Kさん 2007/03/29 (木) 23:14 [ メール ]
いろいろとありがとうございます。
家紋は、丸に鹿角でした。
又、どうやら父の父は(自分の3代前ですね。)以前栃木と言う性で青木家に
養子に行ったそうです。(ってことは純水ではないのか?)
がしかし十数年前に父が商売を失敗してしまい、余儀なく土地を動くことになり現在江戸川区、鹿骨という土地に十数年前より商売の拠点を置いています。近所の氏神様にお参りに行った時はびっくりしました。なんとそこは鹿島神社なのですが門が「鹿角」ではないですか。何かこの土地に呼ばれたような思いで毎年欠かさずに初詣は行っています。何か御祖先様のお力ですかね?
No.433

Re: はじめまして
副管理人さん 2007/03/30 (金) 21:17
>いろいろとありがとうございます。
>家紋は、丸に鹿角でした。
>又、どうやら父の父は(自分の3代前ですね。)以前栃木と言う性で青木家に
>養子に行ったそうです。(ってことは純水ではないのか?)
>がしかし十数年前に父が商売を失敗してしまい、余儀なく土地を動くことになり現在江戸川区、鹿骨という土地に十数年前より商売の拠点を置いています。近所の氏神様にお参りに行った時はびっくりしました。なんとそこは鹿島神社なのですが門が「鹿角」ではないですか。何かこの土地に呼ばれたような思いで毎年欠かさずに初詣は行っています。何か御祖先様のお力ですかね?

栃木の青木さん 今日は。
さて、早速ですが、家紋が「丸に鹿角」と言う風に述べられていますが、「鹿角」は文様の総称ですので。
鹿角文様には24もの文様があります。

この中の4つの「抱き角紋」が諏訪族青木氏の家紋です。家紋掲示板をもう一度参照して下さい。
その中の一つの丸に抱き角紋です。

父上が養子であるとの事ですが、貴方が男性であり2代続きの養子ではないので昔の仕来りでは「丸に抱き角紋」である事には変わりが有りません。

男系が出来ないときは養子を取りますが、その期間中は養子先の家紋と成ります。しかし、次に又養子であれば、女系になったことを意味するわけでありますから、この場合は元の家紋は継ぐ事が出来なくなったので最初の養子先の家紋と成ります。最初の養子との間に男子が生まれたら元の家紋に戻り生まれた男子がそれを継ぐ事に成ります。
2番目の養子に男子が生まれなければ2番目の家紋に再び変更します。女系続きですので。

次に、江戸川の鹿島神社の件ですが、鹿島三者の神社ということで、この三社の寺紋は左三つ巴紋ですので、江戸川の鹿島神社の家紋が「丸に抱き角紋」と言うことは変ですね。
多分これは、この「三つ巴紋」の鹿島神社の中に分社という形で、諏訪族青木氏の諏訪神社の分社があったという事に成りますね。
皇族賜姓青木氏系の24氏の青木氏は自らの神社を持っていました。
勿論、同系24氏の一つですので、綜紋の「笹竜胆紋」から「抱き角紋」に変紋した事により「抱き角紋」の神社が横浜や栃木の周辺にあるのです。
この神社の分社が江戸川の鹿島神社にあったのだと思います。
この分社は何処の神社でもあるのです。
大勢の人が参るのですから、自分の守護神の神社があれば便利ですから。特に江戸では各地から大勢の人が集まってきていますので分社が殆どです。多分、その鹿島神社も分社か支社と思います。
江戸の神社は殆ど分社支社です。
つまり、支社の中に分社の神社を設けているのでしょう。
本家本元に初詣は大変ですからね。

大きな神社に行くと20くらいの分社がざらにありますよ。

先祖があって自分があるのですから、ご先祖との引き合う何かがあるのだと信じています。

現在の自分は1/250兆の確率でこの世に出てきたのです。
つまり、完全に選ばれて出てきた事になりますよね。この確率は。

現在の遺伝子学では血液型が同じであれば、80-95%の遺伝子を引き継いでいる事になります。
という事は、殆どクローンですね。

この理屈から、先祖は過去の自分であり、孫は未来の自分であり、子供は近未来の自分と言う事に成ります。

当然に、過去の自分から何か(テレパシー)で引きつけられることもありえます。95%の自分なのですから。

このことに付いて、研究室の「先祖の人生観連立方程式」にレポートしていますのでお読みください。

では又お便りください。
No.434

Re: はじめまして
千葉在中、栃木の青木Kさん 2007/03/30 (金) 23:02 [ メール ]
すいません説明不足で・・・。
鹿島神社(分社)は抱き角紋でしたね。
当家の家紋は、丸に抱き角紋です。最初に言ったときには、なんか似たような家紋だと妻と話していてそんな話を書き込みました。
又鹿骨という地名は、昔、常陸国の鹿島大神が大和国奈良の春日へお移りになった時のこと、途中この地を通られた時、大神の杖となっていた神鹿が病気でたおれてしまい、里人はこれをていねいに葬ってこの地に祀ったそうです。又何かありましたらお便りします。

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