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No.1268

うちの家紋は・・・???
T-Tさん 2008/06/05 (木) 15:05
丸の中に3匹のアゲハ蝶がいる家紋がうちの家紋なのですが、家紋掲示板には無かったのですがどうなんでしょうか?
No.1269

Re: うちの家紋は・・・???
副管理人さん 2008/06/05 (木) 17:48
>丸の中に3匹のアゲハ蝶がいる家紋がうちの家紋なのですが、家紋掲示板には無かったのですがどうなんでしょうか?
T-Tさん 今日は。始めまして。
ようこそ青木サイトにお越し頂きました。
これからも宜しくお願いします。

さて、お尋ねの件ですが、あなた様のお名前が判りません。
家紋掲示板は青木氏に関する家紋類です。
青木氏でないとすると、貴方が云われる家紋はありません。
又、青木氏であるとしても、この家紋を持つ青木氏も有りませんので、明治以降の苗字令により発祥したルーツや家紋が確認出来ない青木氏だと思います。

どちらにしても、明治までの日本の家紋8000ある中ではこの家紋は有りませんので、明治以降に一族だけではなく1氏だけで家紋としたとも思えます。

そこで、折角ですので、この丸付き紋の揚羽蝶紋に付いて、知る範囲でお話します。
日本の蝶紋の文様は97文様あります。
その中に、「三連蝶紋」という文様は12あります。
そして、この三連の揚羽蝶の文様は3つあります。
しかし、この3つの揚羽蝶には丸付き紋は有りません。
この3つの「三連揚羽蝶紋」は池田氏と大河内氏が使用しています。
この三連揚羽蝶紋は、信長が戦いのときに軍を分ける為に使用する幟(のぼり)として使用し、これを家臣に持たせたものが、その家臣の氏が後に家紋としたものです。
岡山、鳥取、愛媛に多くあります。

そこで、この家紋に丸がついている事に成りますので、「丸付き」の持つ意味には沢山の意味を持っています。
例えば、幾つか例を挙げますと、
本家が三連揚羽蝶紋の使用を認めなかったので丸付きとした。
本妻ではなく妾の子供であるので、丸付き紋とした。
男系跡目ではなく、女系になった氏が丸付きにした。
血縁の低い者が三連揚羽蝶を使用として丸付き紋にした。
家紋や系譜が無いので、とりあえず丸付きにした。
明治以降の庶民が家紋を作ったが「三連揚羽蝶紋」を勝手に使用すると文句が出るので問題を避ける為に丸付き紋にした。
歴史上から観て、何らかの血筋を遠い縁で持ち、「三連揚羽蝶紋」の者が、何時しか家紋を失い、家紋を戻した。この様な意味を持っています。
只、この揚羽蝶紋は平家紋ですが、基本的には丸付き紋は家紋掟で使用していませんので有りません。

お家の家紋はお名前も判らないし、このどれに当るかはわかりませんが、家紋8000に無い極めて少ない家紋ですので、絞られてきます。
ご質問が有りましたら、お尋ねください。わかる範囲でお答えします。

以上です。

来場記帳のところに記帳して頂きました事を後で気づきました。青木さんですね。すみませんでした。
所でご先祖の石川県ですが、何時頃の時代の方でしょうか。これに依って話しが変わります。この家紋は上記した2つの氏が使用しているので、岡山、鳥取、愛媛の住人に成ります。
この3つの土地には、先ず岡山には、藤氏の讃岐青木氏の末裔、鳥取の米子と八頭には足利氏系青木氏、愛媛には香川よりに藤氏讃岐青木氏が定住しています。

仮に、余り移動していないとして、鳥取付近の住人であった事も考えられます。
そうすると米子か八頭の青木氏が住んでいる地域に居て、この青木氏に跡目が無く止む無く池田氏支流から男子の養子を取ったが、娘との間に又男子が生まれず、家紋は池田氏の支流「3連揚羽蝶」紋になり、何らかの理由で池田氏支流紋が使えなくて丸付き紋にした。但し、池田氏が丸付き紋を使用しているかは専門外で判りません。(信長に与えられてものであるし、平家類似紋でもあるし、普通は使わない。)
米子の青木氏は信濃の皇族賜姓青木氏が土地の豪族の足利氏と血縁して出来た氏ですが、藤原秀郷一門と争い足利本家を奪われて、本家に同行して米子付近に逃げ延びた氏です。

それか、家紋8000に無い家紋からすると、この地域にすんでいた者が明治の苗字令で池田氏の青木氏に因んで名乗ったとも考えられます。第3の青木氏であります。
(例えば、埼玉、栃木等の藤原秀郷流青木氏では「下がり藤紋」に因んで青木氏を名乗り、その家紋に丸をつける青木氏が多いのです。藤原秀郷の一門の「下がり藤紋」は丸付き紋は使用していません。)

以上、3つの何れかに成ると思われますが、確定する情報が全く有りませんので、何かちょっとしたものでも時代性(江戸以前)のある事であればお知らせください。

ではお便り楽しみにお待ちしています。
No.1276

Re: うちの家紋は・・・???
T-Tさん 2008/06/09 (月) 12:20
江戸時代のころには既にいたということです。それよりも前という事になると少し時間がかかるかもしれません。それと、前田家の家臣だったという事は参考になるのでしょうか?
No.1282

Re: うちの家紋は・・・???
副管理人さん 2008/06/09 (月) 19:06
>江戸時代のころには既にいたということです。それよりも前という事になると少し時間がかかるかもしれません。それと、前田家の家臣だったという事は参考になるのでしょうか?
今日は。早速のお便りありがとう御座います。

石川県と前田家の家臣ですか。この二つの事で次の様に成ります。

家紋からではなく、土地からの検証ですと、前回のお答えで、”三連揚羽蝶紋は、信長が戦いのときに軍を分ける為に使用する幟(のぼり)として使用し、これを家臣に持たせたものが、その家臣の氏(池田氏)が後に家紋としたものです”と記述しましたが゛、石川県と前田氏と池田氏と信長と足利氏系青木氏が繋がっています。
足利系青木氏は一部は鳥取の米子や八頭に逃亡して移動しましたが、藤原秀郷側が推す分家の足利氏に付いた足利氏系青木氏があります。
その事から、お家の青木氏は北の加賀、越前、越後付近に定住していた皇族賜姓族の24氏の米子青木氏の親族の一つ足利氏系青木氏の可能性が出てきました。

信濃の国境と加賀、越前、越後の一体に足利氏系青木氏、信濃の国府のあるところ県庁所在地に本家筋の皇族賜姓の信濃青木氏、南には藤原秀郷流青木氏が住み分けていました。

そして、信長の家臣として鳥取より発祥した室町期後期の池田氏が前田氏の配下となり、石川に移動。この池田氏の分家との間で養子縁組が起こり、男系跡目が再び出来ずに女系と成った足利氏系青木氏とも考えられます。

只、池田氏がこの三連揚羽蝶の丸付き紋を分家に持っているかは専門外ですので判りません。
又、池田氏の丸付き紋の分家筋が居たとしたら、この石川に移ってるかは判りません。
もし、この二つがないと言う事に成れば、室町期末期の第1期の混乱期に武士になり、発祥し出世した第3の青木氏と言う事に成ります。
この二つを確認する必要があります。

それには、先ずは、石川付近のご本家の菩提寺のお寺の過去帳にこの時期(室町末期)の人が存在するかを確認する必要があります。

では、又、ご確認して、足利氏系青木氏を確定致しましょう。お便りをお待ちしています。
No.1343

Re: うちの家紋は・・・???
T-Tさん 2008/09/19 (金) 01:53
随分とご無沙汰しましたが、調べたところ過去帳が江戸時代までのものしか現存しないということでした。以前の物は火事で焼失したらしいです。
ただ、江戸時代までは分かるのでとりあえずいけるところまではやってみようと思います。
No.1344

Re: うちの家紋は・・・???
副管理人さん 2008/09/19 (金) 08:30
>随分とご無沙汰しましたが、調べたところ過去帳が江戸時代までのものしか現存しないということでした。以前の物は火事で焼失したらしいです。
>ただ、江戸時代までは分かるのでとりあえずいけるところまではやってみようと思います。
T-Tさん 今日は。
お久しぶりですね。
お便りお待ちしていました。

過去帳をお調べになりましたね。
江戸までたどり着けた事ですので、もうひと踏ん張りです。がんばって下さい。

ルーツを調べると言う事は根気のいる事です。その根気を楽しみにして進めてください。
ルーツ確定まで辿りつけるかの如何に関わらず、その事が先祖に対する感謝の念となると思います。

そこで、一言。
実は、われわれ現在人は現在の常識で過去の事を考えてしまう癖があります。
過去は過去の社会慣習の常識がありますので、大事な一寸した情報を見流してしまう事が多いのです。
例えば、今では国内を自由に移動する事は出来ますが、過去は出来ませんでした。領民は全て領主の支配下に置かれていましたので、自由に移動すると「国抜け」として厳罰に処されます。
ですから、「移動」があるとした場合は大変な意味を持ちます。

過去の社会は、「氏家制度」という社会でしたので、現在の核社会ではありません。本家が分家などを支配する社会慣習でした。
例として、この様に違いますので、細かい、一寸した事柄が意味を持ってくるのです。
このことに注意してお調べください。

今の歴史テレビドラマで演じられる内容とは少し違っていますね。

一つの情報に幾つかの推理を立てながら一つ一つを潰して行く事が良い方法です。

例えば、一つのお寺に過去帳が江戸時代まであると云うこと、の意味です。

まず、”明治初期発祥の第3の氏ではないこと”が確定しますね。
次ぎは、江戸時代のどの程度のところの人までなのか。
更に、その人の俗名に「官職名」がついていないか。
その人たちに、「通名」が着いていないか。
その人たちの戒名には地名の字句がないか、ルーツに繋がる字句が無いか、共通の字句が無いか、などを細かくお調べください。

そして、江戸時代に過去帳を持っている事は、それ以前にもつながっていることの可能性をもっていますので、菩提寺の火災の時期なども大変歴史的な意味を持っている筈ですので、それとの絡みもお調べになるとよいと思います。

「江戸」と言うキーワードだけで、これだけの可能性を広げる事になりそれを一つ一つ潰して推理してゆく事がバイバイに広がり大変大事です。

判らない事やご相談が有りましたらご遠慮なくお尋ねください。青木氏がお力に成ります。

では、お便りお待ちしています。

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