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No.270

鳥取の先不明です
tocyさん 2006/08/17 (木) 10:55
私の曾じいさんは戸籍謄本によると鳥取県、でもその先はわかりません。手元に残る戸籍謄本の内容には

明治17年9月23日相続
明治44年10月14日鳥取県東伯郡長瀬村大字田後村百番屋敷より転籍届出同日受付入籍
戸主;平民:前戸主との続柄 父 亡青木 甚治郎、母 亡 てつ:二男; 青木 長蔵 出生 元冶元年正月弐拾壱日・・・・・・・・・倶知安町役場

とあります。
No.271

Re: 鳥取の先不明です
tocyさん 2006/08/17 (木) 11:03
家紋について 書き忘れでーす。
丸にモッコウです、宗派は 浄土真宗お西です。
No.272

Re: 鳥取の先不明です
青木研究員 さん 2006/08/17 (木) 21:45
>家紋について 書き忘れでーす。
>丸にモッコウです、宗派は 浄土真宗お西です。
鳥取の青木さん 今日は。始めまして。
お尋ねの件ですが、調査するには情報の数と時代性の問題で困難です。
しかし、次ぎの情報が確証されたものとしての前提でお話します。

第1に家紋が「丸に木瓜紋」である事。
第2に宗派は浄土真宗である事。
第3に鳥取である事。(ただし、時代が明治であるので使えません。少なくとも室町ぐらいのものでないと使えません。鎌倉期では確実に成ります。)

歴史の史実は室町期前の物しか信用が出来ません。下克上期と戦国時代は国が混乱して偽りが殆どです。

青木氏のことに付いても同様です。
青木氏のことに付いては研究室の皇族賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏に関係するレポートを一度時間をかけてお読みください。そこには詳しくレポートしています。

青木氏に関しては皇族の者が名乗る氏ですので室町期と明治初期に多くの氏や家紋などをもたないものが競って系譜や名前を高額の金品を出して寺社に頼んで密かに造って多くの人が名乗りました。これを第3の青木氏といいます。

室町期と江戸初期は家柄や姓の持たない者が侍となり出世した事でよい家柄の氏を名乗りました。
又明治では全てのものが苗字を持つことを認められましたので、一般の者は家柄を偏纂しました。この時昔は寺が戸籍簿の役割をしていましたので寺の証明があれば許可されました。

従って、この氏には縦横の親族関係や史実に多くの矛盾が出てきます。
ルーツ調べはこの矛盾をどうして克服するかによります。

証拠の物品の探し出しや一寸した事が当時の慣習から糸口を探し出す事が出来る様にするなどの努力が必要です。

全く矛盾の無い人も氏もあります。資料が遺されていて。丁度警察の犯人探しとよく似ています。ヒントとひらめきです。

この人たちのルーツは江戸期からのものに成りますので菩提寺に行けば過去帳がありますので系譜は見られます。
逆に、江戸期くらいまでの系譜であれば特別な場合を除きこの青木氏に成ります。

このような背景は研究室のレポートに書いています。

さて、では確証された前提でお話します。

先ず、家紋は一族が同じ一族である事を証明する手段として用いましたが、
この家紋は上記の2つのルーツの皇族賜姓青木氏のルーツを示す家紋の一つです。
家紋掲示板のところのP1の木瓜紋のところの3番目が丸に木瓜紋ですので、古くからこの紋である事が証明できれば皇族賜姓青木氏の5家5流24氏の流れを汲む青木氏であります。

青木氏に関して33紋様がこの2つの青木氏に関係する家紋です。
家紋掲示板に現在掲載中で21紋様までレポートしています。
この5/33番目のところの家紋です。
「青木氏と血縁族」の木瓜紋のところもお読みください。

この家紋は昔の美濃国の豪族の土岐氏との血縁を結んだ皇族賜姓青木氏です。
この皇族賜姓青木氏は5代の天皇の第6位の皇子が臣下して侍と成り天皇自ら青木氏という氏を与え賜った者で、この皇子たちは5つの土地の守護となりました。
この5つの土地は伊勢、近江、美濃、信濃、甲斐の国です。
この5人の天皇は天智、天武、聖武、文武、光仁の天皇です。
この5人の天皇の第6位の皇子より天皇を守る親衛隊として侍になりました。
7位以降は僧侶になりました。

5位までは皇子で皇位継承権のある皇子と成ります。

この5つ土地は主要な国で防衛的に大事な国と成ります。
美濃の皇族賜姓青木氏はこの美濃国の守護となり赴任して土地に住み、美濃王となりました。この美濃王の子孫が美濃青木氏です。
この美濃青木氏の一族の方からこのサイトに投稿がよくありますのでレポートを参照されると良いと思います。

そこで、美濃の第6位皇子の美濃王の子孫が土地の豪族との関係を強くするために血縁を結びました。この子孫が土岐氏系青木氏です。

この青木氏は本来は家紋は『笹竜胆紋』ですが、この土岐氏と血縁した一族に男系の跡目が2代続いて出来ませんでした。よって家紋掟により、笹竜胆から血縁先の家紋に変紋を余儀なくされた氏で土岐氏系に所属する青木氏と成りました。
参考までに、この土岐氏は同時期に清和源氏の末裔とも血縁を結んでいます。
皇族賜姓青木氏と皇族賜姓源氏は同族です。
光仁天皇までが第6位皇子が青木氏を賜姓し、2代置いて嵯峨天皇期からは第6位皇子の賜姓を源氏としました。青木氏は5代で源氏は16代で正式には花山天皇までの11代です。

土岐氏の宗家本家は「桔梗紋」ですが、この土岐氏の庶流支流の木瓜紋を家紋とする土岐一族から養子を迎えるなどの方法で血縁したのです。
この後に、この木瓜紋の一族の分家筋に当る子孫が「丸に木瓜紋」になったのです。
したがつて、もし、この家紋が一族全てのものであるとすると鎌倉期までは美濃地方に住んでいた事に成ります。

鳥取は時代が違いすぎますので参考になりません。

間違いなく氏家制度の中では美濃の国に一族子孫がいる筈です。当時は国抜けとして罰せられましたので国を自由に出入りできませんでしたので。まして、総宗本家の許可が無い限り旅も出来ません。

さて、次ぎにこの皇族賜姓青木氏の5家5流と24氏は宗派は全て浄土宗です。
この理由はこの皇族系の者は全てこの浄土宗に入る事に成ります。
その高位の者しか入る事が出来ない宗派です。
江戸時代まで゜この慣例は守られましたが、寺が檀家が少ないので成り立たずに江戸幕府は特別に令を発して許可制として奨励しました。然し、矢張り少ない宗派です。今でも。

お家は浄土真宗ですので、時代が少し後にもなり、宗派も異なっています。

少ない事から、室町期の混乱期に移動して浄土真宗に宗派変えをしたとも考えられます。
お家のご親類や本家筋が浄土真宗であるとこの家紋の前提が崩れます。つまり、明治室町期の第3の青木氏と成ります。
この場合はルーツは調査できません。

藤原秀郷流青木氏は理由があって浄土真宗もありえますが。
この紋所は藤原秀郷流青木氏では有りませんので。

西本願寺系と成りますと問題が出ます。
よほどのことが無い限りは宗派は変えませんので、変えても多くの一族が一度に変えなければならないわけですから物理的にも、普通は伝統を重んじることでも不可能です。当時は現代と違い一族郎党が結束して生き延びていました。
「宗旨替え」といいますが普通は行いません。

先ず、お家のご先祖の鎌倉期か室町前期の故郷が美濃国にありませんか。
お家の本家の本家程度のところが浄土宗でありませんか。
仏壇が浄土宗仏壇となっていますか。

明治の戸籍簿では平民ですので普通は士族ではなかつた事が覗えます。

しかし、大農家、大商家であれば2足の草鞋策でもとは武士ですし、江戸期までは家紋や姓や系譜や刀や許されていました。
つまり、郷士、郷氏です。明治期はこれも平民としました。これ以外は一般庶民の平民ですので、先ずこの点もお調べください。
つまり、大農家や大商家や郷士や郷氏であったかどうかです。庄屋や名主も含めて。

これ等を証明する物が残って居ませんか。
何でもちょっとしたことでも大きく解明につながりますのでご遠慮なくお知らせください。お待ちしています。

そこで、更に解明が進みますので。

兎も角、一度上記した研究室のレポートを是非お読みください。ルーツに関するヒントが出る事も多くあります。
No.273

Re: 鳥取の先不明です
tocyさん 2006/08/20 (日) 20:05
有難うございます。
手がかりが見つかったらまた書きこみます。

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青木氏氏を お知り合いの青木さんに 紹介してください。