青木氏のルーツ & 雑学研究室

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◆-はじめましてRe: はじめまして

No.1196
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はじめまして
栃木出身の青木ですさん 2007/12/16 (日) 03:53 [ メール ]
はじめまして。栃木県下野市(旧国分寺町)出身の青木です。今は東京に住んでおります。今度、娘が誕生するのをきっかけに、自分の先祖に関心が湧きました。そして今回、このようなサイトを見つけ、驚きとともに、ますます自分の「青木」を知りたいと思い、質問をさせて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。まず、家紋は「州浜紋」です。披露宴のときに確認し、間違いありません。本家は群馬県桐生にあり、織物を扱う商屋であったと祖母が言っていた記憶があります。(祖父が桐生から栃木に来た)また本家は、明治(?)期に徳川埋蔵金の発掘に財を注ぎ込み、家が傾いたそうです。(本家は現在もあるそうですが)このような情報しかありませんが、もし、私の先祖の何かしらの史実をご存知でしたら、教えて頂ければと思います。自ら桐生に行けば良いのかもしれませんが、何かしらの小さな手がかりでも構いませんので、私の「青木」を教えて下さい。重ねてどうぞよろしくお願いいたします。
No.1197
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Re: はじめまして
副管理人さん 2007/12/16 (日) 07:42
>はじめまして。栃木県下野市(旧国分寺町)出身の青木です。今は東京に住んでおります。今度、娘が誕生するのをきっかけに、自分の先祖に関心が湧きました。そして今回、このようなサイトを見つけ、驚きとともに、ますます自分の「青木」を知りたいと思い、質問をさせて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。まず、家紋は「州浜紋」です。披露宴のときに確認し、間違いありません。本家は群馬県桐生にあり、織物を扱う商屋であったと祖母が言っていた記憶があります。(祖父が桐生から栃木に来た)また本家は、明治(?)期に徳川埋蔵金の発掘に財を注ぎ込み、家が傾いたそうです。(本家は現在もあるそうですが)このような情報しかありませんが、もし、私の先祖の何かしらの史実をご存知でしたら、教えて頂ければと思います。自ら桐生に行けば良いのかもしれませんが、何かしらの小さな手がかりでも構いませんので、私の「青木」を教えて下さい。重ねてどうぞよろしくお願いいたします。
桐生の青木さん おはようございます。
始めまして。ようこそお越し頂きました。
これからも宜しくお願いします。同じ一族の青木さん同士でコミニュケ−ションを致しましょう。

本サイトには、青木氏の全ての歴史的な事柄をレポートしていますので、ごゆっくれとお読みください。
家紋や地名や地理や歴史ロマンや史実や由来や大勢の青木さんとのやり取りなど準備しています。

さて、お尋ねの件ですが、情報が家紋と群馬という事ですので、確定は難しいのですが、わかる範囲でお答えします。

歴史は少なくとも江戸中期以前の情報が必要です。そこでその調査のキッカケになる情報を提供します。
先ず家紋から、判断しますと、藤原秀郷流青木氏です。
この藤原秀郷流青木氏に付いては、「藤原秀郷一族の生き方」1-13に詳しくレポートしていますので先ずこれをお読みください。長論文ですのでゆっくりと楽しんでお読みになってください。

次に、家紋掲示板に州浜紋の1Pに大まかなことを掲示しています。
研究室の「青木氏と血縁族(家紋)」のところに州浜紋のレポートがあります。
研究室の検索で元親族であった州浜の青木さんからのお便りも沢山あります。
地名データベースでも、群馬や陸奥の事も書いています。

さて、お家は、青木氏のうち、藤原秀郷の一門です。
藤原氏は四家といって四家の流がありますが、北家筋で最も栄えた一門です。藤原鎌足から8代目の秀郷が平の将門の謀反を平定した勲功で貴族と武蔵下野の領土を得ました。
この時、貴族になったので、直接武力を仕えませんので、息子を侍として3番目の千国が護衛役を担いました。この時、侍になるので、朝廷から青木氏の使用の許可を得ます。青木氏の姓は皇族の者しか使用を許されていませんでした。しかし、特別に、皇族賜姓青木氏との母方でつながっていることから使用を許されます。

皇族賜姓青木氏とは2大青木氏の一つです。天智天皇第6位皇子が臣下して天皇の護衛役を担い天皇から直接青木氏を名乗るように命じられます。この青木氏は5家5流の青木氏があり、5人の天皇の第6位皇子が臣下して護衛役を担い主要5地に配置されます。
この一族と血縁関係にあるので、藤原秀郷の子供の千国は同じ護衛役としての役目柄青木氏を与えられたのです。

秀郷主要5氏は青木氏、永嶋氏、長沼氏、進藤氏、長谷川氏で、これから末裔は24氏にひろがり、更に361氏と成ります。(「藤原秀郷一門と主要5氏と発祥氏と赴任地の分類」を参照)
お家は藤原秀郷主要9氏青木氏(直系1氏、直流4氏、支流4氏で116氏になる)のうちで、この直流の青木氏です。

藤原秀郷の宗家一門は代々陸奥の国の鎮守府将軍となります。この時、護衛役を務めていて分家が土地に定住し、その青木氏は陸奥の豪族の小山氏と血縁し、男系の後継ぎに恵まれずに養子を小山氏から迎えます。そして血縁をしましたが再び嫡子が出来ずに女系となり止む無く家紋掟により小山氏の家紋の州浜紋と成ります。元は、藤原秀郷氏の綜紋の「下がり藤紋」です。

この分家一族の本家筋が小山氏一族と共に護衛のために陸奥から関東に再び赴任地移動して、青木氏は元の武蔵、下野に戻りました。
(この時、陸奥の武田氏も藤原氏と血縁していましたので護衛として同行して甲斐に定住したのです 小山氏の支流の小田氏も、花山氏ととも足利に。)
この戻った一族が子孫が増えたので末裔が下野から上野、(常陸)へと勢力移動して行きました。
武蔵の入間に住む藤原秀郷の総宗本家を守る為に、入間を中心に神奈川横浜までを半径として円を描く様に116氏になった青木氏の本家筋が円状に取り囲み守りました。外側になるほどに116氏の分家筋が取り囲みます。お家は、武蔵よりの群馬域の護衛を任された陸奥戻りの直流分家筋のこの時の州浜紋の青木氏です。

藤原一門の中でも古く、尚、藤原秀郷流青木氏(兼光系)の116氏の青木氏の中でも古い一族です。

以上家紋からみたルーツですが、詳しく上記のレポートをお読みなるとお家の事が詳しくわかると思います。

その上で、ご不明な点やご質問が有りましたらご遠慮無くお尋ねください。

ここは、全国の青木氏のリビングですので、リビングが賑やかにする為にもお力添えをお願いします。

ルーツの事等でちょっとしたことでもわかりましたら雑談掲示板か研究室に是非お便りください。

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